(神奈川県大和市南林間・座間市ひばりヶ丘)
辰街道は橋本から藤沢へ相模野を南北に結ぶ街道であり、途中のひばりヶ丘で南林間駅から延びる市道南林間座間線と交差する。この通りはノーベル化学賞受賞者で大和市名誉市民となった根岸英一氏が南林間出身であったことに因み、大和市区間は「やまと根岸通り」の愛称が付けられている。


(青森県八戸市鷹匠小路)
八戸藩が盛岡から鷹匠二人を呼び寄せ、住まわせた場所が地名の由来という。別名を「口八丁」と言い、牢屋が存在したという。第二次世界大戦後は一角を札幌の狸小路に倣って、たぬき小路と名付けられ、高度成長期にかけて、八戸の飲食街の中心となった。現在はその当時で時が止まったように、平成令和を感じられない光景が広がっている。












(青森県八戸市長横町)
文久年間(1861-4)八戸御城下略図に長横丁と記載がある。一角にある「れんさ街」は、戦後になって映画館に隣接する店舗が鎖状に連なっていることから名付けられた。そのれんさ街には老舗バーがあり、天井には訪れた全国からの客の名刺が無数に貼り付けられている。














(名古屋市昭和区南山町・広路町南山・瑞穂区南山町)





八事本町の南側のこの地は、江戸時代に創建された興正寺の南に位置し、明治時代からは別荘地として区画整理された。昭和6年(1931)に旧中区(1937-昭和区)広路町と旧南区(1944-瑞穂区)弥富町の一部から南山町が成立し、八事風致協会が設立されている。






(やごと 名古屋市昭和区八事本町)




固い岩盤を意味する「岩(や)が凝(こご)る」を地名由来とする旧愛知郡八事村。江戸時代に名古屋城から飯田に至る飯田街道が整備され、興正寺の門前町として次第に発展していった。




