(千葉県富津市金谷)
養老四年(720)豊受大神(とようけのおおかみ)を勧請し、地主神である金山彦神(かなやまひこのかみ)と共に鎮祭されたのが始まりという。文明元年(1469)金谷の海中から引き上げられたと伝わる直径1.6m,厚さ11cm,重さ1.57tの大鏡鉄(県指定文化財)を神体とする。大鏡鉄は製塩をするための平釜と推定されている。
(北海道夕張市本町 2013年5月1日)
昭和38年(1963)に竣工されたRC造4階塔屋付、客席580のホールを有する文化施設である。昭和46年(1971)夕張鉄道廃止に伴い1階の夕張本町駅は閉鎖され、昭和60年(1985)に至って駅構内の一部がシネサロンに改修されたが、外側は国鉄夕張支線の夕張駅が福住から移転され、平成2年(1990)三代目夕張駅に移転されるまで使用された。平成19年(2007)夕張市の財政再建団体移行により閉鎖されたが、特定非営利活動法人の管理により再開され、間もなくネーミングライツにより「アディーレ会館ゆうばり」となった。(2015年耐震性を理由に再閉鎖)
(北海道夕張市末広 2013年5月1日)
平成2年(1990)リゾート施設マウントレースイ開業に伴い、夕張市役所に隣接する二代目夕張駅から移転され、夕張支線の路線延長も-0.8kmとなった。当初は上記施設企業が管理していたが、平成14年(2002)事業撤退により夕張市管理となった。然しながら、平成19年(2007)夕張市の財政再建団体移行によりその後は管理先が転々としている。(2019年夕張支線廃止に伴い廃駅)
(神奈川県逗子市久木)
浦賀道沿いに五基の庚申塔がある。右から角柱形日月青面金剛三猿庚申塔で、安永九子天(1780)九月吉日、久野谷邑の文言がある。二番目は舟形三猿像。三番目は角柱形日月青面金剛邪鬼三猿像で、安永七戌戌年(1778)十一月吉日とある。四番目は角柱形日月、帝釋天王文言三猿像で、天保三年壬辰(1832)三月吉日と刻まれている。五番目は角柱形日月、南無妙法蓮華経文言三猿像で、天保三壬辰年(1832)正月吉日とある。
(札幌市豊平区中の島2条 2013年4月30日)
明治10年(1877)中の島1条の木の根元に開拓者が祠を祀ったのが始まりという。祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)、稲倉魂命(いなくらたまのみこと)、水波能売神(みずはのめのみこと)を祀る。その後、現在地に社殿が造営された。戦後になり、道立水産孵化場から弁天宮命(べんてんぐうのみこと)が合祀された。神木は樹齢二百年とされる二本のハルニレである。

(神奈川県逗子市久木)

























お猿畠の大切岸の下方には日蓮宗法性寺がある。文応元年(1260)日蓮が松葉ヶ谷法難の際、山王大権現の使いである白猿が日蓮を岩窟に導き助けたのが、祖師堂横の岩窟と伝わる。元応二年(1320)日蓮の弟子日朗が死去し、この地に葬られ、法性寺が創建された。祖師堂前には日朗の墓標が納められた廟がある。


























(神奈川県逗子市久木 国指定史跡)

















名越切通の支道沿いには、長さ800m,高さ10mにわたって人工的に抉られた岩壁がある。鎌倉幕府が三浦氏の攻撃から守るために築いた切岸と伝えられていたが、平成14年(2002)の発掘調査によって石切場であったことが確認された。


















(奈良市登大路町 2012年10月26日)
昭和40年(1965)建築家片山光生によって設計された、RC造6階地下2階塔屋付、延床面積29,214㎡のモダニズム様式の庁舎である。建設業協会賞、公共建築百選に選定されている。