中山道伏見宿から兼山道を通り、この地に差し掛かる。兼山は、平成17年の合併までは日本で二番目に面積の狭い町であったが、城下町時代に整備された木曽川の水運で栄え、明治22年(1889)に町制を施行し、明治18年(1885)には木造三階建ての兼山小学校を建てるなど、豊かな町であった。
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現在の木曽川兼山ダムの南から兼山の町並みは始まり、寛永十九年(1642)建立の戸立観音堂、大通寺、森立寺(しんりゅうじ)、可成寺(かじょうじ)、西念寺等の仏閣がある。この内、臨済宗補陀山大通寺は、永正二年(1505)創建で、斎藤氏金山城築城以前からの寺であり、詳細な由緒は伝わっていないが、土岐氏支配の地と関わりの深い「大通寺」が各地にあり、興味深いものがある。また、永禄十年(1567)金山城主森長可の乳母「お立」が、森可成に頼んで創建したという法華宗妙法山森立寺や、元亀元年(1570)に戦死した森可成の菩提を弔うため、可成室の妙向尼が創建した臨済宗大龍山可成寺等、この地を支配した人物たちの歴史を伝える場所が、町並みの中に存在している。
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(戸立観音堂 市指定文化財)
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(大通寺) (森立寺)
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