flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

市ヶ谷台

2010-05-31 00:00:58 | 漂い紀行
 出張で東京市ヶ谷にやってきた。この辺りは起伏が激しく、水平なところがないといってもよいくらいである。
 市ヶ谷台は市ヶ谷でも最も高い丘であり、周囲が見渡せる場所であった。そのため、江戸時代には尾張藩上屋敷が建てられた。明治に入ると陸軍参謀本部ができ、米軍接収を経て自衛隊駐屯地、平成12年からは防衛省となっている。
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北会所と教授館跡

2010-05-30 00:00:38 | 城郭・城下町
(高知市追手筋)
 土佐藩八代藩主山内豊敷(とよのぶ)が宝暦十年(1760)北会所に教授場を創設したのが始まりである。九代豊雍(とよちか)のとき、藩校教授館(こうじゅかん)と改められた。藩士の谷真潮、戸部良煕、宮地春樹などが教授となり、朱子学を中心に藩士の教育にあたったという。
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建仁寺

2010-05-29 00:00:56 | ほとけのいおり

(臨済宗東山建仁禅寺 京都市東山区小松町)
 建仁二年(1202)源頼家によって創立された寺院である。
(旧遠江安寧寺三門)  (明和二年建造法堂)(摩利支天堂:室町時代)

(関連記事:建仁寺界隈

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薫風の名古屋

2010-05-28 00:00:47 | 漂い紀行
 五月といいながら、寒暖の激しさにより季節感の薄い今日この頃である。
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山内容堂誕生地

2010-05-27 00:00:17 | いにしえの人びと
(土佐藩十五代藩主山内豊信(とよしげ) 高知市追手筋)
 幕末の四賢侯(薩摩藩島津久光・越前藩松平慶永・宇和島藩伊達宗城)と呼ばれた容堂は、文政十二年(1827)山内南家豊著(とよあきら)の側室の子としてこの地で生まれた。山内本家十四代藩主豊惇に嗣子が無かったため、豊信(後の容堂)が後を継いだ。容堂は公武合体論を持論としていたため、吉田東洋暗殺事件等もあり、尊王論を掲げた土佐勤王党の武市瑞山を切腹させる結果となった。幕府が衰退する中、坂本龍馬の大政奉還の建言を後藤象二郎から進言された容堂は、徳川慶喜に建白し、大政奉還は実現となった。
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祇園

2010-05-26 00:00:19 | 漂い紀行
(京都市東山区祇園町)
 八坂神社(祇園神社)の門前町として栄えた町であり、花街としても有名なところでもある。
 
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梅雨の走り

2010-05-25 00:00:02 | kourei-ki-日記-
 寒暖の差が激しい今日この頃。
 梅雨末期のような激しい長雨が降り、いたるところしっとりとした光景となった。
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桂浜

2010-05-24 00:00:49 | 海道・みなと
(高知市浦戸)
 龍頭岬と龍王岬の間にあるのが桂浜の本浜である。かつては勝浦浜といい、訛って桂浜となったとされる。背後には長宗我部元親が築き、山内一豊が高知城を築くまで浦戸城が存在した。龍王岬には龍宮神社の小さな社殿があり、城跡の前には坂本龍馬像が太平洋を眺めている。
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八坂神社

2010-05-23 00:00:21 | かみのやしろ
(祇園神社 京都市東山区祇園町 旧官幣大社 素戔嗚神社本宮)
 創立に関して一番古い伝承として、斉明天皇二年(565)高句麗の使者、伊利之(イリノ)が、新羅牛頭山に祀られている仏教守護神牛頭天王(化身:素戔嗚尊:スサノオノミコト)を八坂に祀ったのが始まりという。以後、明治元年の神仏判然令まで、神社であり寺院でもある神仏習合が続いた。
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上長山

2010-05-22 00:00:37 | ご近所漫ろ歩き
(愛知県豊川市上長山町)
  本宮山から延びる舌状台地の形状から長山と呼ばれるようになった。上長山の「上」は、同じ旧宝飯郡内に存在した別の長山(下長山)に対して付けられたものである。
  鎌倉時代には藤原氏が、室町時代には細川氏がそれぞれこの地に居住し、土地の名を取って長山氏と名乗っている。
  私が子どもの頃から慣れ親しんでいるこの地は、第二東名建設により大きく変わろうとしていた。
  
(工事用道路が付けられた本宮山麓)
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武市瑞山殉節之地

2010-05-21 00:00:49 | いにしえの人びと
(高知市帯屋町)
 尊王攘夷を掲げた土佐勤王党を率いる武市(たけち)瑞山(通称半平太)は、文久三年(1863)の政変後、山内容堂によって投獄され、獄中闘争の末慶応元年(1865)この地で切腹した。
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霊山観音

2010-05-20 00:00:07 | 大きな仏さま
(京都市東山区高台寺下河原町)
 高台寺の南隣に安座する、鉄骨造吹き付けコンクリート打工法(法面、トンネル内面で施工されるショット工法)、高さ24mの観音像である。昭和30年(1955)第二次世界大戦犠牲者の冥福を祈念するため建立され、宗教法人が設立された。
             
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長山白鳥神社

2010-05-19 00:00:44 | かみのやしろ
(白鳥大明神 愛知県豊川市上長山町火防)
  本宮山から発する宝川と白鳥川(三手川)の間に鎮座する神社である。祭神は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)であり、慶長十八年(1613)の棟札に「本願彦坂四良衛門(東上代官所彦坂九兵衛の弟)奉造立新社白鳥大明神」がある。
 
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野中兼山邸跡

2010-05-18 00:00:52 | 城郭・城下町
(土佐藩家老野中良継屋敷跡 高知市丸の内)
 野中兼山は、元和元年(1615)に姫路で生まれた。山内家と縁があり、儒学者であって、土佐藩政の改革を行った。然し、厳しい政策により反感を買って弾劾され失脚、宿毛で幽閉され、寛文三年(1664)に生涯を終えた。
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圓徳院

2010-05-17 00:00:45 | ほとけのいおり
(京都市東山区高台寺下河原町 庭:国指定名勝)
 慶長十年(1605)豊臣秀吉の正室、北政所(ねね)の甥、木下利房が伏見城の化粧御殿と前庭をこの地に移築し、自らの号をとって圓徳院としたのが始まりである。高台寺の塔頭(たっちゅう:末寺)であり、木下家の菩提寺でもある。北政所が晩年を過ごした寺院である。
            
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