flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

板垣退助像

2022-07-31 00:00:00 | いにしえの人びと
(栃木県日光市上鉢石町 2014年7月10日)
 明治元年(1868)の戊辰戦争の戦火から日光を守ったとして、その遺徳を讃えて昭和4年(1929)に建立された。戦時中に金属供出されたが、昭和42年(1967)に再建されている。
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御幸の浜

2022-07-30 00:00:00 | 海道・みなと
(神奈川県小田原市本町・浜町)
 相模湾の早川から山王川までの海岸を御幸の浜という。明治6年(1873)明治天皇、皇后がこの海岸で漁夫の地引き網を天覧されたことに由来する。











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通洞鉱山神社

2022-07-29 00:00:00 | かみのやしろ

(栃木県日光市足尾町通洞 2014年7月9日)
 大正9年(1920)足尾鉱業所がこの地に移設された際、山の神である大山祗命(おおやまづみのみこと)と金山彦命、金山姫命を祀る通洞鉱山神社が創建された。小さな狛犬は寛保三年(1743)旧社に奉納されたものである。

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小田原浜町

2022-07-28 00:00:00 | 街道・宿場町
(神奈川県小田原市浜町)
 市街地の海側、東海道沿いの海岸に面する一帯を浜町という。かつては新宿町(しんしくちょう)、万町(よろっちょう)、唐人町、青物町等の江戸時代からの地名があったが、昭和41年(1966)行政地名として浜町となった。然しながら、昭和60年(1985)以降、歴史的地名碑保存事業により旧町名が表記されるようになった。









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渡良瀬渓谷

2022-07-27 00:00:00 | 水のほとり
(栃木県日光市足尾町・群馬県みどり市 2014年7月9日)
 標高2,144mの皇海山(すかいさん)より発する利根川支流の一級河川である。渡良瀬(わたらせ)の語源は、平安時代初期、日光山を開山した僧勝道が川を渡るのにちょうど良い浅瀬があったことによる。明治時代以降は足尾銅山の鉱毒ガスによる公害がもたらされた。
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カーボン山

2022-07-26 00:00:00 | ふるさとの木々
(横浜市港北区菊名)
 第一カーボンという企業の所有であったこの地は、当時から八重桜の名所としてカーボン山と呼ばれていた。平成13年(2001)不動産開発業者に売却されマンション建設が計画されたため、住民らにより反対運動が起こされた。平成17年(2005)横浜市により買収され公園整備が始まり、平成22年(2010)菊名桜山公園として開園されている。





















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前橋駅

2022-07-25 00:00:00 | RODEN-哀愁のRailway-
(群馬県前橋市表町 2014年7月8日)
 明治22年(1889) 両毛鉄道(1909-両毛線)の駅として開業した、群馬県都の代表駅である。然しながら、昭和61年(1986)高架化により県都玄関口を考慮した意匠の駅舎が取り壊され、駅周辺の開発も滞っているため、他県に類を見ない殺風景な県都代表駅となっている。
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砧大塚

2022-07-24 00:00:00 | いにしえの人びと
(東京都世田谷区砧公園)
 砧公園の南端に盛り土がある。かつては南隣の東名高速道路の位置に存在したが、昭和42年(1967)現在地に移築復元された。当初は古墳とみられていたが、昭和34年(1959)の発掘調査によって中世の祭壇であることが検証されている。
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高崎ショッピングデパート跡

2022-07-23 00:00:00 | STRUCTURE-構造物残影-
(群馬県高崎市八島町 2014年7月8日)
 昭和50年(1975)に築造された、RC造7階地下1階塔屋付、延床面積13,523m2の商業施設である。核テナントは開業当初、ニチイ高崎店であり、昭和61年(1986)ブランド名変更により高崎サティとなり、平成8年(1996)高崎ビブレへと業態変更された。然しながら、建物老朽化と売上減少、再開発により平成26年(2014)閉店、同年解体が開始された。
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春の砧公園

2022-07-22 00:00:00 | ふるさとの木々
(東京都世田谷区砧公園)







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鏑川

2022-07-21 00:00:00 | 水のほとり
(かぶらがわ 群馬県富岡市 2014年7月8日)
 長野県佐久市と群馬県下仁田町の境である標高1,375mの物見山より発し、高崎市で烏川に注ぐ、延長59km,利根川水系の一級河川である。
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第六天の森跡

2022-07-20 00:00:00 | かみのやしろ
(東京都世田谷区岡本)
 東名高速道路の側道が湾曲している場所がある。この場所にはかつて第六天神社の石祠があり、それを囲むように小さな森があった。第六天とは仏教における六道の一つである天上界の中にある六欲天の最高位、他化自在天(たけじさいてん)をさす。別名を第六天魔王波旬といい、仏道修行を妨げる天魔という存在であり、神仏習合時代に神社として主に東日本地域で多くみられた。この岡本の第六天もその一つで、江戸時代に森を伐採しようとしたところ多くの事故が起き、高度成長期の開発においてもその慣習により、道路や宅地にせずそのまま敷地を残している。然しながら、石祠は昭和39年(1964)岡本八幡宮境内に遷座させ、神木はそのまま残されたが、近年になり根元を残し伐採された。





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旧富岡消防団屯所

2022-07-19 00:00:00 | 木のたてもの
(群馬県富岡市富岡 2014年7月8日)
 昭和6年(1931)に築造された、木造2階望楼付の詰所である。戦後は時計店となった。(2019年解体)
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岡本いこいのもり緑地

2022-07-18 00:00:00 | ふるさとの木々
(東京都世田谷区岡本)
 国分寺崖線上の住宅地にある小さな緑地は、寄贈された民家の庭を平成13年(2001)都市緑地として整備した、面積1,135m2の緑地である。訪れたときは、敷地の拡張整備が行われているところであった。





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毛呂駅

2022-07-17 00:00:00 | RODEN-哀愁のRailway-

(埼玉県入間郡毛呂山町岩井 2014年7月8日)
 昭和8年(1933)鉄道省八高南線(翌年八高線)の駅として開業し、駅舎は当時のものである。

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