(愛知県海部郡弥富町前ヶ須新田 2002年9月15日)
昭和43年(1968)に築造された、RC造6階塔屋付の住居兼テナントビルである。1階は商業テナント、2,3階はオフィス、4階から6階は賃貸マンションであった。昭和59年(1984)11月5日、6階の一室でLPガスによる爆発が発生し、周囲約300mに被害を出した。部屋は窓枠や壁の一部が吹き飛び、以後そのまま放置された。住人は、順次同ビル所有の他のマンションに移ったが、階下の商業テナントはその後も営業し続けた。(2003年解体)
(東京都港区赤坂)
備後三次藩浅野氏屋敷跡に建つ夜の神社を訪れる。社伝によると、天暦五年(951)近隣の一ツ木に祀られたのが始まりという。享保十四年(1729)徳川吉宗が三河岡崎藩主水野忠之に命じ、現在地に社殿を造営した。
(愛知県宝飯郡一宮町東上 1992年2月16日)
奈良時代の条理制地割りによって水田が形成された際に築造された水路は、本宮山を源とする宮出川や境川から灌漑目的で分水した水を源とし、その他和久地池からの流れ、滝平付近の清水を集めた小川である。平成元年、豊川右岸堤防築造の際に、水路河口を排水樋門化し、「シャラ川」の表記が成された。当初「シャラ」は源流付近にある三昧場(火葬場)の髑髏(シャレコウベ)及び舎利(シャリ)、付近の地質をさす砂原(サハラ)等を由来と想像したが、実際は樋門設置の際に、付近に住む生徒による命名であることが分かった。
(愛知県豊橋市多米町北田 2003年5月3日)
豊川用水に面する山の斜面を造成して開業したRC造3階の和食料理店である。料理は2階・3階それぞれミニチュアSLに牽引された新幹線風車両に載せられて各個室に運ばれた。立地条件に対し規模が過大であったため維持コストが負担となり、昭和60年(1985)廃業となっている。(2014年解体)
(神奈川県鎌倉市雪ノ下)
鶴岡八幡宮の北に「只管打坐」(ただひたすらに坐る)と刻まれた石碑がある。曹洞宗開祖道元は、鎌倉幕府第五代執権北条時頼や波多野義重の招きに応じて宝治元年(1247)鎌倉に下向し教化を行った。平成14年、道元七百五十回大遠忌を記念して建立された碑である。
(玉川図書館 石川県金沢市玉川町 国登録有形文化財 市指定保存建物 2007年4月5日)
大正2年(1913)に築造された、煉瓦造2階建、延床面積6,337m2の回廊式建築物である。昭和47年(1972)日本専売公社金沢(C-1)工場が市南西部米泉町に移転し、昭和54年(1979)金沢市立図書館別館として利用するのを機にRC補強された。現在は玉川図書館近世史料館として利用され、昭和23年(1948)に前田育徳会から寄贈された旧藩史料の「加越能文庫」を中心に所蔵されている。
(四高 石川県金沢市広坂 国指定重要文化財)
明治24年(1891)竣工の煉瓦造二階建、建物面積2,049㎡の校舎である。昭和24年(1949)からは金沢大学理学部、そして金沢地方裁判所として使用され、昭和42年(1967)に石川県立郷土資料館、昭和61年(1986)には石川近代文学館として使用され、今に至っている。
(東京都千代田区鍛治町・中央区日本橋本石町)
旧竜閑川を跨ぐJR白旗橋のガード下、戦後埋め立てられた竜閑川跡に立ち並んだ飲食街である。東北新幹線や上野東京ライン増設によって改修、縮小され、この先は耐震工事により姿を消す。