(東京都板橋区本町 2013年2月16日)
中山道沿いに生える縁切榎は、江戸時代中期に旗本近藤貞用の抱屋敷の邸内社であった第六天神(他化自在天(たけじさいてん))の神木であったが、いつの間にか縁切榎と呼ばれるようになった。当地の庄屋飯田家の文書には、文久元年(1861)徳川家茂に降嫁する皇女和宮下向の際、この榎を避けるため、中山道の迂回路が造られている。明治17年(1884)板橋大火により焼失し、その後二代目が植えられたが、昭和47年(1972)開発により伐採され、かつての場所から旧中山道を挟んで向かい側に三代目が植えられ、第六天神の祠も遷座された。
中山道沿いに生える縁切榎は、江戸時代中期に旗本近藤貞用の抱屋敷の邸内社であった第六天神(他化自在天(たけじさいてん))の神木であったが、いつの間にか縁切榎と呼ばれるようになった。当地の庄屋飯田家の文書には、文久元年(1861)徳川家茂に降嫁する皇女和宮下向の際、この榎を避けるため、中山道の迂回路が造られている。明治17年(1884)板橋大火により焼失し、その後二代目が植えられたが、昭和47年(1972)開発により伐採され、かつての場所から旧中山道を挟んで向かい側に三代目が植えられ、第六天神の祠も遷座された。
(東京都板橋区板橋 2013年2月16日)
中山道板橋宿の真言宗観明寺は室町時代初期の創建とされるが、本尊の聖観音像は平安時代後期の作とされる。延宝五年(1677)に再興され、境内の稲荷神社は明治維新後に近隣の加賀藩下屋敷から遷座されたものである。
(東京都千代田区神田和泉町)
大正11年(1922)に築造された、RC造2階地下1階塔屋付、延床面積453m2の日本初の下水道ポンプ場施設である。竣工翌年には関東大震災が発生し、付近の住民達はこのポンプ所を水で火災の延焼を防いだ。