(神奈川県三浦市三崎町小網代)
相模湾及び油壺湾に面するこの城は、宝治元年(1247)三浦氏庶家の佐原盛時によって築城されたと伝わる。盛時の母は三浦氏と敵対関係にあった北条泰時の前妻であり、北条時氏は異父兄であった。その盛時が宝治の戦いで北条氏により滅びると、三浦を名乗ってこの地を本拠とした。然し、永正十三年(1516)伊勢盛時(後の北条早雲)によって三浦氏は再び滅ぼされ、新井城は落城となった。
(愛媛県今治市阿方字坪内甲 2007年12月21日)
四国八十八ヶ所霊場五十四番札所延命寺に隣接する溜池である。水の少ない高縄半島に多数ある池の一つであり、堤高5.0m,堤頂長70.0m,貯水量7.0m3を測る。
(神奈川県三浦市三崎町 かながわの景勝50選13番)
三浦半島網代崎と名向崎の間のリアス式海岸である。県の避難泊地に指定されるほどほど波穏やかであり、その波の緩やかさがこの地で北条氏と戦い敗れ滅亡し、討ち死にした三浦一族の亡骸が浮かぶ水面が油の波紋のようであったことから、油壺と呼ばれるようになったとも伝わる。
(愛媛県松山市一番町 2007年12月19日)
今年開館したSRC造4階地下1階、延床面積3,123m2の博物館である。司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」を基本理念とし、秋山好古、秋山真之、正岡子規の愛媛の三人の主人公を基に構成されている。
(愛媛県大洲市中村 旧郷社 2007年12月18日)
大国主命(おおくにぬしのみこと)を祀るこの神社は、寛文六年(1666)肱川の氾濫によって流され、現在地に流れ着いたため、元禄十五年(1702)に再建された。
(東京都千代田区大手町)
大手町の一角、常盤橋街区には昭和37年(1962)に竣工した、SRC造14階地下4階、延床面積173,016m2のオフィスビルがある。高度成長期の建築としては頑丈な築造をしており、長らく著名会社のオフィスを担ってきたが、常盤橋街区の再々開発により日本一の高さの常盤橋タワーが築造されることになった。その準備段階として平成28年に日本橋側の一部が解体されたが、大半は供用中である。現在築造中の常盤橋プロジェクトA棟完成後、日本ビルヂングは全て解体され、高さ390mの常盤橋プロジェクトB棟が築造される。
(浜松市中区鍛冶町 2007年12月15日)
昭和62年(1987)に開業した、SRC造6階地下1階、延床面積18,211m2の商業施設である。キーテナントとしてイトーヨーカドーが入居し、浜松駅前店として営業したが、工業都市故に市街地郊外化が進み、ニチイ、丸井、西武の撤退、地場百貨店の松菱倒産等、中心市街地衰退によりイトーヨーカドーも撤退し、閉鎖された。地権者や管理会社が各々再開発に向け動きをみせたが、合意が得られず放置されている。(2007年時点)
(東京都世田谷区上野毛)
上野毛駅の程近く、上野毛通りと等々力通りの角に昭和38年(1963)に竣工した、RC造6階地下1階の日本住宅公団(当時)の賃貸住宅及びテナントビルがある。高度成長期に築造されたRCビルは、いわゆる校舎のような簡素な造りが多いが、この住宅は東京オリンピックの時期に築造されたため、庇等印象的な意匠をしている。