flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去のノートから…
 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

俳聖殿

2019-02-13 00:00:00 | 木のたてもの

(三重県伊賀市上野東町 2006年4月14日)
 昭和17年(1942)松尾芭蕉生誕三百年を記念し、芭蕉像を安置するために上野城内に建造された、木造二層八角形の建築物である。設計は建築家伊東忠太であり、意匠は芭蕉の旅姿を表しているという。

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磯部家住宅

2019-01-30 00:00:00 | 木のたてもの

(静岡県庵原郡蒲原町 2006年3月30日)
 明治43年(1909)からこの地に建つ町家住宅。築造当初からガラス窓が入り、当時の日本家屋としては最先端であった。

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旧楳田医院

2019-01-28 00:00:00 | 木のたてもの

(静岡県庵原郡蒲原町 2006年3月30日)
 大正元年(1912)に築造された診療所である。平成12年に廃業した。
(2010年解体)

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旧五十嵐邸

2019-01-24 00:00:00 | 木のたてもの

(静岡県庵原郡蒲原町 2006年3月30日)
 旧東海道沿いに建つ洋風建築は明治時代に建てられ、大正3年(1914)歯科医院を開業するにあたり、町家を洋風に改築したものである。戦前までに両側が増築され現在の形になった。

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旧志田邸

2019-01-22 00:00:00 | 木のたてもの

(静岡県庵原郡蒲原町 国登録有形文化財 2006年3月30日)
 旧東海道に面する志田家は、「やま六」の屋号で醤油の醸造、販売を商いをしていた町家で、現存する建物は安政地震の翌年である安政二年(1855)に再建されたものである。現在は東海道町民生活歴史館として利用されている。

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船宿末廣

2019-01-12 00:00:00 | 木のたてもの

(静岡市清水区港町 2006年3月30日)
 明治19年(1886)清水港を利用する船員が泊まる宿として開業した。経営者は晩年の山本長五郎(清水次郎長)であり、あわせて英語塾も開設していた。明治26年(1893)次郎長は亡くなり、大正8年(1919)まで末廣の屋号であったが、その後港屋となり、昭和13年(1938)建物は近隣の鶴舞町に移築された。平成13年、建物が解体されることになり現在地に移築復元され、現在の船宿記念館が開館した。

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旧赤松家住宅

2018-11-27 00:00:00 | 木のたてもの

(静岡県磐田市見付 2006年2月21日)
 貴族院議員で海軍中将男爵赤松則良の明治時代中期に建てられた邸宅である。
             

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豪農松永家住宅

2018-11-06 23:56:00 | 木のたてもの

(旧所在地:静岡県富士市平垣)
 代官を務めた松永家の屋敷は、安政四年(1857)に建てられ、江戸末期には旗本日向小伝太の陣屋が屋敷内に置かれて小塚陣屋と呼ばれた。明治元年(1868)には明治天皇東幸にあたり小休の御座所となっている。

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樋代官植松家住宅

2018-10-31 00:00:00 | 木のたてもの

(静岡県富士市伝法 市有形文化財 2006年12月3日)
 長屋門と越屋根(採光と換気のため一段高くなった屋根)のある建物は江戸時代後期の樋代官(用水管理)の住宅である。文治二年(1186)植松家二代目、兵庫助信継が潤井川を水源とした用水路を開削し、鷹岡村、伝法村の水利に貢献した。以来植松家は代々、樋代官に任じられ用水路の維持管理を務めた。
   

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眺峰館

2018-10-29 00:00:00 | 木のたてもの

(静岡県富士市伝法 2006年12月3日)
 三階建て、正八角形の建物は、明治25年(1892)吉原西本町の料理店玄関として造られた眺峰館である。三階からの富士の眺めが良かったので、この名前が付いたという。
  

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三井家と長谷川家

2018-09-09 00:00:00 | 木のたてもの

(三重県松阪市魚町 2005年12月10日)
 松阪の豪商である両家。慶長年間三井高俊のとき、部門を捨てかつての受領名(官名)越後屋を用い商売を始めた。以後、江戸、京へと進出し、明治時代以降財閥へと成長していった。長谷川家は寛永十二年(1675)長谷川治郎兵衛政幸が丹波屋の屋号で木綿商を創業したのが始まりである。

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本居宣長旧宅

2018-09-07 00:00:00 | 木のたてもの

(三重県松阪市殿町 国指定特別史跡 2005年12月10日)
 国学者本居宣長(もとおりのりなが)は享保十五年(1730)松阪で生を受けた。生家は木綿仲買商であったが、一時紙商の今井田家に養子に出ている。その後生家の家督を継ぐが、宣長は医師を志し、それまでの家業を辞めて医師を開業した。また、賀茂真淵(かもしんえん)との関わりにより国学を研究するに至り、古事記伝や源氏物語年紀考、地名字音転用例等、多くの著作物を残し、多くの門人を抱えた。享和元年(1801)七十二歳没。旧宅は元禄四年(1691)松坂職人町に建てられ、後に魚町に移築された。明治42年(1909)松坂城二の丸跡に移築されている。
  旧宅跡
      

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旧明治用水土功事務所

2018-02-17 00:00:00 | 木のたてもの
(愛知県知立市西町神田 2005年8月28日)
 明治18年(1885)西三河を潤す明治用水の管理が愛知県から土功会に移管され、その際に碧海郡役所に隣接して同会事務所として築造された木造2階の建物である。明治23年(1890)陸軍大演習が行われた際には、明治天皇の休憩所として使用された。明治41年(1908)明治用水水利組合となり、大正3年(1914)安城町(1952-安城市)に移転、代わって愛知工芸学校として利用され、大正13年(1924)岡崎工業高校として移転、知立縫製女学校となったが、昭和6年(1931)廃校となった。昭和9年(1934)知立神社境内に移築され、以降は養生館として利用されている。
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旧奥津郵便局

2018-02-15 00:00:00 | 木のたてもの

(三重県一志郡美杉村奥津 2005年7月11日)
 山あいの木造洋風建築物。(解体済)

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平野家長屋門

2018-02-09 00:00:00 | 木のたてもの

(#森岡の家 静岡県浜北市貴布祢 2005年6月8日)
 江戸時代の豪農平野家の長屋門は江戸末期のものと推定されている。明治に入り林幹造が平野家に養子に入り、又十郎を名乗って静岡銀行の前身を築いた。平野家は平成5年に浜北市に土地家屋を寄贈し、以後市が管理しているようだが、有効活用されていないように感じる。近隣駅前に先頃開設された「なゆた浜北」に入る図書室や郷土資料室をこの敷地内で展開した方が自然の流れと感じるのだが。

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