flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

旧スチイル記念学校

2009-01-31 21:00:27 | 学びのやかた

(Former Steele Memorial Academy 長崎市南山手町)
 明治20年(1887)アメリカのダッチ・レフォ−ムド教会伝道局長スチイル博士が寄贈した資金により、東山手9番地に開設された学校の校舎である。その後、東山(とうざん)学院と改称し、昭和7年(1932)東山学院は東京の明治学院に合併した。以後、海星学園施設等に使用され、昭和49年(1974)現在地に移築された。
 

(関連記事:グラバー邸 三菱第2ドックハウス ウォーカー邸 長崎地方裁判所長官舎 リンガー邸 オルト邸

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賀茂緑地

2009-01-30 00:00:04 | ふるさとの木々

(愛知県豊橋市賀茂町神山)
 賀茂神社の南西側は、間川の流路跡を利用して菖蒲園として整備されているが、北西側は暫く放置されていた。その後、緩やかな歩みではあるが、豊富な緑を活かした公園として整備され始めた。


(関連記事:賀茂しょうぶ園2007 2008

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オルト邸

2009-01-29 00:00:08 | 木のたてもの
(長崎市南山手町 国指定重要文化財)
 慶応元年(1865)大浦天主堂建設の際に棟梁を務めた、小山秀之進が建築したウィリアム・オルトの住宅である。明治12年から15年までの間、活水学院の校舎に使われたことがあったが、後にフレデリック・エラスマス・エドワード・リンガーの暮らす住宅となった。
  

(関連記事:グラバー邸 三菱第2ドックハウス ウォーカー邸 長崎地方裁判所長官舎 リンガー邸 スチイル記念学校
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馬越長火塚古墳 2009

2009-01-28 00:00:23 | いにしえびとの睡
(愛知県豊橋市石巻本町紺屋谷 県指定史跡)
  近年、確認調査が続けられている長火塚古墳である。
  

(関連記事:馬越長火塚古墳1990 口明塚南古墳
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リンガー邸

2009-01-27 00:00:27 | 木のたてもの
(長崎市南山手町 国指定重要文化財)
 明治2年(1869)この地に建てられたとされるリンガー邸は、木造石壁平屋建、350.8㎡の瓦葺に欧風意匠を持つ建物である。英国人貿易商フレデリック・アーサー・リンガーと、次男のシドニー・アーサー・リンガーが第二次世界大戦が始まるまで暮らしていた住宅であり、昭和40年(1965)長崎市が買収した。


(関連記事:グラバー邸 三菱第2ドックハウス ウォーカー邸 長崎地方裁判所長官舎 オルト邸 スチイル記念学校
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口明塚南古墳発掘調査

2009-01-26 00:00:31 | いにしえびとの睡

(馬越紺屋谷古墳群 愛知県豊橋市石巻本町口明塚)
  長火塚古墳の西に位置する円墳である。私が子どもの頃から知る古墳であり、付近では口明塚と呼ばれていることから、過去には石室が開口していたものと想像できる。その後の耕作によって墳頂が平らになり、クリスマスケーキ及び切り株形となっている。この日は、発掘調査が行われていて、古墳の基部及び墳丘の確認調査が開始され始めたときで、トレンチから葺石及び石材が検出されていた。
(長火塚古墳から望む)   

(関連記事:口明塚南古墳昭和57年

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旧長崎地方裁判所長官舎

2009-01-25 00:00:45 | 木のたてもの
(長崎市南山手町)
 明治16年(1883)上町の長崎会所(貿易役所)跡地に建造された二階建の木造建築である。昭和54年(1979)に現在地に移築された。

(関連記事:グラバー邸 三菱第2ドックハウス ウォーカー邸 リンガー邸 オルト邸 スチイル記念学校
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三上遊水地

2009-01-24 00:00:49 | 水のほとり

(愛知県豊川市三上町・豊橋市賀茂町・石巻小野田町)
 とよがわ左岸の間川が合流する地点は、古くから堤防が不連続となっている場所である。これは霞堤といい、増水時に堤防にかかる負荷を抑えるのと、水を一時的に逃がすことで流水量を抑え、且つ排水を容易にする役割を持つ中世からの知恵である。このような地点は、左岸では豊川市金沢町、豊橋市下条町、牛川町でもみられる。現在は霞堤も少なくなり、堤防も高くなったが、台風などの増水時には、その役割を確認することができる。
(微高地の名残)(賀茂霞堤)(間川左岸霞堤防)

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ウォーカー邸

2009-01-23 00:00:52 | 木のたてもの
(長崎市南山手町)
 海運業R・N・ウォーカー商会を設立したロバート・ネール・ウォーカーの次男、ウォーカー・ジュニアの住宅である。明治中期に建てられた平屋建和洋折衷建築で、大浦天主堂に隣接した場所に存在したものを、この地に移築したものである。

(関連記事:グラバー邸 三菱第2ドックハウス 長崎地方裁判所長官舎 リンガー邸 オルト邸 スチイル記念学校
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Towers Lights ’08‐’09

2009-01-22 00:00:21 | illuminated

(名古屋市中村区名駅)
 今年も名古屋駅セントラルタワーズの壁面やテラス、ガーデンで行われた。今回のテーマは「輝きの絵本の世界へ、ようこそ」 であった。

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旧三菱第2ドックハウス

2009-01-21 00:00:06 | 木のたてもの
(長崎市南山手町)
 曇天のなか、グラバー園最高所に存在する第2ドックハウスに向かった。この建物は、三菱長崎造船所第2ドックに船が修理で入っている間に、乗組員が宿泊する施設であった。明治29年(1896)に建てられた木造二階建の洋館であり、昭和47年(1972)長崎市に寄贈され、この地に移築されたものである。
(長崎造船所方面を望む)


(関連記事:グラバー邸 ウォーカー邸 長崎地方裁判所長官舎 リンガー邸 オルト邸 スチイル記念学校
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柑子村古屋敷

2009-01-20 21:00:21 | 城郭・城下町
(権田屋敷 愛知県豊川市柑子町五反田)
 柑子(こうじ)村鎮守である出雲神社北側に位置し、大村井水(松原用水)に沿った場所に存在した屋敷跡である。吉田城主池田輝政臣である鋤柄百度(ずんど)右衛門及び権田織部(権太泰長か)が住した屋敷という。
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グラバー邸

2009-01-19 00:00:00 | 木のたてもの
(長崎市南山手町 国指定重要文化財)
 大浦教会からグラバー園に差し掛かる頃には、小雨が降り出した。周囲の人たちは「今日は雨が降るなんて言ってなかったよね」と口々に言っていた。また私の負の能力が働いたのか?と思わせた。
 グラバー邸は、文久三年(1863)に建築された、貿易商トーマス・ブレーク・グラバーの住宅である。その後、昭和14年(1939)長崎造船所の所有となり、昭和32年(1957)同所の百周年を機に長崎市に寄贈された。
       

(関連記事:三菱第2ドックハウス ウォーカー邸 長崎地方裁判所長官舎 リンガー邸 オルト邸 スチイル記念学校
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笹子古墳

2009-01-18 22:00:32 | いにしえびとの睡
(愛知県蒲郡市大塚町笹子 1999年1月16日)
 現在古墳は跡形も無く、畑の一角に供養のための石祠と、石室の石材の一部が存在するだけであるが、大正時代までこの辺りは笹子山という丘陵地であり、前方後円墳が存在したという。その後開墾が行われ、削平された古墳からは装身具、須恵器が出土し、その副葬品は東京国立博物館に所蔵された。
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旧羅典神学校

2009-01-17 00:00:25 | 学びのやかた

(長崎公教神学校 国指定重要文化財 長崎の教会群とキリスト教関連遺産 長崎市南山手町)
 明治8年(1875)に建造されたマルク・マリー・ド・ロ神父設計の神学校が大浦天主堂に隣接して建てられている。木造煉瓦造、地上三階、地下一階で、ラテン語で講義が行われていたため、羅典神学校と呼ばれるようになった。更に北側には旧大司教館が建てられている。
  

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