flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

慈眼寺館

2013-10-31 00:00:00 | 城郭・城下町

(城屋敷 愛知県新城市中宇利字岡 1986年9月再踏)
 宇利城の居館跡とされるこの場所は、福津川に沿った低い丘陵であり、堀切、土塁の遺構を残す。また、この地をジゲンジと呼ぶことから、文明十三年(1481)宇利城を築いた熊谷重実が再興した慈廣寺と同様の経緯をもつものと推定できる。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天竜峡

2013-10-30 00:00:00 | 水のほとり

(長野県飯田市川路 国指定名勝 天竜奥三河国定公園 2002年5月25日)
 飯田に訪れるのは四年振りであるが、今回は市南端の天竜峡を訪れた。伊那盆地の終わりを迎えるこの地は、赤石山脈(南アルプス)の支脈が天竜川の流れによって侵食されてできた峡谷である。
 歸鷹崖(きようがい)
  つつじ橋
 龍角峯
 龍角峯から
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

草戸千軒

2013-10-29 00:00:00 | いにしえの人びと

(広島県福山市)
 草戸千軒町は鎌倉時代から室町時代にかけて存在した、芦田川河口に栄えた集落である。その名の通り多くの民家を有し、また瀬戸内海による交易で商業も栄えたとされるが、度重なる芦田川の洪水、流路の変遷によって次第に衰退し、寛文十三年(1673)の洪水によって壊滅したとされる。昭和36年(1961)からは芦田川治水事業に伴う発掘調査が始まり、集落の全貌がほぼ明らかになってきたことで、広島県歴史博物館では町並みの再現が行われている。
         

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弁天ヶ浜

2013-10-28 00:00:00 | 漂い紀行

(北海道釧路市)
 浦見を更に突き進むと、かつての太平洋炭礦、現在の釧路コールマインの臨港鉄道線路に差し掛かる。その向こうには太平洋があって、海岸は弁天ヶ浜と呼ばれる。これは近くに厳島神社(弁天)があるためであるという。
         

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

勝林院

2013-10-27 00:00:00 | ほとけのいおり

(天台宗魚山 京都市左京区大原勝林院町 2003年11月30日)
 三千院の北側には、承和二年(835)円仁によって開創した勝林院がる。一時衰退したが、長和二年(1013)寂源によって中興された。文治二年(1186)には天台大原別所僧顕真、浄土宗開祖法然、東大寺勧進職重源、法相宗僧貞慶、天台宝地房証真、東大寺僧明遍らで大原問答が行われている。また、近隣の来迎院と共に、声明(しょうみょう:節・音階付の経)法事が盛んな寺院とされ、私自身の僧侶時代を思い出させた

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中部天竜駅 2013

2013-10-26 00:00:00 | RODEN-哀愁のRailway-

(浜松市天竜区佐久間町半場)
 とみやまに向かう途中、25分停車の中部天竜駅を降りてみた。前回はまだ、佐久間レールパークがある頃に訪れているが、この地に訪れるようになってから、はや37年が経った。
    

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

里山辺

2013-10-25 00:00:00 | 漂い紀行

(長野県松本市里山辺)
 上高地を訪れたこの日、美ヶ原温泉に宿をとることにした。美ヶ原温泉の名は近隣の美ヶ原高原に肖って、戦後に付けられたものである。江戸時代には松本藩の御殿湯があり、歴史は奈良時代まで遡るという。
       

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夜泣石古墳

2013-10-24 00:00:00 | いにしえびとの睡

(大原古墳1号・2号墳 愛知県新城市富岡字釜石 市指定史跡 1986年9月再踏査)
 富岡西地区大原にある夜泣石古墳を久し振りに訪れた。夜泣石古墳は10基からなる大原古墳群に含まれ、3号から10号は戦後の開墾によって滅失しているが、その内の1基の石室奥壁が畑に残っている。この1号・2号墳は共に直径約18m,高さ2.5mの円墳で、横穴式石室の石材が露出、その石に対して夜泣石の伝説がある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

尾瀬 富士見峠越え

2013-10-23 00:00:10 | 水のほとり

(群馬県利根郡片品村 日光国立公園 特別天然記念物 2004年8月14日)

勾配
 竜宮から新道を上っているとき、一人の登山者が休んでいた。その登山者曰く、急な山道なので休みながら行かなきゃ無理!…と言っていた。確かにえらい。今回私は"修験者の様"と言われる様に颯爽と駆け歩いていたのだが、ここではかなりのslow down 長沢沿いに上っていくと、眼下の眺めは次第に良くなるが、峠は未だか未だかの気持ちであった。尾根上となり些か緩やかなになっていた。然しその頃には霧雨に見舞われ、予報通りの状況となりつつあった。そしてようやく、標高1905mの峠へと差し掛かったのである。峠には池があり、標高が高いのを忘れさせる。
    

小屋から 
 少し下ったところに山小屋がある。ここで暫しの休み。入ると、お茶と牛蒡の煮付けを出された。この小屋の習わしらしい。屋内は電気も辛うじてあるが、メインはランプ、そして薪ストーブがあった。
 小屋を後にし、富士見下へ。下り始めてすぐに飲料水と書かれた清水があった。触れてみると氷水の様であった。雪溶け浸透水が出ているのである。先程からの霧雨は噴霧状となり、疲れの出始めた体には心地良い。500m下った辺りから雨も止み、時折晴れ間も見せる様になっていた。富士見下を更に下る。

     

極楽後油断 
 富士見下を過ぎると、野花が多くなる。そして蝶々が乱舞する。やがて早朝降り立った南麓の戸倉に戻った。ここは温泉地でもある。小さな宿が十軒程あり、各々内湯を持っている。そのうちの片品川を見下ろすことのできる湯に浸った。 行程が早く経過してしまったため時間がやや余ってしまった。そこで谷下の川面に触れようと崖を下りた。然しダム工事中の土砂の上を歩いたため崩れてしまい、諸共滑り落ちてしまった。幸い「休日」は反射神経が○であるため、服を汚しただけで済んだ。 山の難所でも平気であるのに…。



山女登場 
 大人しくバスを待とうと夕刻間近の停留所に佇んでいた。暫くすると、単独の登山女性が話しかけてきた。この人は確か夜行のバスに乗車していた人だと思った。「時間が余りますねぇ」見るからに健脚そうで、この人も早く動き過ぎたのかと何処へ行ったのか聞くと「至仏山へ登ってきました」最初の峠から私は北に、この人は西に向かったわけである。この山は標高2200mを越える風光明眉な山である。「この辺は今迄に殆んど見て歩いてしまったので、ここしか残ってなかったのです…」 …この人は山女かもしれない…。

正体
  「私は今迄、日本百名山のうち、八十は登ったわね。この前は屋久島に行ったわ。それと北アの雪山登山も好き。次の日が仕事でも登ってしまうわ」 …完全に山女確定である。こんな大自然に浸りっ放しの女性であるが、東京池袋在住の都会人。感服致しました…に尽きる…。私とは若干次元が違う。私は雰囲気で漂う遊行人。 然しまた何れこの地に訪れてもいいかな? …とTDR自然版リピーターの気持ちが分かった様な気がした。

 そしてこの「片品」の地を離れる時がきた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福山城 平成二十五年

2013-10-22 00:00:00 | 城郭・城下町

(広島県福山市 国指定史跡 日本100名城71番)
 訪れたこのときは、福山城博物館の資料整理が行われ、復元天守は臨時閉館であった。
  重文 伏見櫓 
 重文 筋鉄御門
   
                        国有形 二ノ丸跡の旧安部和助邸
 

(関連記事:福山城平成十九年 伏見城

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浦見

2013-10-21 00:00:00 | 漂い紀行

(北海道釧路市浦見)
 幣舞橋を渡り、北大通終点のロータリーから出世坂を上がると、市街を見渡せる高台、浦見地区となる。出世坂を上がると幣舞公園があり、更には図書館、生涯学習センター(まなぼっと幣舞)がある。
           
   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大原 三千院

2013-10-20 00:00:00 | ほとけのいおり

(天台宗魚山三千院 京都市左京区大原来迎院町 2003年11月30日)
 鴨川の支流、高野川に沿って若狭街道を遡ると、比叡山の麓の里、大原である。三千院はその大原の里の一角にあり、延暦七年(788)最澄が延暦寺開創の際に円融房として始まっている。その後、近江坂本や、洛中、洛北、東山の地に移り、明治4年(1871)旧来からの阿弥陀堂、後の極楽院を取り込む形でこの地に戻って三千院と称するようになった。
       

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

漫ろ豊橋 平成二十五年秋

2013-10-19 00:00:00 | ご近所漫ろ歩き

(愛知県豊橋市)
 駅の近くを漫ろ歩いた。
 手筒の御輿
  
 暗渠化された牟呂用水上の水上ビルと道路の盛り上がり

 牟呂用水を跨ぐ東海道線、豊橋鉄道線
 
 土砂崩れによる不通で暇を持て余している373系と旧東急の1800系渥美線車両

 交番前のハードロックライブ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二度目の上高地を後に

2013-10-18 00:00:00 | 水のほとり

 台風一過の上高地を離れるときが来た。雨上がりとはいえ、透き通った水に青い空。この地の演出が最高潮に達したときである。


(関連記事:大正池 自然研究路 田代湿原 ウェストン園地

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三河国分寺跡 第2次発掘調査

2013-10-17 00:00:00 | ほとけのいおり

(愛知県豊川市八幡町本郷 国指定史跡  1986年9月7日)
 現国分寺の境内を中心に、昨年に引き続き発掘調査が行われた。
 東面築地跡K地点トレンチ 
 金堂跡前I地点北トレンチ

(関連記事:三河国分寺跡発掘調査1982年 第3次発掘調査

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする