(信玄原火踊 愛知県新城市竹広 県指定無形民俗文化財)
山県昌景墓所前方で“タイ”と呼ばれる(大松明)に点火された道行は、信玄塚に差し掛かる。
天正三年(1575)五月、設楽原で繰り広げられた合戦は、多くの戦死者を出した。
亡骸を大塚、小塚の二つの場所に埋葬し、霊を弔ったが、その年の夏、塚の辺りから群蜂が発生し、近くを通る信濃往還の往来も妨げられる程の状態になったという。
住民は、武田軍の亡霊が現れたのだと思い、川路勝楽寺の和尚が読経をして松明を焚いて供養したところ、群蜂の姿は無くなったという。これが、火おんどりの始まりとされる。その後、次第に松明も大きくなり、また囃子も合わせて行われるようになったという。
信玄塚に差し掛かると、左回りに道行し、回り終わると、大塚、小塚の間に用意された松明にも点火、火踊が始まる。開始早々はまだ火が小さいが、次第に燃え広がり大きくなっていく。そして “タイ”を戦場の光景を再現するかのように、十文字斬りを模り振り回す。辺りに灼熱の空気が流れ、踊者も見物人も、その勇ましさに酔いしれていく。
踊場周囲には大量の撮影者がいる。踊者の気持ちも盛り上げ、プラスになる部分もあるが、なかには流れを乱し、場内を動き回って邪魔をするようなマナーの悪い撮影者もいる。私は人々の大勢集まる行事に訪れた際、撮影は数枚にしておき、五感で感じる見物を大切にしたいと思っている。よって、これら催事の写真枚数は非常に少ない。
火おんどりが終わる頃、燃え上がった大松明を見ていると、落城を思わすような瞬間を感じるときがある。この熱い行事が終わると、間もなくして秋がやってくる。
(関連記事:火おんどり採火式 設楽原決戦場まつり 鍋づる万灯 乗本万灯)
私は四百年祭供養塔の正面向って右手あたりに控え、ほとんど移動せずじっとして火おんどりを最後まで見ていました。koureiとかなり近い場所に居たのかもしれませんね。
行列に付いてそのまま広場に入ったので、大勢の人の後ろになってしまいましたが、頭一つ出ていたので何とか撮れました。
私は入口付近、小塚の横の辺りでした。
以前わたしは先頭のタイの前を歩いていて頭が焦げかけたことがあります(笑)。
先のコメント、大変失礼しました。『さん』が抜けて呼び捨てにしておりました。
今年は特に多かったと聞きましたが、そうですか?
火に向かってシャッター切る人がいましたが、プラスチックが溶けそうに見えました。
事実、Tシャツに穴を開けた人はいたようですが…
この日は、混みあう&時間を踏まえて、なんと自転車で移動したので、かなり汗だくになりました。
実は火おんどりの写真を探していて貴ブログにたどり着きました。外国人にこのお祭りを紹介したいのですが私のHPで2,4,5,8番目の写真を使わせていただけませんでしょうか?kourei-flowさんからお借りしたことは表示いたします.
もしお許し頂けるのでしたらmenuのページにあるemailアドレスにお返事頂けるとありがたいのですが。
どうか宜しく御願いいたします。
写真の件ですが、私のでよければどうぞご自由にお使いください。
外国の皆さんに紹介していただけることは、とても光栄なことです。
もし、サイズなどのご要望がありましたら、ご連絡ください。
kikuko様のHPを拝見し、日本を紹介する活動にとても感服いたしました。