(東京都中央区日本橋箱崎町)
遊女高尾太夫を祀る。高尾太夫は江戸時代前期の下野国塩原塩釜村(栃木県那須塩原市)の農家の娘で、吉原の鼓楼主人が塩原で湯治をした際に、その端麗な容姿を気に入り引き取った。高尾太夫は和歌俳諧を嗜み、今に伝わる句「君は今 駒形あたり ほととぎす」を詠んでいる。芸事にも長けた高尾太夫であったが、放蕩三昧のため二十一歳で隠居にさせられた仙台藩第三代伊達綱宗が品川大井町(仙台坂)に隠居中、気に入られて金三千両で身請けした。然し高尾太夫には他に意中の人がおり、怒りを買った綱宗は大川三又(隅田川中洲)で高尾太夫は吊し切りにされ捨てられた。(諸説あり)亡骸が流れ着いた北新堀河岸のこの地で僧が弔い、後に住民が高尾大明神として祀ったのが始まりという。