(高知県香南市赤岡町)
土佐浜街道(土佐東街道)筋であった赤岡は、かつて商業の町でもあった。今も商家等が残り、かつての面影を残している。
安政元年(1854)に発生した地震により、この地は壊滅状態となり、復興するまで近隣高所の徳王子山で生活したという。その徳王子山の土壌が赤土を呈していたため、赤岡と呼ばれるようになったという。
(伊能忠敬測量地)
土佐浜街道(土佐東街道)筋であった赤岡は、かつて商業の町でもあった。今も商家等が残り、かつての面影を残している。
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安政元年(1854)に発生した地震により、この地は壊滅状態となり、復興するまで近隣高所の徳王子山で生活したという。その徳王子山の土壌が赤土を呈していたため、赤岡と呼ばれるようになったという。
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