flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

切支丹屋敷跡

2025-04-13 00:00:00 | いにしえの人びと
(東京都文京区小日向)
 寛永二十年(1643)イタリア人宣教師10人が筑前に漂着し、捕らえられて江戸送りとなり伝馬町(日本橋)の牢屋に収容された。その後、正保三年(1646)宗門改役であった下総高岡初代藩主井上政重の下屋敷(現在地)内に牢と番所を設け、そこへ収監された。これが切支丹屋敷の始まりであるが、いわゆる囚人扱いではなく、宣教しないことを条件に軟禁状態の生活を送った。寛政四年(1792)に廃止されている。
 平成26年(2014)井上家下屋敷跡及び切支丹屋敷跡に含まれる集合住宅建設に伴う小日向一丁目東遺跡発掘調査の際に3基の墓と人骨が出土し、内1人は西洋人、1人はアジア人と推定され、西洋人はジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティ神父と推定されている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小日向一丁目東遺跡

2025-04-12 00:00:00 | いにしえの人びと
(東京都文京区小日向)
 平成26年(2014)集合住宅建設に伴う発掘調査で、縄文時代早期の屋外炉、弥生時代後期から古墳時代前期、奈良、平安時代、江戸時代の建物跡遺構が検出された。この内、江戸時代の遺構は切支丹屋敷跡のものが含まれると推定される。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

霊岸島

2025-03-26 00:00:00 | いにしえの人びと
(東京都中央区茅場町)
 亀島川に架かる霊岸橋は、伝説によると寛永元年(1624)に浄土僧霊巌がその法力によって当時湿地であったこの地を陸にして霊巌寺を開山し、霊巌島と呼ばれた。然し、明暦の大火によって深川(江東区白河)に移転している。


霊巌寺と江戸六地蔵 - flow Trip -archive-

(浄土宗道本山東海院東京都江東区白河)寛永元年(1624)雄誉霊巌によって霊岸島(中央区新川)に創建したのが始まりである。然し、明暦の大火により焼失し、現在地に移転した。...

goo blog


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

阿仏邸旧跡

2025-03-18 00:00:00 | いにしえの人びと
(神奈川県鎌倉市極楽寺)
 阿仏尼は藤原定家の子為家の室で、子の為相と為相の義理の兄為氏との相続争いを鎌倉幕府へ訴えるため京から鎌倉へ下リ、月影ヶ谷のこの地へ住んだ。十六夜日記はこの京から鎌倉への道中の紀行文である。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

居木橋遺跡

2025-02-04 00:00:00 | いにしえの人びと
(東京都品川区大崎・西品川)
 目黒川に面する舌状台地、目黒台の斜面に位置し、縄文時代前期から近代に至る複合遺跡で、竪穴式住居跡、貝塚等の遺構が検出されている。出土品は土器、石器の他、貝塚内からは貝殻、蝸牛殻、獸骨、魚骨がある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日蓮辻説法跡

2024-11-01 00:00:00 | いにしえの人びと
(神奈川県鎌倉市小町)
 建長五年(1253)安房から鎌倉に移った日蓮が、この地で辻説法を行った場所と伝わる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鈴ヶ森刑場跡

2024-10-02 00:00:00 | いにしえの人びと
(東京都品川区南大井 都指定史跡)
 慶安四年(1651)から明治四年(1871)まで使われた東海道沿いの処刑場である。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

坂本龍馬飛翔の地

2024-08-06 00:00:00 | いにしえの人びと
(静岡県下田市一丁目 2014年4月27日)
 文久三年(1863)土佐藩主山内容堂が宝福寺に投宿していた際、勝海舟、坂本龍馬が下田に訪れていることを知った容堂は二人を呼び寄せた。龍馬の脱藩罪の赦免を懇願した海舟に対し、容堂は下戸の海舟に酒を酌み交わせば赦免を内諾すると提案し、海舟はそれを呑んで解決した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大貫家跡(岡本太郎生家)

2024-08-05 00:00:00 | いにしえの人びと
(川崎市高津区二子)
 大貫家は江戸時代、幕府や大名の御用商人をし、近代以降は病院を開業していた。明治22年(1889)後の小説家岡本かの子は赤坂の大貫家別宅で生まれ、二子の本宅で育った。かの子は明治43年(1910)画家岡本一平と結婚し、翌年この大貫家本宅で太郎を生んでいる。平成4年(1992)病院は廃業し、平成12年(2000)の家屋取り壊しの後、二子二丁目公園となっている。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若宮大路周辺遺跡群発掘調査

2024-07-30 00:00:00 | いにしえの人びと
(神奈川県鎌倉市小町)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニッコロ・トンマゼーオ像

2024-04-19 00:00:00 | いにしえの人びと
(Niccolò Tommaseo イタリア共和国ヴェネト州ヴェネツィア県ヴェネツィア市サンマルコ 2014年10月9日)
 サント・ステーファノ広場には、クロアチア生まれのイタリア語言語学者ニッコロ・トンマゼーオ(1802-74)の像が建つ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世騎馬像

2024-04-05 00:00:00 | いにしえの人びと
(イタリア共和国ヴェネト州ヴェネツィア県ヴェネツィア市カステッロ 2014年10月9日)
 サンマルコ港に面して、1870年にイタリアを統一したイタリア王国初代国王のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像がある。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川崎宿芭蕉句碑

2024-03-29 00:00:00 | いにしえの人びと
(川崎市川崎区日進町)
 元禄七年(1694)五月、江戸に住んでいた松尾芭蕉は、子の治郎兵衛と共に郷里の伊賀へ旅立った。芭蕉との別れを惜しむ江戸の門人の池田利牛、志太野坡、岱水は東海道川崎宿の榎だんごという店まで見送りに来た。このとき、芭蕉が詠んだ句が「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」であり、文政十三年(1830)に至り、俳人一種が師の桜井梅室に揮毫(きごう)を依頼し、現存する句碑が建立された。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

月見野遺跡群上野遺跡第3地点

2024-03-25 00:00:00 | いにしえの人びと
(神奈川県大和市つきみ野)
 目黒川沿いに位置する先土器時代の遺跡である。昭和59年(1984)東急による宅地開発の際に発見され、礫群(火焚き場)、錐(きり)、尖頭器、彫器、ナイフ形石器が検出されている。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田中大将像

2023-08-26 00:00:00 | いにしえの人びと

(山口県萩市堀内 2013年6月20日)
 元治元年(1864)萩藩士田中信祐の三男として生まれる。第26代内閣総理大臣、陸軍大将を務め、昭和4年(1929)に没し、昭和6年(1931)銅像が建立された。(金属供出により昭和38年再建)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする