(東京都文京区小日向)
寛永二十年(1643)イタリア人宣教師10人が筑前に漂着し、捕らえられて江戸送りとなり伝馬町(日本橋)の牢屋に収容された。その後、正保三年(1646)宗門改役であった下総高岡初代藩主井上政重の下屋敷(現在地)内に牢と番所を設け、そこへ収監された。これが切支丹屋敷の始まりであるが、いわゆる囚人扱いではなく、宣教しないことを条件に軟禁状態の生活を送った。寛政四年(1792)に廃止されている。
平成26年(2014)井上家下屋敷跡及び切支丹屋敷跡に含まれる集合住宅建設に伴う小日向一丁目東遺跡発掘調査の際に3基の墓と人骨が出土し、内1人は西洋人、1人はアジア人と推定され、西洋人はジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティ神父と推定されている。