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「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

飛騨 高山城

2007-07-09 00:00:32 | 城郭・城下町
(天神山城 岐阜県高山市 県指定史跡)
 高山の町並みを歩き、煥章館から高山城三の丸跡に建つ、護国神社に辿り付いた。
 高山城は、文安年間(1444-47)飛騨守護京極氏臣多賀徳言が天神山に築いたのを始まりとする。続いて永正年間(1504-20)高山外記が居城した。
 天正十三年(1585)羽柴秀吉臣越前大野城主金森長近は、三木自綱が守る松倉城を攻め、この地方三万三千石の領主となった。その際、日枝神社を城の鎮護神として城の南側に移している。そして、天正十六年(1588)金森長近は旧城跡を拡張し、山頂には三層の天守を築いたという。然し、元禄五年(1692)金森頼時は出羽上山に移封となり、元禄八年(1695)高山が天領となると、高山城は廃城となった。そして高山陣屋にその機能は移行したのである。
 明治時代に勧請された北側の豊川城山稲荷社横から登った。
標高687mの山頂は本丸跡であるが、途中の郭跡も含め、殆ど石垣が残っていない。しっかり詰まれている石垣は、近年再現したものである。廃城の際、城下に転用したものもあるのだという。実際、町並みの土台になっているところが存在する。
 城跡は公園化され、観光客は疎らであり、その殆どが地元市民の憩いの場となっている。また、城跡は県指定文化財、城山は森林浴の森100選の指定を受けており、東側中腹には、岐阜県名水50選の白雲水がある。
 北側二の丸へ下ると、大勢の市民を見かけた。
二の丸跡は児童公園となっていて、傍らに「金森長近公之像」がある。
             
続いて城跡から見えた、東麓の江名子川界隈へと足を進める。

(関連記事:郡上八幡城 三番叟

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