flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

現代人原始人化

2006-11-30 18:00:23 | 天祐語録
 ここ最近、立て続けに職務質問に遭った私。
それは全て自転車に乗っているときである。
私は大体週一ペースで自転車に乗るが、キッチリとした格好というわけではないので…
というのもあるかもしれないが、何やら鍵が付いていないから…というのが理由のようである。
私の自転車は買った当初から普通の鍵ではなく、タブレット式のワイヤーキーであったため、致し方ないのである。
「最近、この辺物騒だから…」の一言。
それでいて強面のマナー違反者に声を掛けるでもなく、不満が残る。
 以前、私が僧侶であった時期、作務衣の格好で忙しくしていると、ある施主から「忙しそうにするな!走るな!」と言われたことがあった。
その後私は色袈裟の法衣に着替えて法要の支度をしていると、「ご法師様」と頭を下げてきたのは先程の施主であった。
 人を断片的に区別、差別し、弱肉強食を誘発させている大人、社会、企業たち。
大人たちの世界を容易に見通せる現代だからこそ、子どもたちには鑑のように反映されるのである…。
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黒谷川

2006-11-30 00:00:15 | 水のほとり
 豊川市足山田町黒谷、城山の西側山腹から北山麓の谷底及び黒谷川支流の三ノ沢内にかけて、暗緑色をした岩石片が散在している。
現在はゴルフ場設置のため整地され、確認できない状態となっているが、以前は樹木が生い茂っていて、「暗い色の石が更に黒く見える石のある谷」ということで地名となり、それを川名にあてたと思われる。
 この石は、輝石、角閃(かくせん)岩、橄欖(かんらん)岩を含む斑糲(はんれい)岩(黒御影石)であり、付近の古墳の石室石材や水田地の石垣に利用されていた。

【黒谷川データ…(1)三次河川 (2)合流先…帯川 (3)河川種別…砂防・普通河川 (4)水源所在地…足山田町黒谷(本宮山西側風越峠下) (5)河口所在地…足山田町深田】(黒谷川橋梁表
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鳴海城

2006-11-29 00:00:26 | 城郭・城下町
(根古屋城 名古屋市緑区鳴海町)
 応永元年(1394)足利氏臣安原宗範によって築城された。その後、織田信秀臣山口(大内)教継が居城したが、信秀死後は今川氏臣となり、教継は織田信長によって討死した。そして、永禄三年(1560)からは今川氏臣岡部元信が居城し、桶狭間の戦い後は佐久間氏が居城、天正十八年(1580)に廃城となった。
 主郭、二の郭、三の郭まで有したという鳴海城、現在は跡形も残らないが、城の廃材の一部を、北西に隣接する東福院の山門に利用し、今も残されている。

(関連記事:大高城
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鳴海宿

2006-11-28 00:00:07 | 街道・宿場町
(東海道四十番目…名古屋市緑区鳴海町)
 鳴海宿は有松と共によく紹介されている。両地は2kmほどしか離れていないが、鳴海は旧愛知郡、有松は旧知多郡であり、有松は池鯉鮒宿との間(あい)の宿であった。
 有松ほどは往時の町屋が見られないという鳴海の町。それでも本陣一軒、脇本陣二軒、旅籠は六十八軒あったという。また、東海道前身の鎌倉街道も鳴海を通っていた。
 雰囲気で漂い、限られた時間の中で風情を求めて歩いてみた。
      

(関連記事:宮宿 鳴海城 鳴海駅仮線跡
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鳴海駅仮線跡

2006-11-27 06:00:10 | RODEN-哀愁のRailway-
(名古屋鉄道鳴海駅 名古屋市緑区鳴海町)
 10年を超える計画の遅れとなった、鳴海駅付近立体交差。
11月25日に高架切り替えされた。
私はこの駅をいつも通り過ぎるだけで、降り立ったことはなかった。
町を歩いてみると、以前列車の窓越しから見た賑わいはない。
山の手に地下鉄が開通し、人の流れが変わったのだという。
駅の利用客も最盛期の半分以下、よって商店も次第に消えていった。
ただ自動車の通行の激しさだけが、無性に気になった。
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鷲津砦

2006-11-27 00:00:41 | 城郭・城下町
(名古屋市緑区大高町)
 永禄二年(1559)織田信長が今川義元の尾張侵攻に備えて、南側の丸根砦と共に大高城に程近い丘陵に築かれた砦である。然し、翌年の永禄三年(1560)桶狭間合戦の際、今川勢の朝比奈泰能らによって攻められ落城した。
 現在は、形は崩れているものの、堀・土塁・曲輪の遺構が残り、その歴史から国指定史跡となっている。
 
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風越峠

2006-11-26 01:00:32 | 街道・宿場町

 豊川市足山田町(旧一宮町足山田)と岡崎市雨山町(旧額田町雨山)の境にある標高約400mの峠。
古来よりの道と伝えられるが、今は見失いそうな獣道のようになっている。
杣坂(そまざか)峠を越えてくる、県道377号豊川額田線へ合流する「県道382号一宮額田線」が現在正式名称の道路。雨山側は舗装道路だが、足山田側は未整備のままである。
 主要地方道豊川新城線(東上白鳥街道)から始まるこの県道は、すぐに上長山への道と分かれ、旧石器の見つかった辺りの黒谷川を沿うように上る。そして舗装道路ではなくなる。
1993年に開設されたゴルフ場の脇を、ゴロゴロとした河原石の道路を進み、次第に悪路となっていく県道。
大雨の際は沢となるのであろう、苔の生えた道。やがて黒谷2号橋という無標記のRC床板橋を渡る。
更に川沿いに急坂を暫く進むと、道路は途切れる。然しその途中で分かれる山道を登ると峠へ、途切れたところから始まる山道を登ると峠の西側、標高482m西鞍山の尾根へと続く。

山道は所々獣道を呈し、木が生い茂り暗闇が続く。
高度を上げていくと、木々の切れ間から下界が望めることがあるが、峠まで殆ど森の中である。
 
 北風の季節、左右の山並みより低くなった峠から風が流れる。これが峠の名の所以であろう。風で木々が揺れる音以外は、時折気配を現す野生動物の物音が聞こえるだけである。
      

(地域関連記事:杣坂峠 乙女川 中金城 久保城 闇苅渓谷

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「満州の青少年像」

2006-11-25 19:00:05 | kourei-ki-日記-
 愛知大学東亜同文書院大学記念センター講演会「満州の青少年像」を聴講した。
講師はハーバード大学フェアバンク東アジア研究所副所長ロナルドシュレスキー博士。
 近い時代でありながら、実はあまり詳しく知られていない戦時中の満州での日本人の姿。それを客観的に且つ、その当事者の気持ちになって伝えていた。
日本と当時の中国の間で起きた歴史を、アメリカの講師が日本語で紹介し、それを外国人研究者並びに日本人聴講者、研究者が聴き、更には中国人学生に対し、中国人が同時通訳して伝え聴いている。
 この地域とこの学校の特性を如実に感じる講義であった。

前回の講義
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三谷温泉ロープウェイ

2006-11-25 00:00:21 | STRUCTURE-構造物残影-
 三河湾に面した三谷温泉、その背後には標高約100mの弘法山がある。
昭和33年(1958)山腹の温泉地から山頂に立つ子安大師像前まで登るロープウェイが開業した。
然しながら昭和43年(1968)弘法山北側、星越峠越えの国道バイパスが開通した頃から、山に登る道路が整備され始め、利用者が減少し始めた。それにより昭和45年(1970)10月1日に名古屋鉄道に無償譲渡された。
その後も温泉地の衰退、自動車利用者が増加したことにより、昭和50年(1975)1月16日をもって廃止された。
 現在、山腹のプラネタリウムに併設されていた発着場は宗教施設となり、山頂は大師像の横方に発着場のコンクリートが残るのみである。(2005年9月12日訪)
   
(HP版:http://www.d1.dion.ne.jp/~tenyou/structure/miya-hot-spring-rope-way.htm
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岩倉街道 小田井

2006-11-24 00:00:24 | 街道・宿場町

 岩倉街道は、寛文七年(1667)に制定された、名古屋から岩倉、そして犬山に至る街道である。
枇杷島までは美濃路と重複し、その後庄内川に沿って北上、小田井に差し掛かる。
庄内川の度重なる洪水によって、次第に高くなった堤防。その上を街道は通っているが、往時よりは格段に高くなっているようである。
 二年前、庄内緑地を訪れたときとあまり変化の感じられない名古屋高速清洲線の建設途中橋を望み、過ぎると文字通り織田氏が居を構えた小田井城跡がある。
 やがて堤防は東に向きを変え、街道は「小田井坂」を下り直進、庄内川と分かれる。
坂の下からは小田井の町並みが保存されている一角があり、枇杷島市場が栄えていた頃の小田井の風情が想像できるが、中小田井駅近くの道標を最後に、往時の面影は感じられなくなってしまう。
       

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小田井城

2006-11-23 00:00:07 | 城郭・城下町

(愛知県清須市西枇杷島町小田井)
 文明十三年(1481)尾張守護斯波氏臣織田敏定が清洲城の出城として築城し、敏定の弟、久孝が居城した。久孝は、城地に神明社を創建し、土地の守り神としたという。
 天正八年(1580)頃、時の城主織田(津田)忠辰は、羽柴秀吉によって城を追われ廃城となった。
 庄内川を堀として利用した城であるが、現在、城跡は公園や宅地となり、遺構は全くみられない。古城、城並等の地名のみが往時の歴史を伝えている。


(関連記事 岩倉街道小田井
(地域関連記事:美濃路二ツ杁・土器野 二ツ杁駅ビル 枇杷島駅 西枇杷島学童専用陸橋 枇杷島駅新駅舎 西枇杷島駅 枇杷島平成二十年 撤去間近の枇杷島歩道橋

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旧陸軍第十五師団司令部庁舎

2006-11-22 00:30:50 | 木のたてもの
 明治41年(1908)愛知県渥美郡高師村(現豊橋市)に建造された木造二階建て、面積1,859㎡の軍事施設である。
 大正14年(1925)に陸軍第十五師団が廃止され、昭和2年(1927)から豊橋陸軍教導学校本部庁舎、昭和14年(1939)からは豊橋陸軍第一予備士官学校本部として使用され、第二次世界大戦後は愛知大学本館となった。
平成8年(1996)本館移転に伴い修繕工事が行われ、国登録有形文化財に指定された。
平成10年(1998)同大学記念館となり、一階は東亜同文書院大学記念センターが開設され、同大学の歴史等が展示されている。
    
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青木湖

2006-11-21 00:00:38 | 水のほとり
(仁科三湖 長野県大町市 2002年11月16日)
 中綱湖から塩の道を通り、北アルプスを背にした青木湖へ辿り付く。
面積1.86k㎡(周囲6.6km)中綱湖と同じく構造線上の断層自然湖であり、最深部は長野県の湖で最も深い58mといわれている。
 少量の沢水以外、全く流入河川が無いが、湖より農具川の流れを発し、また透明度も高いことから湖底湧水が多いのではないかと考えられている。
 それまでの静かな風の流れが一転、青木湖畔では波立つ程の風が吹いていた。風の通り道と澄んだ湖、そして新雪を頂く北アの山並みに心も洗われた。
 

(関連記事:木崎湖 アルペンエントランス くろよん
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中綱湖

2006-11-20 00:00:14 | 水のほとり
(仁科三湖 長野県大町市 2002年11月16日)
 季節の境目が見たくて、仁科三湖に程近い北アルプス線簗場駅を降り立った。
小さな駅前には数軒の民家、そして三湖の中で一番小さい面積0.14k㎡(周囲2.2km)の中綱湖がある。
青木湖から木崎湖に至る農具川の途中にある湖で、構造線上にある断層自然湖であり、最深部は12mといわれている。
 
 中綱湖畔を通る塩の道を歩き、青木湖へと向かう。

(関連記事:アルペンエントランス くろよん
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千国街道 簗場

2006-11-19 01:00:49 | 街道・宿場町
(2002年11月16日 塩の道 長野県大町市)
 千国街道とは、松本から糸魚川に至る古道である。
日本海の塩を始め、海産物を山間信州へ運ぶための道でもあった。
 この日はその途中、仁科三湖の中綱湖青木湖畔を通る道を歩く。
彩りの季節に、モノトーンの季節の到来を告げる新雪が降った日でもあった。
  
(関連記事:千国街道仁科
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