(埼玉県所沢市)
文明十八年(1486)京の僧、道興准后がこの地を訪れ、観音寺(現新光寺)でもてなし受けたことを紀行文廻国雑記の中で「野遊のあそびのさかなに山のいもそへて(添えて)ほりもとめたる野老(ところ)沢かな」と詠んでいる。この野老はヤマイモ科の植物で、所沢の由来になったとされる。





(埼玉県所沢市西所沢)
かつては入間郡小手指村であったこの地。西武線西所沢駅も大正4年(1915)小手指駅として開業していが、間もなく西所沢駅に改称される。地名としての西所沢は、昭和40年(1965)に字上新井から分離設置されている。


(秋田県鹿角市八幡平字熊沢 十和田八幡平国立公園)
八幡平(はちまんたい)西側、標高1,000mに位置する地である。後生掛(ごしょがけ)の由来は、牛方の若い男が追い剥ぎに襲われたことから始まる。巡礼中の若い女が怪我をしたこの牛方の男を見つけ、温泉に運んで傷を癒し元気になるまで介抱した。二人は恋に落ち共に暮らし始めたが、若い男には離れた地に妻子がいた。ある日、夫が生きていると耳にした妻が温泉を訪れ若い女に会った。騙されていたと知った若い女は地獄谷の大噴湯に身を投げた。妻は女の犠牲の重さに打ち拉がれ、後生で夫と再会することを願い、身投げした女の後を追った。若い男は残された子と後生をかけて二人を弔った。
(西武国分寺線・拝島線 東京都小平市小川東町)

明治27年(1894)川越鉄道の駅として開業。国分寺駅、東村山駅と並び東京都私鉄最古の駅の一つである。訪れたとき、駅舎建て替えと駅前整備が始まっていた。


(秋田県北秋田市阿仁根子)















阿仁川から支流の根子川を遡る。幅の狭い根子トンネルを潜ると根子(ねっこ)集落に辿り着くが、このトンネルも昭和50年(1975)に開通したもので、それまでは峠越えをしていた。根子川沿い、人口百人余りの根子集落は平安時代末期の平家滅亡後、一族の小池大納言家臣がこの地に隠れ住んだのが始まりという。同じくしてマタギ(狩猟)が起こり、根子は発祥の地の一つとされる。山は、熊が木の実等を食べるために木の枝を手繰り寄せて、それが堆積した熊棚と呼ばれるものがそこかしこにあり、初冬の季には葉の落ちたクロモジ、ツルウメモドキやホップ、葉が広がって枯れたワラビ等が目に入る。
















(東京都小平市小川町)
昭和48年(1973)武蔵野線開通と共に開業された駅である。構内は堀割に開設された構造となっており、平成3年(1991)大雨後に水位が上昇した地下水が壁面から流入し、三ヶ月間にわたって不通となった。


(秋田県北秋田市米内沢)
旧北秋田郡森吉町、昭和の大合併前は米内沢町であった。阿仁川沿いに点在する集落であり、米代川水系阿仁川の舟運や羽州街道から仙北に至る阿仁街道による人々の営みがあった。
この後は阿仁に向かう。
(川崎市多摩区登戸)
小田急線と南武線の乗り換え乗降客は多いが、駅周辺の賑わいは隣接する向ヶ丘遊園に軍配の上がる登戸。2029年度にかけて駅周辺区画整理と再開発により、38階建てビルを含む川崎市副都心整備が進む。




(秋田県・青森県)
久し振りの遠出である。羽田から大館能代空港に降り立った。秋田・青森共に十二年振りであるが、今回の道程はほぼ未踏の地となる。
(川崎市高津区諏訪)
多摩川右岸の沖積地に位置する、直径19.5m,高さ3.8mの円墳である。墳頂には宝暦年間(1751-64)小黒傳八が造立した富士浅間社の石祠があり、かつては多摩川氾濫時に避難所とされたという。