flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

医王池湿地植物

2009-08-31 00:00:52 | 水のほとり
(蛇越池植物群落 愛媛県今治市孫兵衛作 県指定天然記念物)
 近世に入り新田開発された地区、孫兵衛作にある医王池を訪れた。池のほとりにある湿地帯にはこの時期、サギソウ(ラン科)やミソハギ(ミソハギ科)、ツルボ(ユリ科)等が生えている。然しながら、人工的な植生がみられ、保護しなければ絶えてしまう現在の環境を感じた。
  (医王池から医王山を望む)
(人工植生のサギソウ)
(ミソハギ)
      (ツルボ)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

象の鼻

2009-08-30 00:00:57 | 海道・みなと
(横浜市中区海岸通)
 安政六年(1859)横浜港が開港した際、東波止場(イギリス波止場)が造られ、利用が増加するにつれ波止場が長くなっていった。その形が象の鼻に似ていたことから、こう呼ばれるようになったという。

 平成21年の横浜開港150年を記念し、みなとみらい21地区と山下公園の間のこの地区が整備され、「象の鼻パーク」として開園した。

 昭和61年(1986)に廃止となった山下臨港線の高架は、展望台を兼ねた遊歩道、山下臨港線プロムナードへと生まれ変わった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

IMABARI DAIMARU

2009-08-29 00:00:14 | STRUCTURE-構造物残影-
(愛媛県今治市常盤町)
 平成20年末、今治最後の百貨店が閉店した。私が初めて訪れたときは、大丸、高島屋、ダイエー、ニチイとほぼ同所に集まって開業していて、市街地黄金時代であった。然し、昭和59年(1984)瀬戸内運輸共同出資の高島屋閉店を皮切りに、ニチイの郊外(馬越町)移転(現サティ)、今治ショッパーズキーテナントのダイエーの撤退と、歯止めがかからない。
 今治大丸は、昭和37年(1962)「大洋デパート」として開業したのが始まりである。昭和48年(1973)今治大丸(大丸傘下独立会社)となり、営業を続けていたが、地域の衰退により閉店の道に追い込まれた。
 
 常盤町、旭町角に建つ、地上七階(一部九階)地下一階、売場面積10540㎡のビルの窓ガラスが、かつての賑わいを思い映すスクリーンのように寂しげに光っている。私も、ここで父や姪と買い物や食事をしたことを思い出した。市街地再開発を提唱する今治市は、この物件を援助、或いは利用者増のために、市の施設を同居させてまでも存続させたほうが、今後の動向に有利に働いたことは、想像できる範囲内だと思われたが…。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本大通り

2009-08-28 00:00:04 | 街道・宿場町
(横浜市中区日本大通)
 明治初期、「象の鼻」と横浜公園を結ぶ通りとして、イギリス人技師リチャード・ヘンリー・ブラントンによって設計された、日本で初めての西洋式街路といわれている。明治8年(1875)に「日本大通り」と名付けられ、当時は36mの道幅であったという。


(関連記事:神奈川県庁舎 横浜中央電話局 横浜商工奨励館
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今治アーケード

2009-08-27 00:00:28 | ガレリア
(新町・川岸端・常盤銀座・どんどび・本町商店街 愛媛県今治市常盤町)
 私が今治に来ると、必ず歩く商店街である。前回訪れた一昨年と比べると、明らかに衰退が進み、開いている店が圧倒的に少なくなっていた。私が6歳のとき、初めて訪れた頃はシャッターの閉まっている店など皆無だと思ったが、時世からか変わってしまっていた。本籍を今治に置く私にとって、残念で仕方がない現況である。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神奈川県庁本庁舎

2009-08-26 00:00:29 | STRUCTURE-構造物残影-
(横浜市中区日本大通 国登録有形文化財)
 日本大通に面して、昭和3年(1928)に築造された、SRC造五階、塔屋付、地下一階の建造物である。先年に発生した関東大震災を踏まえ、鉄骨を使うなど耐震構造を強化している。
  
 横浜税関本関庁舎(クイーン)、開港記念横浜会館(ジャック)と共に横浜三塔として、「キング」と呼ばれている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今治港平成二十一年

2009-08-25 00:00:35 | 海道・みなと
(愛媛県今治市)
 一年半振りの今治に到着。
海を見るとホッとするが、街は衰退が進んでいた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧横浜商工奨励館

2009-08-24 00:00:38 | STRUCTURE-構造物残影-
(横浜市中区日本大通 横浜市認定歴史的建造物)
 昭和4年(1929)横浜市建築課によって築造された、RC造四階建ての建造物である。昭和52年(1977)に一旦閉鎖され、平成9年に12階建てビル増築のために南西側の一部を解体し、隣接する旧横浜中央電話局と共に耐震補強及び補修が施され、平成12年に横浜市情報文化センター及び横浜都市発展センターとして開館している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しまなみ平成二十一年

2009-08-23 00:00:43 | 海道・みなと
(広島県尾道市・愛媛県越智郡上島町・今治市)
 二年半振りの「しまなみ海道」である。私自身の生まれ故郷ではないが、来る度に目頭が熱くなるのは何故だろう。
(尾道)
(因島大浜)
(因島)

(生口橋)
(祖母の故郷 大三島上浦)
(多々羅大橋と観音山)
(津島)
(今治 波止浜)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧逓信省横浜中央電話局

2009-08-22 00:00:26 | STRUCTURE-構造物残影-
(横浜市中区日本大通 横浜市認定歴史的建造物)
 昭和4年(1929)逓信省によって設計された、RC造四階、塔屋付、地下一階、延床面積2906㎡(旧面積)の建造物である。戦後は日本電信電話公社横浜市外電話局として使用されたが、平成9年に北西側一部を解体し、12階建てビル部分を増築、隣接する旧横浜商工奨励館と共に耐震補強及び補修が施され、横浜市情報文化センター及び横浜都市発展記念館・横浜ユーラシア文化館として開館した。
   
 私が訪れたときは、企画展として「横浜建築家列伝」が開催されていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

盆の三河国分尼寺

2009-08-21 00:00:25 | ほとけのいおり

(愛知県豊川市八幡町忍地)

      

(関連記事:三河国分尼寺発掘調査 三河国分尼寺跡史跡公園

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山下公園

2009-08-20 00:00:59 | 漂い紀行

(横浜市中区山下町)
 中村川を隔てて、港の見える丘公園北側のこの場所には、かつてフランス波止場が存在した。大正12年(1923)関東大震災によって市街地が壊滅した際、この場所は瓦礫置き場となり、それを埋め立てて昭和5年(1930)に完成したのが山下公園である。
   
 隣接して、昭和36年(1961)開港百年記念として建てられた、高さ105mのマリンタワーが存在する。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夜の牛久保

2009-08-19 00:00:00 | ご近所漫ろ歩き
(愛知県豊川市牛久保町)
 夕刻、私の両親が眠る墓を参り、その近くの神社に参拝した。


(関連記事:吉田往還牛久保 牛久保八幡宮
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フランス山

2009-08-18 00:00:29 | STRUCTURE-構造物残影-
(横浜市中区山手町)
 文久三年(1863)から明治8年(1875)まで、この地にフランス海兵隊が駐屯したことから、そう呼ばれるようになった。港の見える丘公園の南西側をイギリス軍が駐屯し、北側をフランス軍が駐屯した。
 
 明治27年(1894)煉瓦造り二階建てのフランス領事館が建設されたが、大正12年(1923)関東大震災によって倒壊した。昭和5年(1930)スイス人建築家マックス・ヒンデル設計によって再建されたが、昭和22年(1947)不審火によって焼失している。
 昭和46年(1971)横浜市が約一万㎡の同土地を取得し、港の見える丘公園の一部として整備され、平成14年からは領事館時代の遺構を調査の後、保存整備された。

 
(RC造り部分のみ残る領事館建物跡(木造部分二階~四階(屋根裏)及び塔屋部分は焼失))

(井戸水汲み上げ用の風車(再現))

(関連記事:旧英国領事館 港の見える丘の猫
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

盆の空

2009-08-17 00:00:39 | ご近所漫ろ歩き
 家の近くの空を眺めてみる。
少しずつ短くなってきた日没。
私にとって、節目を迎える年であり、私が予測する寿命も十年余りを残すのみとなった。

 「秋空」を見て、そう思うのである。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする