flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

国分寺市

2016-01-31 00:00:00 | 街道・宿場町

(東京都国分寺市)
 文字どおり武蔵国分寺尼寺の存在した国分寺市を訪れた。多摩川によって形成された、いわゆる国分寺崖線に沿った地域で、段丘や谷状地形が多く見られる。また、古代から東山道の支道武蔵路が通り、隣接各国や遠く奈良の都へも通じていた。
      西国分寺駅
  西国分寺駅武蔵野線ホーム

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三河槙原

2016-01-30 00:00:00 | 街道・宿場町

(愛知県南設楽郡鳳来町豊岡 1999年11月21日)
 かつて快速列車が停車した飯田線三河槙原駅を降りる。昭和59年(1984)列車集中制御化(CTC)によって無人化されてから、尚一層閑散とした駅周辺となったが、愛知県民の森最寄り駅であるため、子ども達で賑わうこともある。駅のあるドウデイ地区から望月街道の素掘りのトンネルをくぐると、宇連(三輪)川右岸の槙原地区である。
               宇連川の板敷川床

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

静岡鉄道

2016-01-29 00:00:00 | RODEN-哀愁のRailway-

 (静岡清水線)  東海道線の駅から離れた新静岡と新清水11kmを結ぶローカル鉄道である。明治41年(1908)鷹匠町(1954年からは新静岡に改称)-波止場(1918年に廃止、辻村(1954年からは新清水に改称)終点に短縮)が開通したのが始まりで、当初は軌道線であったが、昭和20年(1945)に鉄道線化されている。その名残によって駅間が近く、並走する東海道線との干渉は小さい。使われている車両は親会社が静岡鉄道の筆頭株主でもある東急車輛製造製1000系2両編成12本であり、また戦前の大東急時代は東急グループの一員であった。
         

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

多摩川 玉川

2016-01-28 00:00:00 | 水のほとり

(東京都世田谷区玉堤・野毛)
 玉川地区の多摩川左岸を漫ろ歩く。途中、等々力渓谷からの谷沢川が流れ込み、緑の光景と相俟って東京という場所を忘れさせる。
 玉堤の耕地
     谷沢川の合流
 対岸の川崎等々力・下野毛地区
     現在の自宅付近 背後には雲に覆われた富士

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

婆々池

2016-01-27 00:00:00 | 水のほとり

(ばば池 愛知県宝飯郡一宮町金沢字二子塚 1999年11月16日)
 金沢東山の坂の北側、「金沢の山桜」に向かう道の入口に池がある。近隣にある金沢大池や小池と同じく文化十一年(1814)の築造であり、灌漑(かんがい:供給)面積は2ha,満水面積0.3ha,貯水量5m3,堤高6m,堤長20mである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浜松鍛冶町 平成二十七年

2016-01-26 00:00:00 | STRUCTURE-構造物残影-

(浜松市中区鍛冶町)
 比較的元気な浜松駅に対して、鍛治町は若い世代が集まる町として小型店は再生したものの、大型商業施設は依然として厳しい。筆頭であった松菱百貨店の倒産、西武、丸井、ニチイの撤退、西武跡地ザザシティの不振30億の負債とパルコ進出白紙、その他家電量販店の撤退、松菱跡地の大丸進出の白紙など、負の要素を事欠かない。今年は最後まで残されていた140億円の松菱新館が解体され、広い更地ができていた。
  浜松駅前
 松菱百貨店跡
        松菱とフロアを直結させる計画であったザザシティ

(関連記事:浜松松菱平成十八年 平成二十二年

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

尾山台

2016-01-25 00:00:00 | 漂い紀行

(おやまだい 東京都世田谷区尾山台)
 奥沢と等々力に挟まれた一角である。かつては読みが同じで「小山」であったが、同じ荏原郡内の「小山:こやま」と表記上の混同を避けるため、尾山と改められている。昭和5年(1930)大井町線開業時に、玉川村大字尾山と小字台場の地名を取り尾山台駅ができ、昭和7年(1932)世田谷区編入を経て、昭和45年(1970)尾山台の行政地名が設定された。
  
 道標(荏原郡玉川・右 等々力)
   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ほの川 大村から

2016-01-24 00:00:00 | 水のほとり

(豊川 愛知県豊橋市大村町 1999年11月13日)
 ほの国(東三河)のほの山(本宮山)とほの川(豊川)。川幅が狭くなるこの辺りからは、放水路完成まで氾濫の危険が高かった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊場遺跡

2016-01-23 00:00:00 | いにしえの人びと

(浜松市中区伊場)
 蜆塚遺跡と共に、浜松を代表する縄文時代晩期から中世にかけての複合遺跡である。昭和24年(1949)に発見され、昭和29年(1954)県史跡に指定されたが、昭和46年(1971)浜松駅前整備に伴う国鉄浜松貨物駅及び電車区移転の代替地としてこの伊場遺跡付近が選ばれたため、文化財指定が解除され研究者らによる訴訟が起きている。昭和43年(1968)から開始された発掘調査によって、縄文時代から古墳時代にかけての遺構、遺物が検出されたほか、奈良時代から平安時代の遠江国敷知郡(とおとうみのくにふちぐん:1896-静岡県浜名郡)郡衙(ぐんが:郡役所)跡と推定される遺構や木簡、墨書土器を含む遺物が検出されている。現在遺跡の一部において、弥生時代の環濠、葦原、古墳時代の住居、奈良平安時代の建物跡が復元、保存されている。また、平成23年まで遺跡内に伊場遺跡資料館が存在したが、現在は蜆塚の浜松市博物館に統合されている。
  再現された掘立柱建物
  敷知郡衙跡遺構
 大溝(川)跡遺構
 弥生時代の環濠跡と背後のJR東海工場
      再現された古墳時代の住居

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たまプラーザ 美しが丘

2016-01-22 00:00:00 | 漂い紀行

(横浜市青葉区美しが丘)
 かつて港北区元石川町であったこの地は、田園都市線開業及び東急による沿線開発により美しが丘と改められ、また駅名も東急電鉄社長により「たまプラーザ」となり、港北区も分離して青葉区となった。また、たまプラーザ駅は当初横浜市営地下鉄の接続構想があったため、ターミナル規模の施設となっている。近年、駅の改良及び商業施設(たまプラーザテラス)が開業し利便性が向上した。ドラマ「金曜日の妻たちへ」では、このたまプラーザとつくし野が居住地として設定されている。
                  
 鳩のマークが残るイトーヨーカ堂
       

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御津 大草神社

2016-01-21 00:00:00 | かみのやしろ

(愛知県宝飯郡御津町大草字上竹 旧村社 1999年11月6日)
 元は村内字神田に鎮座し、大正12年(1923)火災により現在地に遷宮、字東郷の秋葉神社を合祀した。主祭神は菅原道真である。永禄二年(1559)棟札に奉造立天満宮とあり、その時期には既に存在していたことが分かる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西浜松界隈

2016-01-20 00:00:00 | RODEN-哀愁のRailway-

(浜松市南区増楽町・若林町・中区森田町)
 東海道線高塚駅から東へ向けて歩いてみる。平成の大合併までは可美村であった高塚には、村税収トップのスズキ本社があり、自社の製品の歴史を紹介したスズキ歴史館がある。更に東に進むと、臨済宗方広寺派の威徳寺と能済寺があり、傍らの東海道線も構内が広がってくる。辺りにはJR浜松工場の引き込み線や電車区の留置線があり、やがて浜松駅高架化及び駅前整備のために移転された貨物駅西浜松駅が現れる。
           

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

虎ノ門界隈 平成二十七年

2016-01-19 00:00:00 | 漂い紀行

(東京都港区虎ノ門・西新橋・千代田区霞ヶ関)
 
   特許庁前
     
    道路拡幅事業中の虎ノ門駅南地区(環二通り) (関連記事:虎ノ門界隈平成二十六年 虎ノ門平成二十六年

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年長池

2016-01-18 00:00:00 | 水のほとり

(年永池 愛知県宝飯郡一宮町大木字新道・足山田字年長 1999年10月31日)
 私が子どもの頃から馴染みのある池であり、シジミが多く生息する池でもある。新道台地の谷に築かれた溜池であり、同じ丘陵にある大沢池と同じく、明和二年(1765)に築造された。灌漑(かんがい:供給)面積は60ha,満水面積1.7ha,貯水量47.5m3,堤高7m,堤長11mであるが、新道台地に住友軽金属伸銅所が造成されて以降水脈が断たれ、今は伸銅所からの排水で水位を保ち、余剰水は二級河川帯川に排出している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小坂井 五社稲荷神社

2016-01-17 00:00:00 | かみのやしろ

(愛知県豊川市小坂井町欠山)
 菟足(うたり)神社の東に鎮座する稲荷神社である。付近には河岸段丘に沿って幾つもの湧水があり、そこに祀られていた水利のための農業神である稲荷祠、あるいは菟足神社の末社が発展したものと推定できる。社伝では、明暦年間(1655-58)現在地に保食命(うけもちのみこと:五穀神)を祀る社殿を建立し、延享四年(1747)に社殿が改築されたとあり、更に文政十三年(1830)伏見稲荷より五神(倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、太田命(おおたのみこと)、大宮姫命(おおみやひめのみこと)、保食命)を改めて勧請し、五社稲荷となったとされる。本殿は五社稲荷古墳(古墳時代中期、直径33m,高さ4.8m,周濠を持つ)と呼ばれる円墳の上に建ち、奥の院脇には主墳の陪塚(ばいちょう)とされる小さな円墳(糟塚(かすづか)古墳、直径18m)がある。昭和56年(1981)現在の本殿を改築する際に古墳の発掘調査が行われたが、主体部は既に破壊され確認できなかった。また、昭和2年(1927)愛知電気鉄道(1935-名古屋鉄道)豊橋線築堤建設にあたり、神社西側の段丘の土砂が使用され、その際に欠山貝塚が発見された。後に弥生時代後期後葉の指標となる欠山式土器が多数出土し、平井稲荷山貝塚菟足神社貝塚樫王貝塚等、豊川右岸旧海岸線における一大遺跡群を成している。
 本殿と古墳
 大鳥居

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする