flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

樋代官植松家住宅

2018-10-31 00:00:00 | 木のたてもの

(静岡県富士市伝法 市有形文化財 2006年12月3日)
 長屋門と越屋根(採光と換気のため一段高くなった屋根)のある建物は江戸時代後期の樋代官(用水管理)の住宅である。文治二年(1186)植松家二代目、兵庫助信継が潤井川を水源とした用水路を開削し、鷹岡村、伝法村の水利に貢献した。以来植松家は代々、樋代官に任じられ用水路の維持管理を務めた。
   

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小名木川

2018-10-30 00:00:00 | 水のほとり

(東京都江東区)
 天正十八年(1590)江戸城と行徳塩田(千葉県市川市)を結ぶ水運路として、中川と隅田川の間を小名木(おなぎ)四郎兵衛が開削したことから名付けられた運河である。

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眺峰館

2018-10-29 00:00:00 | 木のたてもの

(静岡県富士市伝法 2006年12月3日)
 三階建て、正八角形の建物は、明治25年(1892)吉原西本町の料理店玄関として造られた眺峰館である。三階からの富士の眺めが良かったので、この名前が付いたという。
  

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千駄ヶ谷

2018-10-28 00:00:00 | 漂い紀行

(東京都渋谷区千駄ヶ谷)
 室町時代に太田道灌が訪れたとき、谷間に栽培されている稲が千駄(馬に背負わせる沢山の稲の意)もあったので、千駄ヶ谷と名付けたとされる。現在は、東京体育館や国立能楽堂、NTTドコモ代々木ビルや建設中の国立競技場等、大規模施設が多く立ち並んでいる。

  

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伊勢塚古墳

2018-10-27 00:00:00 | いにしえびとの睡

(静岡県富士市伝法 県指定史跡 2006年12月3日)
 潤井川を越え、台地に差し掛かると、直径54m,高さ8mの円墳に対し帆立貝形の周濠を持つ伊勢塚古墳があり踏査してみることとした。日蓮宗玄龍寺の境内にある古墳は、頂には「三光天子」を祀る堂宇があり、墳丘周囲は墓地となっているが、極最近墳丘上の木々が伐採されたようだった。地面からは、タガ(突帯)の低い刷毛目調整の円筒埴輪片が散見していた。
     

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円山町界隈

2018-10-26 00:00:00 | 街道・宿場町

(東京都渋谷区円山町)
 大山街道の宿場があったこの地は、渋谷駅開業頃から花街となり、現在はラブホテルが立ち並ぶ一角となっている。その中に千代田稲荷神社があり、長禄元年(1457)太田道灌が千代田城(後の江戸城)築城の際、守護神として伏見稲荷を勧請し創建されたのが始まりという。徳川家康が江戸城入城後は西丸の紅葉山に遷座、慶長七年(1602)城郭拡張により宮益坂に移転し、千代田稲荷と称した。関東大震災により被害を受け渋谷百軒店に遷宮し、戦後になり現在地に遷座している。また、町内には昭和以前の風情が残る他、かつての三業地の名残の芸者階段と呼ばれる階段坂がある。

       

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善師野熊野神社

2018-10-25 00:00:00 | かみのやしろ

(愛知県犬山市善師野 2006年1月25日)
 冬枯れの木曽街道沿いにある熊野神社。慶長十年(1605)紀伊熊野から須佐之男命(すさのおのみこと)、家都美御子大神(けつみこのおおかみ)、 熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)の三柱を勧請したことに始まる。
          

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2018-10-24 00:00:00 | 街道・宿場町

(千葉県柏市)
 東京のベッドタウン柏を訪れた。柏の地名は、河岸(かし)が由来とされ、利根川に恩恵を受けた地である。また、水戸街道が横切るが、宿場は設けられず、鉄道の開通によって発展した地である。
   

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蘭川

2018-10-23 00:00:00 | 水のほとり

(あららぎがわ 長野県木曽郡南木曽町 2006年1月19日)
 木曽山脈の懐、標高1,844mの床浪高原より発し、妻籠で木曽川に合流する全長約17kmの一級河川である。江戸時代初期に伊那郡浪合村蘭平(あららぎ:現阿智村)の原彦左衛門の一党が大挙して木曽へ移住し、故郷の地名を川の名に付けたとされる。
     

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流山おおたかの森

2018-10-22 00:00:00 | 漂い紀行

(千葉県流山市)
 東の二子玉川と呼ばれるこの地は、平成10年に制定された流山市新市街地事業計画によって開発された。平成17年、つくばエクスプレス(首都圏新都市鉄道)、アーバンパークライン(東武野田線)の駅名「流山おおたかの森」は、かつて広がっていた市野谷の森に「オオタカ」が多く棲息していたことから、駅開業時に採用された。

   

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ふりそでの松

2018-10-21 00:00:00 | ふるさとの木々

(長野県木曽郡南木曽町読書 2006年1月19日)
 平安時代、源義仲が弓を引こうとした際、邪魔になった松を家臣の巴御前が自らの袖を振って横倒しにした松という。その後、倒れた松から芽生えたのが「ふりそでの松」と呼ばれるようになったと伝わる。(2009年枯死)

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佐倉城

2018-10-20 00:00:00 | 城郭・城下町

(千葉県佐倉市 市指定史跡 日本100名城20番)
 周囲を鹿島川、高崎川、印旛沼に囲まれた天然要塞の丘陵地に築かれた佐倉城は、天文年間から鹿島幹胤によって築城が開始されたが、幹胤が家臣に暗殺され中断。鹿島氏と同族の千葉邦胤が築城を再開したが、同じく家臣に暗殺され、その後、小田原の役で千葉氏は滅亡した。慶長十五年(1610)小見川藩(香取市)から移封した土井利勝が改めて築城を再開し、最盛期には十四万二千石となった。寛永十年(1633)古河藩に移封し、代わって豊後日田より石川忠総が入封したが、翌年近江膳所に転封。その後、摂津高槻から松平家信、信濃松本から堀田正盛、上野館林から松平乗久、肥前唐津から大久保忠朝、武蔵岩槻から戸田忠昌、越後高田から稲葉正往、山城から松平乗邑、出羽山形から堀田正亮と、目まぐるしく変わった。明治に入ると歩兵連隊となり、昭和56年(1981)には隣接して国立歴史民俗博物館が開館している。城郭は石垣を使わず、また当時から残る建物や再建された建物はない。
                                     

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D51-351

2018-10-19 00:00:00 | RODEN-哀愁のRailway-

(長野県木曽郡南木曽町読書)
 昭和15年(1940)日立製作所笠戸工場製。北陸線等で運用の後、昭和46年(1971)から中央線で運用。
 

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佐倉

2018-10-18 00:00:00 | 街道・宿場町

(千葉県佐倉市)
 水戸街道新宿(葛飾)から分かれる佐倉街道の終点であり、往時は佐倉城の城下町として栄え、丘陵地には武家屋敷が残っている。
                         

佐倉市記事:佐倉城 上勝田道祖神社 上勝田八坂神社

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神武天皇陵

2018-10-17 00:00:00 | いにしえびとの睡

(奈良県橿原市大久保町 2006年1月17日)
 畝傍(うねび)山麓、橿原神宮に北接する神武天皇陵は、円墳で直径40m,高さ3m,周濠を持つ。神武天皇(神日本磐余彦天皇:かむやまといわれびこのすめらみこと)は日向から、瀬戸内海を進み難波に上陸したが、生駒の豪族に阻まれ熊野に回った神武天皇は、三本足の「八咫烏」(やたがらす)に導かれ吉野の山から大和に入った。後に大和地方を平定し、この地にあった橿原宮で即位して、初代の天皇になった。隣接する橿原神宮は神武天皇の依り代として明治22年(1889)に創建されたものである。
     

 

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