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「漂い紀行 振り返り版」…私の過去のノートから…
 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

宇留間城

2018-07-31 00:00:00 | 城郭・城下町

(鵜沼城 岐阜県各務原市鵜沼南町 2005年10月31日)
 犬山城の対岸、木曽川右岸の岩山は永享年間(1429-40)に土岐氏臣大沢利治によって築城された城という。永禄年間(1558-70)織田信長の命により木下藤吉郎がこの城を攻め落城した。その後は犬山城主池田恒興、中川定成が入城したが、天正十二年(1584)犬山城の戦いの際、恒興が城を奪還している。
  

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都筑牛久保

2018-07-30 01:00:00 | 漂い紀行

(横浜市都筑区牛久保)
 この地方で崖の辺りを意味する牛久保を訪れる。農業が盛んな地域であるが、横浜市営地下鉄開業後は宅地化が進んだ。然しながら平成3年に開園した牛久保西公園(20,000m2)と、平成10年に開園した牛久保公園(46,000m2)があり、比較的緑の多い地でもある。

       

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犬山遊園平成十七年

2018-07-29 00:00:00 | 漂い紀行

(愛知県犬山市犬山 2005年10月31日)
 三年振りに犬山遊園駅を降りる。
       
(関連記事:犬山橋平成十四年 浣華渓 継鹿尾山 桃太郎公園 犬山モノレール車庫 モンキーパークモノレール線解体)

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橘樹有馬

2018-07-28 00:00:00 | 漂い紀行

(川崎市宮前区有馬)
 鷺沼牛久保の間を有馬と呼ぶ。有馬の地名が見えるのは北条氏臣窪田氏の所領として永禄二年(1559)の記録が最古である。地名の由来として近隣の万騎ヶ原や馬絹、石川牧(共に牧場を起因と推定)と同様に馬に由来する地名と推定されるが、近世は有間と書かれた。近年は田園都市開発により宅地化が進んでいるが、宮前梨の産地として梨畑が僅かながら残っている。

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堀江山長谷院

2018-07-27 00:00:00 | ほとけのいおり

(愛知県清須市桃栄 2005年10月30日)
 須ヶ口の町の南、上街道沿いには長谷院がある。永享年間(1429-40)真言宗の寺院として創建し、慶長十八年(1613)浄土宗に改宗されている。元文三年(1738)火災に遭い衰退するが、天保三年(1832)に再興され、天保五年(1834)尾張藩徳川斉朝が多宝塔と仁王門を寄進している。然し仁王門はその後焼失し、今は簡素な仁王門が建つ。
       

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和光新倉

2018-07-26 00:00:00 | 漂い紀行

(埼玉県和光市新倉)
 地形に起伏のある県境の地域。新倉は郡名に由来し、かつては新座郡、古代は新羅郡であった。故に新羅からの渡来人が住したことを意味する。近年は東上線の有楽町線・副都心線との直通により、更にベッドタウン化が進んでいる。

       

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恋路ヶ浜

2018-07-25 00:00:00 | ご近所漫ろ歩き

(愛知県田原市伊良湖町恋路浦 日本渚百選 日本の音風景100選47番 2005年10月3日)
 片浜十三里の西端、日出の石門伊良湖岬の間の海岸を恋路ヶ浜と呼ぶ。万葉の時代、許されぬ恋をし都から追われた二人の男女がこの浜に流れ着いた。漁師に助けられ、人目を避けるため二人は別々に暮らしたが、ある日共に病となり、互いの名前を呼びながら亡くなって、やがて貝になった。文化五年(1805)歌人林織江が「春さめに ぬれてひろはん いらご崎 恋路ヶ浦の 恋わすれ貝」と詠んでいる。また、明治31年(1898)民俗学者柳田國男がこの地に滞在した際、恋路ヶ浜で拾った椰子の実の話を島崎藤村に語り「椰子の実」の詩が生まれた。昭和11年(1936)には、椰子の実の詩に作曲家大中寅二によって曲があてられている。
 

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平河天満宮

2018-07-24 00:00:00 | かみのやしろ

(東京都千代田区平河町)
 江戸城平川門の近くに菅原道真を祀る神社がある。文明十年(1478)太田道灌が江戸城本丸内に建立したのが始まりという。徳川家康入城後、現在地に遷座した。江戸時代は紀州徳川家や井伊家の祈願所となっている。

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与志摩墓所

2018-07-23 00:00:00 | いにしえびとの睡

(三重県一志郡美杉村下多気 2005年7月11日)
 霧山城の近く、山深い場所に北畠氏臣佐々木与志摩の墓がある。

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永代橋

2018-07-22 00:00:00 | 水のほとり

(東京都中央区新川・江東区永代・佐賀 国指定重要文化財 土木学会選奨土木遺産)
 ライトアップされた隅田川のアーチ橋。関東大震災により落橋した旧永代橋に代わって大正15年に竣工した、長さ185mの下路式(アーチの下に通路がある)スチールアーチ橋である。

    

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しのんば

2018-07-21 00:00:00 | ご近所漫ろ歩き
(愛知県新城市有海字篠原 2005年7月27日)
 篠原と書いて「しのんば」と読む。豊川上流の寒狭川と宇連川が合流する右岸に広がる原である。縄文時代からの人々の営みの跡を残し、戦国時代には長篠の戦いが繰り広げられ、この篠原で鳥居強右衛門勝商が武田勢により磔死(はりつけ)にされた地でもある。そして現在この地は、第二東海自動車道(第二東名)の建設予定地となり、将来著しく風景が変わってしまうことだろう。
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富岡八幡宮

2018-07-20 00:00:00 | かみのやしろ

(深川八幡宮 東京都江東区富岡 旧府社)
 寛永四年(1627)菅原道真の裔とされる長盛法印の神託により、別当寺(神宮寺)である永代寺と共に創建されたのが始まりという。その後は徳川家により繁栄し、江戸勧進相撲が境内で行われるようになった。明治維新時には神仏判然令によって永代寺は廃寺となったが、八幡宮西側にある永代寺は、旧永代寺の塔頭(たっちゅう:境内末寺)の吉祥院が永代寺の名を引き継ぎ復活した寺である。

      永代寺

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大猷院殿霊屋

2018-07-19 00:00:00 | いにしえびとの睡

(静岡県掛川市掛川 県指定有形文化財 2005年6月7日再訪)
 昭和57年6月30日以来の掛川城を訪れ、そのときはこの霊屋を守る民家が傍にあり、話しを伺ったが、なくなっていた。徳川家光の位牌を祀る霊屋は、明暦二年(1656)北条氏重が、家光(大猷院殿)の霊牌を祀るために霊廟を掛川古城跡に建立したのが始まりである。その後、文化十五年(1818)火災で焼失し、現存するのは文政五年(1822)に再建されたものである。また、昭和56年(1981)に解体修理されている。
   

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烏森稲荷神社と庚申塔

2018-07-18 00:00:00 | かみのやしろ

(神奈川県鎌倉市山ノ内)
 横須賀線沿いには観光客が訪れないという小さな社殿がある。山の斜面がこの一角だけ残され、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を祀る。社殿前には笠付角柱型の庚申塔が2基あり、文化七年(1812)と天保二年(1831)が建立されている。

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車神社古墳

2018-07-17 00:00:00 | いにしえびとの睡

(愛知県豊橋市植田町八尻 副葬品:県指定文化財 2005年6月14日)
 梅田川左岸に鎮座する車神社には、社殿の下に後円部を持つ全長42mの前方後円墳がある。明治18年(1885)神社本殿改築の折に後円部を削平したところ、横穴式石室から銅製鈴杏葉(馬具)3点、ガラス製勾玉1点、碧玉製管玉33点、鉄製大刀1点、須恵器提瓶1点が検出された。

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