近研ブログ

國學院大學近代日本文学研究会のブログです。
会の様子や文学的な話題をお届けします。

卒論発表

2009-10-06 12:44:05 | Weblog
後期二回目の例会は、三年生の先輩方三人の卒論発表でした。
論題は以下の通りです。
室生犀星「蜜のあはれ」論―越境する囈言―(米山さん)
原民喜「行列」―生きている死者―(西山さん)
樋口一葉「にごりえ」―お力とその周辺の諸問題―(山元さん)

*室生犀星「蜜のあはれ」論―越境する囈言―(米山さん)
一章から四章までの物語が、すべて会話文で綴られているだけでなく、
その後「後記」という形で、前半の物語の書き手である語り手「私」が、
会話文の物語に言及する形で現れるという、難解な構造を持った作品です。
米山さんの論は、会話文における二人の登場人物の相互関係と、
「後記」は会話部を意味づけるフレームとしての機能に焦点を当てたものでした。
その後の質疑応答で印象的だったものは、前後半における語り手の関係についてでした。前半と後半の関係性においても重要な部分だと思います。

原民喜「行列」―生きている死者―(西山さん)
「行列」は、短編集『死と夢』に収められている作品です。
すでに死んでいる登場人物「文彦」に焦点化される語りが展開される作品で、
風変わりな作品であると思います。
西山さんの論は、作品の分析に重きをおきながらも、結論としては原民喜という
作家特有の性質などを掬い上げようとしているものでした。
質疑で気になった点は、生と死の描かれ方についてでした。
生きているときには「幽霊のやう」と言われ、死んだ後には生きているように描かれるという「文彦」からは、どのような意味が読み取れるのか。気になります。

*樋口一葉「にごりえ」―お力とその周辺の諸問題―(山元さん)
「にごりえ」は、お力の情死までを描いた作品です。
山元さんの論は、明治期の社会情勢などの同時代資料からから作品を読み解き、
結論としてもう一度社会の側に返していく発表でした。
質疑では、発表の独自性についてなどが挙げられ、やはり有名で多くの論文がある
作品は自論の展開の仕方が難しいのだなと思いました。

発表全体を通して
卒論の発表ということで、来年卒論を書くであろう人たちも勉強になるものでした。卒論の発表ということでしたが、どの発表も作品の論じ方を中心に質問が出ていたので、論文を書く場合に留まらず、近研の例会での発表、または演習やプレゼンにも活かせそうだな、と思いながら聞いていました。今後、近研で何度か発表をするので、それに活かしていきます。
以上、川邉でした。風邪が蔓延しているようですので、皆さま体調にはお気をつけ下さい。