『ランダム(Random)とは、でたらめ(乱雑)である事。
何ら法則性(規則性)がない事。』【ウィキペディア】
***
苦しみたいのか?
楽になりたいのか?
「砂を噛むような砂漠」に陰鬱になることある
一方で、今日は暇になり20時に仕事場を去りながらも、何も無い事に空白感を覚える
何かが足りない
仮想敵・闘う相手が居ないと、それで安穏とすれば良いのに

自分は徹底的なマゾ
その裏に、死への願望が潜む
***
帰り道、本屋BOに寄る
本を探すうちに疲れてしまった
「処世術」的分野の本の、まー多いこと
当たり前のことを書いた本が多い
「それが出来るなら苦労はせんわい」といったことの羅列・精神論
結果、『日本は「神の国」ではないのですか』(小学館文庫)を買う
本屋の中を1時間さ迷っていたら疲れた
いつからか自分は本なるものを、数冊平行しながら、辞書的に、ランダムに、その時気になる箇所を読む・エンピツで線を引く
そんな形を採っている
過去、教授がやっていたこと(OMIYAGEに記載)と同じことをしている
小説は、起承転結に時間を要すので、色川武大さんの「狂人日記」みたいな歴史に残る作品・引き込まれる作品しか、頭→尻迄読み通せない
現代において、リアリティ薄い小説は実に非力
興味も無い
読むに値するは、哲学・思想・歴史・ノンフィクション・評論
***
常日頃、三島由紀夫先生と楯の会の事は頭の何処かに必ずある
以下は、今日のネットでの拾い物

《三島の成功は、戦後日本の市民的幸福にシニックな冷嘲を浴びせる作品を量産したことにあった。
記憶が定かでないけれども、「日曜日」という短編があったと思う。
日曜日だけにデートできる貧しい恋人が、一年先の分まで日曜日の予定をギッシリ立てている。
ところが、その二人はデートの帰りに、プラットホームから落ちで電車に轢かれるのだ。
そして、この作品は二人の首が線路脇にごろりと転がってしまうところで終わるのである。
丹念に作り上げた予定表も、ちょっとした事故で簡単に崩れ去る。
市民的幸福なんて、そんなものだよと三島は言うのである。
「私の修業時代」で、三島は敗戦を恐怖をもって迎えたと書いている。
「日常生活」が始まるからだった。
彼は、市民的幸福を侮蔑し、日常生活への嫌悪を公然と語り続けた。
「何十戸という同じ形の、同じ小ささの、同じ貧しさの府営住宅の中で、人々が卓袱台に向かって貧しい幸福に生きているのを観て彼女はぞっとする」(「愛の渇き」)
市民的幸福に対する呪詛に近いまでの攻撃は、福祉国家否定へと発展。》
***
ヒゲハゲ男は、如何に生活からロス排除し、シンプルにするかに終始している
衣類など考えるだけ無駄なので、そのへんにあるもので済ます
摩滅したら捨てて行き、全てオセロのように黒に切替集約していく
既にスーツ、コート、帽子は全て黒
黒靴も所詮作業着の一部なので、潰れる迄履いて、どうしようも無くなったら捨てる
一貫して動物の皮等は見に付けない
たかだか人間が動物殺戮などおこがましい
合成物で用は足りる
「これは本革を使った…」と言う者には侮蔑感しか抱かない
かばんは黒のリュックに半年前切替した
大竹伸朗さんの影響
夏は黒Tシャツ以外着ないのもそう
残った衣類は春になったら、全部洗濯し良品を段ボールに詰め、ボランティア団体を通して海外に発送しようと思っている
何ら法則性(規則性)がない事。』【ウィキペディア】
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苦しみたいのか?
楽になりたいのか?
「砂を噛むような砂漠」に陰鬱になることある
一方で、今日は暇になり20時に仕事場を去りながらも、何も無い事に空白感を覚える
何かが足りない
仮想敵・闘う相手が居ないと、それで安穏とすれば良いのに

自分は徹底的なマゾ
その裏に、死への願望が潜む
***
帰り道、本屋BOに寄る
本を探すうちに疲れてしまった
「処世術」的分野の本の、まー多いこと
当たり前のことを書いた本が多い
「それが出来るなら苦労はせんわい」といったことの羅列・精神論
結果、『日本は「神の国」ではないのですか』(小学館文庫)を買う
本屋の中を1時間さ迷っていたら疲れた
いつからか自分は本なるものを、数冊平行しながら、辞書的に、ランダムに、その時気になる箇所を読む・エンピツで線を引く
そんな形を採っている
過去、教授がやっていたこと(OMIYAGEに記載)と同じことをしている
小説は、起承転結に時間を要すので、色川武大さんの「狂人日記」みたいな歴史に残る作品・引き込まれる作品しか、頭→尻迄読み通せない
現代において、リアリティ薄い小説は実に非力
興味も無い
読むに値するは、哲学・思想・歴史・ノンフィクション・評論
***
常日頃、三島由紀夫先生と楯の会の事は頭の何処かに必ずある
以下は、今日のネットでの拾い物

《三島の成功は、戦後日本の市民的幸福にシニックな冷嘲を浴びせる作品を量産したことにあった。
記憶が定かでないけれども、「日曜日」という短編があったと思う。
日曜日だけにデートできる貧しい恋人が、一年先の分まで日曜日の予定をギッシリ立てている。
ところが、その二人はデートの帰りに、プラットホームから落ちで電車に轢かれるのだ。
そして、この作品は二人の首が線路脇にごろりと転がってしまうところで終わるのである。
丹念に作り上げた予定表も、ちょっとした事故で簡単に崩れ去る。
市民的幸福なんて、そんなものだよと三島は言うのである。
「私の修業時代」で、三島は敗戦を恐怖をもって迎えたと書いている。
「日常生活」が始まるからだった。
彼は、市民的幸福を侮蔑し、日常生活への嫌悪を公然と語り続けた。
「何十戸という同じ形の、同じ小ささの、同じ貧しさの府営住宅の中で、人々が卓袱台に向かって貧しい幸福に生きているのを観て彼女はぞっとする」(「愛の渇き」)
市民的幸福に対する呪詛に近いまでの攻撃は、福祉国家否定へと発展。》
***
ヒゲハゲ男は、如何に生活からロス排除し、シンプルにするかに終始している
衣類など考えるだけ無駄なので、そのへんにあるもので済ます
摩滅したら捨てて行き、全てオセロのように黒に切替集約していく
既にスーツ、コート、帽子は全て黒
黒靴も所詮作業着の一部なので、潰れる迄履いて、どうしようも無くなったら捨てる
一貫して動物の皮等は見に付けない
たかだか人間が動物殺戮などおこがましい
合成物で用は足りる
「これは本革を使った…」と言う者には侮蔑感しか抱かない
かばんは黒のリュックに半年前切替した
大竹伸朗さんの影響
夏は黒Tシャツ以外着ないのもそう
残った衣類は春になったら、全部洗濯し良品を段ボールに詰め、ボランティア団体を通して海外に発送しようと思っている
