こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

静かの海

2011-02-21 20:13:33 | 音楽帳


寝る前に飲んだノンアルコールビールのせいで
夢を中断してトイレに駆け込む

夢の中では映画「ウィークエンド」のように
古いアメリカ車で、どこかに数人乗り合わせて行く
私は向かう場所を知らされていない

着いた所は墓

緑の丘
平面に均等に並ぶ埋まった墓
それぞれを覗く
エピタフと名前が刻まれているが、それはレコードプレイヤーになっていて
そのBOXの中に1枚のレコードが乗っかっている

みんなでそのプレイボタンを押す
丘の上の数十の墓から出る音が風の中でミックスされる

7:10温かいお茶を煎れて飲む

***

日曜日、朝7:30~17:20電話で起こされる迄寝ていた

そのバイオリズムの狂いは、月曜日朝の疲れだるさに、どーんと堕ちてくる

元々朝は弱く、もう駄目だ、と死にたくなることはよくある

朝の弱々しい生命力

日常の、時に徹底的な悪魔の如き攻撃性は微塵も無い

私が死ぬも殺されるのも、たぶん朝だろう



私には、こんなときこそ静かの海に繋がる音が見分けられる

見えない静かの海で手が結ばれることを

その時空間を理解している、ごくわずかのアーティストたち

今朝も、きわめて少ない時間の中で
そんな空気の一端をまさぐる

ENO&BUDD『鏡面界』『ザ・パール』

ディップインザプール『黒いドレスの女』

坂本龍一『AFTER ALL』

朝の静けさ

含んだ緑茶を舌で味わいながら、湯呑みの水面のへりをしげしげと見る

窓から空を見上げる

曇りの濃淡
カメラのシャッターを切る

電車に乗る
温かい

座り眠る人々

自分はまだ世界の外側に居る

社会に染まる前の虚ろ

静かの海

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写真日和 : まみちゃんの母=コチャコさん

2011-02-21 07:30:00 | 写真日和
1996年4月8日にまみちゃんは生まれ2009年10月12日、13年半の付き合いに幕を下ろした。

そのまみちゃんのお母さん=コチャコさんは、自分が大阪から1996年3月末に戻ってきたときには居た。

幼くして捨てられたらしく、とても警戒心が強くて、実家にいったん戻った自分は「よそ者」。
それ以来、15年経っても、いまだに「身内」とは認めてくれない。

実家の老夫婦にさえ一定の距離を置きながらも、時に寄って来ることもあるが「あとはほっといてくれ」と言わんばかりに「孤」である。

飼う/飼われる、という関係など、コチャコには全く意識など無いのだろう。

ネコとは元来そういう高貴な生き物。
「孤」を生き抜くコチャコさんには、眺めていて感じることが多い。

誰も教えてもいないのに、ネコは生まれた幼少の時から、自分で排泄したおしっこやうんこの後には、きちんと自分の手でその上に砂を掛ける。

クソ垂れてそのまんまであったり、人の様子を伺いながら体制に擦り寄ることもしない。

「孤」を生き抜くネコという生き物の偉大さと自由さ。











庭にひょっこり顔を出したコチャコを、老夫婦が必死に餌付けしながら、家に招きいれた時間を勘案すると、15歳半~16歳くらいか?と思う。
外に遊びに出る事は少なくなったが、ほとんど医者にかかったことのない健康体。

老夫婦はよく「コチャコが先に死ぬか・こちらが先に死ぬか」と笑って言う。

コメント (2)
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