私がレベッカを取り上げるのを「意外」と思われるかもしれない。
渡辺美里は目がキレイな人だが、何度も繰り返すようだが、容姿と音楽は無縁ではないものの(音楽が容姿を形作る、というケースは、役者同様あるが)、どうしても「明日がある」「希望を捨てないで」ということに走る安易な音楽のウソ臭さには同意しない。
なおかつ、1986年末でほぼ、自分と共に走ってきたテクノ/ニューウェイヴが溶解した以降、こうして出てきた日本のミュージシャンというのには、本質的に好意的ではない。
むしろ悪意を抱くことが多い。
私も、そういう中の1つとしてレベッカを捉えていた。
***
だが、そんな「祭りの後」の1987年、移転した草加の近所に住んでいた、高校時代共に血反吐を吐いてきたセミ君の家に遊びに行き、手打ちうどん屋さんだった彼の家の2階で、おしゃべりをしながら、音楽を聴いた。
彼がそのとき、レベッカの「ポイズン」(1987年11月リリース)を聴かせてくれた。
そのとき初めてレベッカのそのアルバムの中に「このバンドは軟弱を乗り越えて、核のようなものが生まれている」と感じた。
その前後にシングル・カットされた「ナーヴァス・バット・グラマラス」という曲に一撃を喰らったのもある。
キーボードの音色(おんしょく)が全体を覆い、自由に変化するノッコのヴォーカル、全体のバランスはまさにベストな状態。
そういうことで、それまでの「レベッカ」観が壊れ、不思議な出会いとセミ君に感謝し、カセット・テープに録音してもらい、そのテープをよく聴いた。
私個人は「ナーヴァス・バット・グラマラス」という名曲、そしてA面の「Moon」~「真夏の雨」~「デッド・スリープ」という流れが素晴らしいと思った。
ちなみに「デッド・スリープ」という曲はヴォーカル無しのインストゥルメンタル。
A面の「Moon」~「真夏の雨」~「デッド・スリープ」という流れは、今聴いても、夜の道-松原団地から草加に行く道路のそばでに建った朽ち果てた小屋、そして、その向こうに煙突からの黒煙を夜空に吹かした工場地帯の妖しげな風景が、いつもダブって浮かぶ。
ボクは、当時、夜の闇の中、フィルム・カメラで何枚もこの闇の風景にシャッターを切った。
***
ある意味、この「ポイズン」というアルバムが、レベッカの頂点だったのかもしれない。
それから20年近く経って「ロック命」の80歳のお袋さんに、この「ポイズン」をプレゼントしたところ、「いいじゃない!」と気に入られた。
お袋さんはどちらかというと、アグレッシヴな面が気に入ったのだろうが、ボクはこのアルバムの叙情的でロマンティークな面が好きなのだが。
***
この「ポイズン」の後に、奇妙なアルバムを出したが駄作で、レベッカは解散した。
私が惹かれたのは、このバンドがバンドを維持する中で醗酵した、まさ「ナーヴァス」で「グラマラス」な面だった。
この「ポイズン」と最後のアルバムの間に、1枚名シングルをレベッカは発表している。
この曲がとても素晴らしく、すぐレコード屋さんに行ってシングル盤を買った。
「ポイズン」の流れを汲みながら、更に叙情的な名曲。
元々、キーボードの音色(おんしょく)にうるさい自分だが、とても美しい音色を描いており、曲の抑揚・振幅が大きく、そこに卓筆すべき変調を含んだパーカッション・ドラム・・・。
レベッカ=ノッコ、ノッコ=元気という方程式に思われがちだが、この曲を聴けば分かるとおり、レベッカ≠ノッコであり、ギター・ベース・キーボード・ドラムそれぞれが高度の絡み合いをすることで成立した名曲。
***
特に女性ヴォーカルを囲んだバンドの場合、情事のもつれがバンド解散の発火点になるのはよくあるケース。
バンドのテンションがそこに起因するケースは多々あること。
レベッカの解散もその例にもれないのかもしれない。
まあ、そんなことは自分にはどうでも良いことで、アルバム「ポイズン」とシングル「ワン・モア・キッス(トゥ・ミー)」は素晴らしい作品として、今も聴く、私の音楽の引き出しの1つとして過去の想い出と結びつく体内に包含されたものなのだ。
聴きたい方は、以下YOUTUBEへ
http://www.youtube.com/watch?v=jXzFD7xJfA8
オリジナルがアップされていないのは残念ではあるが。