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「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

I日記

2010年05月09日 | I日記
今朝、妻が仕事に出かけるときには、こんなことになるとは思っていなかった。ぐずりがちだったのは確かにそうなのだ、九時前くらいに一回つくったミルクをIは口にするのを拒んだときには、だからまあそんな気分なんだろうなと思って、最近は、三時間おきくらいだという出がけに妻がいっていた授乳間隔の話も思い出して、あまり心配していなかった。けれども、十時、十一時になっても飲まない。つくって捨てた回数が4回目になったころ、これはさすがに問題だろうと思って、妻の仕事先に電話をかけた。Iは、なんど口に差し込んでも、粉ミルクあるいは人工の乳首を拒んだ。えんえん泣いて、ちょっとだけなめて、確信して、徹底的に否定した。のど乾いてるだろうに、おなかすいているだろうにと思っても、飲んでくれなければこちらの出来ることはない。GW前くらいから、ぼくがひとりでIを見る日はなかった。久しぶりの親子2人、そして久しぶりの粉ミルクだった。もうIにとって授乳は、たんなる栄養補給ではなくなっていた。お母さんとのスキンシップ、愛情の確認行為を含むものになっていた。他のことならば大丈夫でも、男親にはこれが出来ない。イクメンのゆううつ。なかなかの悲しさである。つらいだろうに、飲めない苦しさのなかでも、ときどき一緒に遊んで笑ってくれたりするのがまた切ない。ぼくの人差し指の曲がった第二関節を嘗め始めたときには、涙腺がゆるゆるした。

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