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「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

多分八王子の八は

2009年10月28日 | Weblog
多分八王子の「八」は、富士山の形なんだろうな
なんて思いながら、6時頃、白い富士横目にジョグ。耳にはJ-WAVE。

最近、またジョギング熱が高まっていて、9月頃からだろうか、2日おきくらいで走っている。土曜日は、浅川と多摩川の交差するところまで!と思い立ち、無邪気にスタートしたはいいけれど、往復二時間近く走ってしまった〈いや、後半はほとんどてくてく歩き〉。走っている時の10-40分あたりで訪れるスーッとした高揚感がたまらない。夏休みは、芸能人のドラッグネタに頭が汚染されて、そのせいだろうと思うんだけれど9月頭に気づいたら渋谷の葉巻喫茶に行ってて、人生初の葉巻体験などしてしまったが、こんなかわいいドラッグ体験なんかよりも、ずっとダイナミックな快楽がジョグにはあって、、、とまあどれくらい続くかは定かではないですが。冬に比べれば5キロくらい痩せたんだけど、誰も気づいてくれないんですね。もうちょっとすると、大学生時代くらいの体型にはなるかもしれないので、そのあたりまで(カール・ラガーフェルドが目標なんだけど、どすかね、大それてる?無理かな)。

KAT@日女祭は、ギャラリーは限りなく0に近い状態でしたが(泣)、かなりいいものが残りました。この模様は、雑誌『KAT』に掲載しようと思っています。いま、文フリでの販売目指して学生たちとちょこちょこやってます。ぼくはKREVAのことと、ブリトニーのことを書くんですけれど、学生たちは、浅野いにおや相対性理論や東京アリスfetinismや遠藤一郎や女性っぽい男たちについてやいろいろと取り上げています。どれもノーマッチョなテクストで、新鮮に読んでもらえる気がしています。

ここ数日で、関かおりの公演、神里雄大の公演を見た。神里のは、わざと受けない芸人のようなノリで役者たちを動かしているのが、いいのか悪いのか正直わからなかった(話は、二組のカップルが登場し、別れを切り出した男に対して未練の残る女たちの思いが、カラオケ店、床屋で語られるというもの)。関のダンス作品は、個性的な運動に目を惹かれた。女の子特有のグロテスクなものへの志向、母性に対する嫌悪感などが、作品の核になっていた。自分の感覚からぶれずにそこに徹底することによって出てきたもので、その点での達成度は感じた。つまり関かおりらしさが、独りよがりというのとはちょっと違う感じで作品化されていた。けれども、関=女の子という等号は成立しないとも思った。つまり、特殊な女の子像で、それに賛同するひともいるだろうけれども、もう少し間口の広い女の子の姿を語っても良いのではないか、と思ってしまう。

あと、昨日、ドネルモの代表山内泰さんが、大学に遊びに来てくれた。昼休みのKATのミーティングの終わり頃に来て、三限の時間、講義はないけど頻繁に学生が卒論のこととか相談に来るその合間に二人で話し合いをして、四限のゼミにはコメンテイター的な立場で聴講もしてくださり、さらにゼミの後にも二人で話し合いをした。その模様は、後日ドネルモHPにて掲載をしてくださることになっているので、もしよかったら、その折には、読んでみてください。

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