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「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

白井剛in 水上バスなど

2006年06月17日 | Weblog
今年の前半は、すごく忙しい、それに緊張を要する出来事が続く。今日の第八回舞踊学会例会での研究発表もそのなかのひとつといえばそうだけれど、これはそれほどプレッシャーを感じることなくやや和やかに進めることが出来た。午後の第一弾担当、早口の発表の後、松澤先生や国吉先生から啓発的な質問をもらい、なんとかそれに応答して無事に終了。発表内容は、「二〇世紀のダンスにおける観客論」で、モダンダンス、カニングハム、暗黒舞踏、三者が観客をどう位置づけているのかについての考察をまとめたもの。今年春に出た『上演舞踊研究』(vol. 6、お茶の水女子大学上演舞踊研究会編)に寄稿したものをほぼそのまま、口頭で発表したのだった。

いやあ、何より、ともかく会場がすごかった、というか遠かった。早稲田大学の所沢キャンパスだったのだけれど、緑豊かな大自然のなかにぽつんと立っている。門をくぐると両側に陸上競技場と野球場があるのだ、それらをまたぐように橋が架かっていて、それをわたるとようやく校舎がある。こうした設備は人間科学部のあるキャンパスだからなのだろうけれど、学会の会場を示すポスターを見つけるまでは、会場が本当にここなのかとずっと不安だった。もしぼくだけ間違えてて、ほんとは早稲田キャンパスだったら、もうこの時間では戻れないな、、、とか思い、冷や汗をかいたり。

あと、西武池袋線の小手指というところが大学の最寄り駅で、そこに行くまで、登戸から南部線で府中本町へ、そこで武蔵野線に乗りかえ新秋津へ、で、徒歩で六分、西武池袋線に乗りかえ小手指という、多摩川近辺をひたすら北上する道のりだった。そのあたりの一貫した寂れた感じは、すごい印象的だった。よく言えば、本当の武蔵野の「野」が感じられる景色といえるかも知れないが(と言っても、住宅地多いのだけれど)、都心の狂騒から取り残された東京がここにある、と思わされた。

発表の後、失礼をして会場を後にし、今度は白井剛の水上アートバス、ダンスパフォーマンスを見ようと、浜松町の日の出桟橋まで急ぐ。大学のバス停でじりじりとバスを待っていると、大阪のDance Boxでスタッフをしている女性の方がやはりバスを待っていてしかも同じところに向かうというので、ご一緒する。関東と関西のダンスシーンについて、いろいろと話をする。どうも、インフラが整備されてきた分、「レール」というか出世コースというかがあたかも存在するかのような誤解が若手の振付家(志望者)に起きているようだ、という話になる。関東で言えば、STの「ラボ20」or「ダンスが見たい」の新人企画→「踊りに行くぜ」のオーディション→ソロ・デュオ→トヨタ、みたいな、例えば。そんなもの、ないよ。つーか、そんなことよりも一回一回の公演に全霊を込めて欲しいよね、との話で盛り上がる。あと、関西で壺中天が人気という話も面白かった。関西人として、彼らの客をつかむセンス、笑いのセンスに嫉妬する、と。なるほどなー。

日の出桟橋発のバスで、白井剛のパフォーマンスを見た。終始、表面が鏡のようになっているバルーンと白井とが「対話」するダンス。バルーンとの関係に没入する自閉は、ときに見応えがあった。バルーンの「ふわり」とした動きに、白井の体も「ふわり」となって床に倒れたり、とか。でも、それを100人は乗船しているだろうバスのなかでやることの意味とか、刺激とかは生まれなかった。結構、乗客から放っておかれてしまった。

ところで、この企画が面白いのは、ダンスが見たい人以外の人の気分みたいなものが観察できるところだ。バスの後部デッキは、やや広い床があるため、白井でなくてもここで踊ることになったダンサーが舞台としてしばしば使うところである。でも、そこはまた、広い視界が得られる観光客にとって都合のいい場所でもあり、すると土曜日の午後を楽しもうとするカップルなどがそこに居たりする。忘れられないのは、デッキの端に座るカップルの女の子が、見返りの姿勢で、白井のことをやや冷たく「何?」と見ていたその表情だ。この表情が示唆するのは、表現行為というものはそれをそのとき欲していない人にとってはどれほど煩わしいものであるか、ということだ。表現行為というものそれ自体は、基本的に迷惑なものなのだ。「めいわくだなー」「押しつけがましいなー」と思っている人がいること、そこから表現行為ははじまる、と考えてもいいのではないか。いかにそうした人を乗せることが出来るのか、その「招き」そのものがダンスなのではないか。(このことは、水上バス企画批判では無論ありません。むしろこの企画を通して、ひとつの知見を得ることが出来たと思っています。一応、お断りしておきます)。

その後、アサヒビール本社脇にある鰻屋「鰻禅」で、鰻を食べた。小さな、いかにもな鰻屋。いいなあ。何がいいって、鰻が焼けるまでみんなで待っているときの店全体に漂う空気がいい。普段、安いチェーン系の居酒屋とか行って料理の出が遅いと「まだ?」とすぐに怒ってしまうぼくでも、その時間を風情として味わってしまう。サッカーなんかつまんないね、との話でその間盛り上がる。ここに連れてきてくれたSさんが、大体点があまりはいんないのがいやだ、8対9ぐらいじゃないと、と真顔で提言するので他3人で爆笑。そこからSさんのせっかちばなしへと以降。ぼくは「竹」で、Aは「上」を頼み、食べ比べる。確かに、「上」は柔らかさや味わいが違った。そうかー。

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