当ブログが囲碁ブログということもあって多くの人は、私のHNが「碁」と「行け!」を掛けたような意味を持っていると思っておられるかと思う。
実はこのHNにしたのは20世紀のことであり、当時私は囲碁を始めていなかった。
故に囲碁と関わりのありそうなのは、全くの
「偶然だよ」(トヨエツ:焼酎貴族トライアングル)。
強いて言えば「行け!」「進め!」の意味しか含まれていない。
昨日、私のHNの由来であった人が引退を正式に宣言した。
今、強い寂寥感を胸に、アフロ先生の歌を聞きながらこの記事を書いている。
まだやれそうなのに、惜しい…。
思えば90年代のある分野における悲喜交々は、彼と共にあった。
どちらかというと切羽詰った状況を、手を取り合って切り抜けてきた思い出が多い。
しかし一方で1998年には、彼が世界と対峙する姿に心を躍らせたものだ。
心残りなのは彼と、最高の歓喜の瞬間を共有できなかったこと。
そして一部の人々による、不本意な別れ。
何とか戻ってきて欲しいと思っていたが、それも叶わなかった。
お疲れ様。
あなたのおかげで、私はこの楽しみを発見することが出来ました。
ありがとう。
そしてまた、ボクらそばに戻ってきてくれる日を待っています。
どういう形になるのか、あまり想像出来ないけれど…(汗笑)。
実はこのHNにしたのは20世紀のことであり、当時私は囲碁を始めていなかった。
故に囲碁と関わりのありそうなのは、全くの
「偶然だよ」(トヨエツ:焼酎貴族トライアングル)。
強いて言えば「行け!」「進め!」の意味しか含まれていない。
昨日、私のHNの由来であった人が引退を正式に宣言した。
今、強い寂寥感を胸に、アフロ先生の歌を聞きながらこの記事を書いている。
まだやれそうなのに、惜しい…。
思えば90年代のある分野における悲喜交々は、彼と共にあった。
どちらかというと切羽詰った状況を、手を取り合って切り抜けてきた思い出が多い。
しかし一方で1998年には、彼が世界と対峙する姿に心を躍らせたものだ。
心残りなのは彼と、最高の歓喜の瞬間を共有できなかったこと。
そして一部の人々による、不本意な別れ。
何とか戻ってきて欲しいと思っていたが、それも叶わなかった。
お疲れ様。
あなたのおかげで、私はこの楽しみを発見することが出来ました。
ありがとう。
そしてまた、ボクらそばに戻ってきてくれる日を待っています。
どういう形になるのか、あまり想像出来ないけれど…(汗笑)。
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