私はほとんどネット碁会所「幽玄の間」にはいかない。
偶にタイトル戦の中継を観にいく程度。
だから「幽玄の間」が「無料会員の規制を強化した」と聞いても
「アラ、マァ」
という程度の、軽い感想しかなかった。
見た目が変わっただけでなかったのね。
ところが「碁ワールド」12月号の「幽玄の間walker」を読んで、一転不快に。
そもそも子どもや囲碁入門者といったライトユーザーの受け皿を、日本棋院が放棄するのはどうかと思っている。
「ちょっと囲碁に興味を持った人の受け皿は、タイゼムやKGSにお任せ」
ということで良いのだろうかという気分はある。
一歩譲って、日本棋院がそこまで切羽詰っているとしよう。
「こうでなかればやっていけない」というならば、それは一つの方向として認めるのはやぶさかではない。
ボランティアではないのだし。
ずっと昔に使っていたときのサポートの対応は好感をもっていたし、コンテンツも値段に見合ったものを提供していると思う。
私も金銭的、心理的に可能ならば「幽玄の間」に入会してもいいと思ったこともある。
しかしだからといって、機関紙のコラムの中で
「無料で使える要望は図々しい」
というような内容の文を、堂々と掲載するのはいかがなものだろうか?
よほど無料会員の横暴が激しく、筆者の黒衣子さんが嫌な思いをしたのかもしれないが、それと「碁ワールド」の読者とはとりあえずは関係ないことである。
こういった話を聞いてかえって、
「意地でも有料会員になってやるものか」
と思った人もいるだろう。
何ら益のない文章だ。
加藤正夫先生が理事長だったころ
「日本棋院は今まで有段者にしか目がむいておらず、級位者はないがしろにしていた」
という趣旨のことを述べられていたと、「精魂の譜」に書かれていた。
しかし、これはちょっと違う。
実際、級位者も有段者も自ら待遇に差があるとは感じていないはず。
むしろ
「日本棋院は今も昔も、『今お金を出してくれる』人にしか興味がない」
と私は常々感じるのだが、どうだろう。
免状の扱いしかり。
一方でボランティア的な普及に努めている棋士も、勿論おられるが。
日本棋院の運営が大変なのはわかるが、
「金を出さざるもの打つべからず」
という空気は、果たして正しいのだろうか?
私達大人に対してはそれでもいいとして、せめて「将来に金蔓になる可能性のある」子ども達が正しいマナーの中で安心して打て、マナー養成にも繋がる無料ネット碁会所ぐらいは、日本棋院には運営して貰いたい。
例えば学生証のコピーと引き換えに、IDを発行するような形式はいかが?
偶にタイトル戦の中継を観にいく程度。
だから「幽玄の間」が「無料会員の規制を強化した」と聞いても
「アラ、マァ」
という程度の、軽い感想しかなかった。
見た目が変わっただけでなかったのね。
ところが「碁ワールド」12月号の「幽玄の間walker」を読んで、一転不快に。
そもそも子どもや囲碁入門者といったライトユーザーの受け皿を、日本棋院が放棄するのはどうかと思っている。
「ちょっと囲碁に興味を持った人の受け皿は、タイゼムやKGSにお任せ」
ということで良いのだろうかという気分はある。
一歩譲って、日本棋院がそこまで切羽詰っているとしよう。
「こうでなかればやっていけない」というならば、それは一つの方向として認めるのはやぶさかではない。
ボランティアではないのだし。
ずっと昔に使っていたときのサポートの対応は好感をもっていたし、コンテンツも値段に見合ったものを提供していると思う。
私も金銭的、心理的に可能ならば「幽玄の間」に入会してもいいと思ったこともある。
しかしだからといって、機関紙のコラムの中で
「無料で使える要望は図々しい」
というような内容の文を、堂々と掲載するのはいかがなものだろうか?
よほど無料会員の横暴が激しく、筆者の黒衣子さんが嫌な思いをしたのかもしれないが、それと「碁ワールド」の読者とはとりあえずは関係ないことである。
こういった話を聞いてかえって、
「意地でも有料会員になってやるものか」
と思った人もいるだろう。
何ら益のない文章だ。
加藤正夫先生が理事長だったころ
「日本棋院は今まで有段者にしか目がむいておらず、級位者はないがしろにしていた」
という趣旨のことを述べられていたと、「精魂の譜」に書かれていた。
しかし、これはちょっと違う。
実際、級位者も有段者も自ら待遇に差があるとは感じていないはず。
むしろ
「日本棋院は今も昔も、『今お金を出してくれる』人にしか興味がない」
と私は常々感じるのだが、どうだろう。
免状の扱いしかり。
一方でボランティア的な普及に努めている棋士も、勿論おられるが。
日本棋院の運営が大変なのはわかるが、
「金を出さざるもの打つべからず」
という空気は、果たして正しいのだろうか?
私達大人に対してはそれでもいいとして、せめて「将来に金蔓になる可能性のある」子ども達が正しいマナーの中で安心して打て、マナー養成にも繋がる無料ネット碁会所ぐらいは、日本棋院には運営して貰いたい。
例えば学生証のコピーと引き換えに、IDを発行するような形式はいかが?
業界の自主安全検査機関の合格証みたいなものとしたら「商品」の一部として勝手にやればいいのでしょうが、免状の発行権を主張するのですから発行する免状の権威・水準を維持する義務が無いとは言えないと思うのですが、「売りっぱなし」「売れれば良い」と言う感じですね。
これだけの金額で”もの”を売ったら品質保証の義務があるはずなんですが、神社とかお寺で「お守り」を売っているような気分でしょうか?
(”寄進”と引き替えに「お守り」を授けているということになっていますから、ほんとに似ています)
碁会所の問題ですが、多くの碁会所は日本棋院の支
部を兼ねているものが多いはずです。
支部が活動拠点を碁会所に置いている形ですが、実態は碁会所無くなれば支部も消えてしまうと思われます。
碁会所の最大の問題は会員数の横ばいあるいは減少です。
棋院の義務としてはなんと言っても碁の愛好者を増やすことで、そのことが自らの基盤を強くするのと同時に間接的に碁会所への側面からの援助に繋がると思うのです。
ネットの無料の件もそういうことと無縁では無いと思います。
ネット事業にも経費がかかるでしょうから「有料」は仕方ないにしても、「経営面での範囲でのサービス」を第一義に考えるのは事業としては当たり前かも知れませんが、それでは他の有料ネットとなんら変わるところが無いでしょう。
「囲碁の普及」「同好会員の集える場所としてのネット」みたいなことが第一でなくては。(今でもその方針だと棋院は言うかも知れませんが)
長文失礼しました。
日本棋院の方針を否定する訳にはいかない、という前提で書くならばあんなもんじゃないですかね。逃げずに真っ向勝負で書いてる点は好ましくすら感じます。
日本棋院は有料でもしっかりしたサービスを提供するという方向の方がいいように私は思います。無料で気軽にという方面では色々選択肢があるわけですし。
ちなみに私は会員ではないので、現状のサービスが有料に値するものなのかどうかは知りませんけど、方向性としてはその方が良さそうに思うと言うことです。土日に楽しめるコンテンツが提供されれば私も会員になりたいと思いますし。
今晩、何とかお返事しますね。
免状の問題は難しいですね。
そもそも免状が財政の基盤という状況が現代にそぐわないような気もします。
さらにアマの段位と実力の乖離については、かの瀬越先生がその著書で書かれているくらい、昔からある問題。
もっと棋院は本腰をいれても良いと思うのですが、いつも後回しですね。
aizomechouさんの「免状の価値を高める努力」というのも一つの視点であり、大いに私も賛成です。
> ネット事業にも経費がかかるでしょうから「有料」は仕方ないにしても、「経営面での範囲でのサービス」を第一義に考えるのは事業としては当たり前かも知れませんが、それでは他の有料ネットとなんら変わるところが無いでしょう。
> 「囲碁の普及」「同好会員の集える場所としてのネット」みたいなことが第一でなくては。(今でもその方針だと棋院は言うかも知れませんが)
私が言いたいのも正にそのところで、有料ならば有料で構わないのですが、だからといって普及の手段を放棄するのはおかしいと思うのです。
またご意見お待ちしていますね。
私もこの記事をアップする時、
「黒衣子さんの記事を非難するのは、ちょっとナンセンスかな」
とも思いました。
結局のところ私も
「無料で使いたい」
と思っている一派であり、故にカチンときた部分は否めないようです(汗)。
> 無料で気軽にという方面では色々選択肢があるわけですし。
その通りでありますが、利益を追求してなんらおかしくない一般のネット碁会所が有料で、無料でも普及を第一義に考えるべき棋院が有料のみというのに、違和感を禁じえないのです。
ただ大筋では有料化そのものは、別にアリだとは思っています。
> 土日に楽しめるコンテンツ
面白いアイディアですね。
私もそれなら検討したいかも…。
しかし土日だと「プロ棋戦生中継」がないのが痛いでしょうか。
ただし、有能な人材を育成する為にも子供達が入ってこられやすいようにしておくことも大事なことだと思っています。
たしかに、日本棋院にはその第一人者として活躍してほしいところではあります^^
機能制限をあそこまでしてしまうと入室から遠のいてしまう子供達は多いかと思います。
ある意味普及とかそういったこと以前に、目の前の組織の存続のため形振り構っていられないのかもしれません。
関西棋院もタイゼムから離れ、パンダと提携することで「無料」「普及」とは離れたようですし、プロ棋士にとってネット碁はあくまで「サービス(中継、講義など)を提供して客からお金を取る道具」と割り切っているようです。