とりさんが
「以後、囲碁やめようかな」
と弱音を吐いておられるお仲間と、その方への励まし(?)を書いておられた。
私もお仲間の気持ちに深く共感。
というか、今まさに軽くそのモードかも(汗)。
読者のみなさんも同様の気分になったことは、1度や2度ではないのではなかろうか?
他のブログでも
「囲碁やめます」
という発言を、時々目にする。
ところが不思議なことに、将棋ではそれがない。
私自身も
「将棋やめようかな」
と思ったことはない。
将棋はあくまで、
「やりたい時に、やればいいゲーム」。
プロでもないのに「やめようかな」は、囲碁特有の病気、症候群のようだ。
まぁ、理由はハッキリしている。
囲碁の方が真面目に取り組めば取り組むほど内容があり、研究にも対局にも膨大な時間が費やされるから。
それが囲碁の魅力でもあるが…。
そして負けると
「これらの時間が、全て無駄にだった」
そういう強い虚無感に襲われるからである。
(続く)
「以後、囲碁やめようかな」
と弱音を吐いておられるお仲間と、その方への励まし(?)を書いておられた。
私もお仲間の気持ちに深く共感。
というか、今まさに軽くそのモードかも(汗)。
読者のみなさんも同様の気分になったことは、1度や2度ではないのではなかろうか?
他のブログでも
「囲碁やめます」
という発言を、時々目にする。
ところが不思議なことに、将棋ではそれがない。
私自身も
「将棋やめようかな」
と思ったことはない。
将棋はあくまで、
「やりたい時に、やればいいゲーム」。
プロでもないのに「やめようかな」は、囲碁特有の病気、症候群のようだ。
まぁ、理由はハッキリしている。
囲碁の方が真面目に取り組めば取り組むほど内容があり、研究にも対局にも膨大な時間が費やされるから。
それが囲碁の魅力でもあるが…。
そして負けると
「これらの時間が、全て無駄にだった」
そういう強い虚無感に襲われるからである。
(続く)