対局日誌

ネット囲碁対局サイトでの、私の棋譜を記録していきます。
全くの初級者がどう成長していくか、見守ってください。

谷間の世代?

2005-11-09 22:57:35 | 雑談
『玉藻』のpgさんが、20代後半から40代前半を囲碁不毛世代として、どうこの世代に囲碁を広めるか考えておられる。
その意欲に敬意を表する。

ただ私もその「不毛世代」に属する人間として

> なぜ、こうなったのか。
> 多分に社会構造の変化があるだろう。

一文以下の考察は、当たっている一面もあるが、ちょっと違うと感じたので少しだけ。
特殊な世代という感じで斬られると、ちょっと恥ずかしいような、もどかしいような気持ちになってしまう。

難しく考える事はない。
我々の世代が『不毛』である理由は至って単純。
囲碁に触れる契機、そして囲碁を楽しむ場に恵まれなかった。
それだけのことだ。
このことについては以前、『囲碁における根源的才能』という記事でも触れた。

大体囲碁は、仮に初心者が二人囲碁に興味を持ったとして、その二人だけで囲碁を楽しめるレベルまで持っていくのは非常に困難なゲームである。
ルールは簡単でも、まず整地はおろか終局すら覚束ない。

対して例えば将棋は、ちょっと興味を示しさえすれば目的は単純なので初心者だけでも楽しめる。
その証拠に棋士の谷川浩司九段や所司和晴七段、親は将棋を知らず、自ら百科事典の「将棋」の項で将棋を覚えたそうである。

囲碁ではこういう自然発生的な習得は中々望めまい。
どうしても一人、最低きちんと一局を終えられる経験者を必要とする。
導入に周りの環境を必要とするゲームなのだ。

そしてその役割を負うべきは多くの場合親、特に父親だが、その世代がその役割を十分果たさなかった。
それが一番の原因だと思う。
役割を果たさなかったという表現は酷かもしれない。
高度経済成長の真只中。
我々の父親達は囲碁以上に果たさねばならぬ役割に追われていたのだから。
先に述べたように野球などと違って、端で観ていて理解できるというものでもないし。

現に私の父も囲碁を嗜んでいたが、私は父から囲碁を教わった事はない。
『不毛』世代の年長部分に属するnipparatさんも同様のようだ。

必然的にそれ以下の世代は囲碁に更に触れなくなり…囲碁人口が減っていったということではないか。

では何故我々の下の世代が、囲碁を楽しめるようになったかといえば、それはネット環境に尽きる。
私も将棋倶楽部24という対局場を発見しなければ将棋を再開していなかったと断言できる。
囲碁の方はやはり『ヒカルの碁』で興味をもった口だが、それとても無料のネット碁会所というものがなければ、こうして囲碁のブログを書く事はなかったのはもちろん、高尾本因坊、張名人といった名前すら知る事はなかったろうと確信するのである。

そもそも社会構造を原因と考えるなら、将棋の羽生世代が正にpgさんの仰る『不毛』世代に当たることの説明がつかない。
我々が『不毛』なのでなく、我々の前後の世代が寧ろ恵まれているというのが本当の姿ではないだろうか?
もちろんだからといって、現状で良いと言う話ではないのだけど。