時は平成24年。1月8日。
奈良検定を受けてがっくりする暇もなく(?)、
われわれ有志一同は奈良検定合宿に突入です。
奈良大学から電車を乗り継いで、
高の原→新祝園→祝園→木津→加茂→笠置、
という面倒くさい乗換えを経ながら、最終目的地、柳生へ。
笠置には民宿のご主人がお迎えに来てくださいました(頼み込んだのが)。
そういえばソムリエの問題に「…大仏駅と加茂間で大仏鉄道が云々」
って問題あったねえなんていいつつ、移動したわけですが。
笠置は京都府、柳生は奈良県(しかも奈良市!)
木津川べりに張り付くようにして走る「関西本線」は、
本線なんて大仰な名前の割りには単線で、ワンマンカー。
それこそ大仏鉄道の頃には、ここを通って大仏見に来る人がいたわけだ。
暗くなる前にこの景色が見たくて、早めの時間設定にしましたが正解でした。
駅から柳生への集落も一山越える感じで、森と林の中を抜けてきましたので、
ここを歩く場合は明るいうちがお勧めです。
お宿について、とりあえず答え合わせ。
いったん食事をとって、反省会して、お風呂入って、就寝です。
(消灯は22時って書いてあったんだもん)
早めに寝て、翌日の歩きに備えました。
☆
あけて1月9日。
よいお天気です。
朝食をとっていたら表でゴソゴソする気配がして、
なんだろう?と思ったら、ご主人が”日の丸”を出しているところでした。
おお、そういえば今日は一月の第二月曜日=成人の日。
去年は、烏土塚古墳を中心とした平群を歩く会をしましたが、
本日は柳生を歩く会です。
(これって毎度400字問題の場所を後追いで歩いてる気がする)
お宿を出て、まずは「疱瘡地蔵」へ。
お宿の向かいの山を登っていく道の途中にあるのですが、
これが民家の裏を登っていく、いきなりの急坂。
人家の屋根に飛び移れそうな場所に山道で、怖い。
ここは元々の東海自然歩道で、この山を越えて柳生街道へと
通じる山道だそうだから、急でも、山道でも当たり前なのですが。
「疱瘡地蔵」は元々巨石に彫られたお地蔵さん。
それが有名となったのは、この地蔵さんの余白(?)に
「借金棒引き、やっぽーやっぽー(意訳)」
という文面が彫られたことによる。
思っていたものよりも大きくてびっくり。
本にはちゃんと「巨石」とは書いてあるけど、
実際に見るとその大きさも記憶にとどまりやすい。
道を引き返してきたら、山側におられた
「六体地蔵」や「寝仏」にようやく気がつきました。
行きの道では、片側が民家の屋根になっていたので、
そちらにばかり気をとられていて、山手の方に意識がいかなかった。
引き返してくるルートだったから、どれも見逃すことがなくて良かった。
そして次は、出発した筈の民宿の前を通り抜け、ちと寂しい道へ。
ずんずん進むとマジ山道。
でもヘアピンカーブの道はきれいに舗装されているので、
ここらへんも車でこれるらしい。
とか思っていたら、途中茶畑の隣の木の手入れをしているおじーちゃんに
「神社やったらこの先やでー」といわれて、その先へ。
背の低い鳥居が見えてきて、「天之石立神社」です。
ここは山道の途中で、ごろんごろんした石が、
山上から流れてきたかのような状態で積み重なっています。
おお、凄いなーとか思っていたら、もっと凄い光景が眼前に。
まるでダムのような平らな石が二枚(二枚なのだ)
どうしたらこんな凄いものが…。
自然のすることは偉大だ。
その奥には例の「柳生十兵衛が天狗と誤って斬りつけた」という
真ん中でぱっかり割れた「一刀石」が…。
こりゃ、一人で来るには寂しい場所だけど、来ないと後悔しそうな場所。
神社から引き返してきたら、さっきのじーちゃんが一休みしていて、
「この前も女の子一人で見に来た子がおったわ」
「お~お」
それからしばらく、
「ここは結婚したときに植えた木で、それ使って家建てたわ」
「ひ孫が生まれて、ケイタイに写真入れてくれた」
「ここは全部うちの山やけど、後継者がおらんでなあ」
「農協の積み立てでシンガポールやらオーストラリアだの行ったわ」
誰も来ない山の中で、しばしお話を拝聴しました(笑)
その後、じーちゃんの話にしたがって車通行不可の看板が出た道を
「人は通ってもいいんだよね?」といぶかしがりながら歩いてきたら、
いわれたとおり墓地に出ました。
さらにそこを下ると「芳徳寺」@柳生一族の菩提寺。
静かな禅寺かと思いきや、隣接している学園の生徒たちの声なども聞こえ、
そこそこひと気のある様子。
でも山門での入山は「お金はここに入れてね」式。
禅寺風の方丈で、釈迦如来像など拝み、墓所へ。
お堂の裏手を降りていくと、一族のお墓。
知っている人の方が圧倒的に少ないのですが、
菩提寺なんだなあというのがよく分かりました。
お寺の山を降りて今度は向かい側の山へ。
整備されまくった「柳生陣屋跡」と、「八坂神社」をまわって、
なんとなく山道を登って「摩利支天の碑」へ。
ここがですね、柳生中学校のまん前の小山で、
真正面なにもなし。はるか彼方の山まで一直線に
何もない空間で、風が直接ぶつかってくるので寒い寒い。
ブルブルしながら下って山道に戻ってくると、
ぜんぜん風が無く…あの場所は夏は涼しいんだろうな。
そして「柳生陣屋跡」へ。
幕末の柳生藩家老小山田主鈴の屋敷で、
昭和の時代に作家の山岡荘八が購入して、
ここで大河ドラマの構想を練ったということが有名。
屋敷もさることながら、庭が立派でね。
ちょっと高いところに建っているので、眺めがよい。
とりあえずこれにて柳生の集落は見学終了。
集落の十兵衛食堂にて「十兵衛うどん」を食します。
食後はショートカットのために、食堂前からバスで阪原へ。
普通は先ほど行った「疱瘡地蔵」の先の道を通って、
一山越えてここの集落へ出てくるのだけど、
山道は極力排除(←邪道!)して。
ちょうど休日には昼時間に増便されているバスがあるので、
それにのってショートカット。
(車道も結構山道だった)
バス停からしばし迷って「南妙寺」へ。
こういってはなんだけど、
こんな田舎にこんな立派なお堂があるとは思わなかった。
おおお、と思っていたら、お堂にいた猫が「にゃー」と起きて
こちらにやってきてくれた♪
おお!お寺には猫がいるのは定番だ。
猫ねこと遊びつつ、お堂の周りを歩いていると、猫もついて回ってくれる。
でも和尚さんが出てこられたら、にゃーと行ってしまった。
足元にはエサの鉢。
そりゃ勝てませんわな。
普段は開いてないお堂だけど、予約してあったので
中へ入らせていただきました。
本尊は薬師如来。手には薬壷がのるタイプ。
あの中には「莫迦につける薬」もあるでしょうか?(無いと思う)
板光背がソフトクリーム型(?)で美しい。
ここがもっと奈良駅から近くて、常時開扉してれば
もっと頻繁に来たいところなんだけどなあ。
お参りして出てきたら、猫も食事が終わったと見えて
またやってきてくれました。
「捨て猫らしくて、居ついてしまいました」
でも、とっても和尚さんに懐いていましたので、もうお寺の猫ですね。
「ちゃんとお寺のお勤めするんだよ」
と言い聞かせてきましたけど。
その後「お藤の井戸」を探してうろうろしていると
ご丁寧に車で通りかかった人が教えてくれました。
「お藤の井戸」は井戸端で洗濯をするお藤ちゃんに、
通りかかった柳生宗矩(むねのり)が、
「そのたらいの中の波の数はいくつだ?」と尋ねると、
お藤が「お殿様がここまで来られた馬の歩数はおいくつ?」と返した。
「うむ、できる、愛いヤツめ」(と思ったかどうかは定かではないが)
ムネノリはお藤の機転のよさと、器量の良さで、妻と迎えたそうな。
玉の輿ですなあ。
その後は東海自然歩道をひたすら歩く歩く、です。
とりあえずは「夜支布山口神社」へ。
集落とつかず離れず、時には民家の軒先を通って、
たまに竹やぶの中を通って、歩くこと45分ほどで神社到着。
村の神社さんって感じの古いお社でしたが、
立盤神社はまだ新しい建物。
どうやら式年造替で数年前に建て替えられたばかりのようです。
ここは、こちらの神様を各家庭にお迎えしてお祀りする「回り明神」が有名。
あと柳生といえば「太鼓踊り」
いずれも奈良検定ではお馴染みですね。
東海自然歩道はこの神社の脇を通ってまだまだ続きます。
次なる目標は「円成寺」です。
だらだら続く山道と、田んぼ道。
車が通る音が近づいたり、遠くなったり。
だんだん歩いている間、暇になってきました。
いや、登りだけではなく、ほどほどに平坦でいいんですけどね。
そのうち、車の通る道が見えてきて、やっぽー。
途中「滝坂道」から合流してくる道と出会い、
ここを歩けば高畑に行けます(行かんけど)。
夜支布山口神社から45分ほどあるいて「円成寺」到着です。
近所のお店でコーヒー一杯飲んでしばし休憩ののちお寺へ。
時間が時間(15時過ぎ)だし、季節も季節(1月)なので、
お寺はほぼ貸切状態。
(ゆえに、寺隣接の茶店は冬季休業中だってのは痛恨のミスだった)
まあ、静かにみられるというのは良いことだけどね。
多宝塔の中には運慶作の大日如来像が鎮座。
ガラス越しなので映りこみがあって見にくいのだけど。
ここでは映り込みを防止するための「覗きめがね」があった!
手作りなのですが、オペラグラス風で、これが優れもの。
ナイス!
ここの本堂の柱は絵がきれいに残っていて美しい。
春日堂も白山堂もお変わりなく。
緑も花もなかったけど、お堂そのものは堪能できました。
あとはバスで帰るだけ…なのだけど。
ここにきて、最後の最後でミス。
円成寺口バス停から乗ろうとしたら…うんと奈良寄りにバス停があったんだな。
寺のまん前にはないことは知っていたんだけど。
こんなに離れていたっけ?せいぜい斜め前くらいだと思ったんだけど。
こんなことなら、ちょっと戻っても「忍辱山」から乗ればよかった。
おかげで最後の最後にバス停まで小走り。
しかもバス停手前でバスが来たのに気がついて、手を振って止まってもらう始末。
(まあ、あそこって自由乗降区間だからもともとそれでOKな筈だけど)
なんとか予定していたバスに乗り込めて、奈良市内へと戻ってこれました。
(うそ、柳生だって奈良市内だ(笑)奈良駅付近って意味です)
午前中も昼食時が余裕なかったし、
最後も小走りで焦ったし、
同行の皆様にはご迷惑をオカケシマシタ。
まだまだ”同行者を楽しませる”までいかんなあ…。
まあ、私についてくるとロクな目にあいませんが、
おもろいことには遭遇できると思いますので、
これに懲りず(?)また一緒に歩いてくださいませ。
次回は花見かなあ…。
奈良検定を受けてがっくりする暇もなく(?)、
われわれ有志一同は奈良検定合宿に突入です。
奈良大学から電車を乗り継いで、
高の原→新祝園→祝園→木津→加茂→笠置、
という面倒くさい乗換えを経ながら、最終目的地、柳生へ。
笠置には民宿のご主人がお迎えに来てくださいました(頼み込んだのが)。
そういえばソムリエの問題に「…大仏駅と加茂間で大仏鉄道が云々」
って問題あったねえなんていいつつ、移動したわけですが。
笠置は京都府、柳生は奈良県(しかも奈良市!)
木津川べりに張り付くようにして走る「関西本線」は、
本線なんて大仰な名前の割りには単線で、ワンマンカー。
それこそ大仏鉄道の頃には、ここを通って大仏見に来る人がいたわけだ。
暗くなる前にこの景色が見たくて、早めの時間設定にしましたが正解でした。
駅から柳生への集落も一山越える感じで、森と林の中を抜けてきましたので、
ここを歩く場合は明るいうちがお勧めです。
お宿について、とりあえず答え合わせ。
いったん食事をとって、反省会して、お風呂入って、就寝です。
(消灯は22時って書いてあったんだもん)
早めに寝て、翌日の歩きに備えました。
☆
あけて1月9日。
よいお天気です。
朝食をとっていたら表でゴソゴソする気配がして、
なんだろう?と思ったら、ご主人が”日の丸”を出しているところでした。
おお、そういえば今日は一月の第二月曜日=成人の日。
去年は、烏土塚古墳を中心とした平群を歩く会をしましたが、
本日は柳生を歩く会です。
(これって毎度400字問題の場所を後追いで歩いてる気がする)
お宿を出て、まずは「疱瘡地蔵」へ。
お宿の向かいの山を登っていく道の途中にあるのですが、
これが民家の裏を登っていく、いきなりの急坂。
人家の屋根に飛び移れそうな場所に山道で、怖い。
ここは元々の東海自然歩道で、この山を越えて柳生街道へと
通じる山道だそうだから、急でも、山道でも当たり前なのですが。
「疱瘡地蔵」は元々巨石に彫られたお地蔵さん。
それが有名となったのは、この地蔵さんの余白(?)に
「借金棒引き、やっぽーやっぽー(意訳)」
という文面が彫られたことによる。
思っていたものよりも大きくてびっくり。
本にはちゃんと「巨石」とは書いてあるけど、
実際に見るとその大きさも記憶にとどまりやすい。
道を引き返してきたら、山側におられた
「六体地蔵」や「寝仏」にようやく気がつきました。
行きの道では、片側が民家の屋根になっていたので、
そちらにばかり気をとられていて、山手の方に意識がいかなかった。
引き返してくるルートだったから、どれも見逃すことがなくて良かった。
そして次は、出発した筈の民宿の前を通り抜け、ちと寂しい道へ。
ずんずん進むとマジ山道。
でもヘアピンカーブの道はきれいに舗装されているので、
ここらへんも車でこれるらしい。
とか思っていたら、途中茶畑の隣の木の手入れをしているおじーちゃんに
「神社やったらこの先やでー」といわれて、その先へ。
背の低い鳥居が見えてきて、「天之石立神社」です。
ここは山道の途中で、ごろんごろんした石が、
山上から流れてきたかのような状態で積み重なっています。
おお、凄いなーとか思っていたら、もっと凄い光景が眼前に。
まるでダムのような平らな石が二枚(二枚なのだ)
どうしたらこんな凄いものが…。
自然のすることは偉大だ。
その奥には例の「柳生十兵衛が天狗と誤って斬りつけた」という
真ん中でぱっかり割れた「一刀石」が…。
こりゃ、一人で来るには寂しい場所だけど、来ないと後悔しそうな場所。
神社から引き返してきたら、さっきのじーちゃんが一休みしていて、
「この前も女の子一人で見に来た子がおったわ」
「お~お」
それからしばらく、
「ここは結婚したときに植えた木で、それ使って家建てたわ」
「ひ孫が生まれて、ケイタイに写真入れてくれた」
「ここは全部うちの山やけど、後継者がおらんでなあ」
「農協の積み立てでシンガポールやらオーストラリアだの行ったわ」
誰も来ない山の中で、しばしお話を拝聴しました(笑)
その後、じーちゃんの話にしたがって車通行不可の看板が出た道を
「人は通ってもいいんだよね?」といぶかしがりながら歩いてきたら、
いわれたとおり墓地に出ました。
さらにそこを下ると「芳徳寺」@柳生一族の菩提寺。
静かな禅寺かと思いきや、隣接している学園の生徒たちの声なども聞こえ、
そこそこひと気のある様子。
でも山門での入山は「お金はここに入れてね」式。
禅寺風の方丈で、釈迦如来像など拝み、墓所へ。
お堂の裏手を降りていくと、一族のお墓。
知っている人の方が圧倒的に少ないのですが、
菩提寺なんだなあというのがよく分かりました。
お寺の山を降りて今度は向かい側の山へ。
整備されまくった「柳生陣屋跡」と、「八坂神社」をまわって、
なんとなく山道を登って「摩利支天の碑」へ。
ここがですね、柳生中学校のまん前の小山で、
真正面なにもなし。はるか彼方の山まで一直線に
何もない空間で、風が直接ぶつかってくるので寒い寒い。
ブルブルしながら下って山道に戻ってくると、
ぜんぜん風が無く…あの場所は夏は涼しいんだろうな。
そして「柳生陣屋跡」へ。
幕末の柳生藩家老小山田主鈴の屋敷で、
昭和の時代に作家の山岡荘八が購入して、
ここで大河ドラマの構想を練ったということが有名。
屋敷もさることながら、庭が立派でね。
ちょっと高いところに建っているので、眺めがよい。
とりあえずこれにて柳生の集落は見学終了。
集落の十兵衛食堂にて「十兵衛うどん」を食します。
食後はショートカットのために、食堂前からバスで阪原へ。
普通は先ほど行った「疱瘡地蔵」の先の道を通って、
一山越えてここの集落へ出てくるのだけど、
山道は極力排除(←邪道!)して。
ちょうど休日には昼時間に増便されているバスがあるので、
それにのってショートカット。
(車道も結構山道だった)
バス停からしばし迷って「南妙寺」へ。
こういってはなんだけど、
こんな田舎にこんな立派なお堂があるとは思わなかった。
おおお、と思っていたら、お堂にいた猫が「にゃー」と起きて
こちらにやってきてくれた♪
おお!お寺には猫がいるのは定番だ。
猫ねこと遊びつつ、お堂の周りを歩いていると、猫もついて回ってくれる。
でも和尚さんが出てこられたら、にゃーと行ってしまった。
足元にはエサの鉢。
そりゃ勝てませんわな。
普段は開いてないお堂だけど、予約してあったので
中へ入らせていただきました。
本尊は薬師如来。手には薬壷がのるタイプ。
あの中には「莫迦につける薬」もあるでしょうか?(無いと思う)
板光背がソフトクリーム型(?)で美しい。
ここがもっと奈良駅から近くて、常時開扉してれば
もっと頻繁に来たいところなんだけどなあ。
お参りして出てきたら、猫も食事が終わったと見えて
またやってきてくれました。
「捨て猫らしくて、居ついてしまいました」
でも、とっても和尚さんに懐いていましたので、もうお寺の猫ですね。
「ちゃんとお寺のお勤めするんだよ」
と言い聞かせてきましたけど。
その後「お藤の井戸」を探してうろうろしていると
ご丁寧に車で通りかかった人が教えてくれました。
「お藤の井戸」は井戸端で洗濯をするお藤ちゃんに、
通りかかった柳生宗矩(むねのり)が、
「そのたらいの中の波の数はいくつだ?」と尋ねると、
お藤が「お殿様がここまで来られた馬の歩数はおいくつ?」と返した。
「うむ、できる、愛いヤツめ」(と思ったかどうかは定かではないが)
ムネノリはお藤の機転のよさと、器量の良さで、妻と迎えたそうな。
玉の輿ですなあ。
その後は東海自然歩道をひたすら歩く歩く、です。
とりあえずは「夜支布山口神社」へ。
集落とつかず離れず、時には民家の軒先を通って、
たまに竹やぶの中を通って、歩くこと45分ほどで神社到着。
村の神社さんって感じの古いお社でしたが、
立盤神社はまだ新しい建物。
どうやら式年造替で数年前に建て替えられたばかりのようです。
ここは、こちらの神様を各家庭にお迎えしてお祀りする「回り明神」が有名。
あと柳生といえば「太鼓踊り」
いずれも奈良検定ではお馴染みですね。
東海自然歩道はこの神社の脇を通ってまだまだ続きます。
次なる目標は「円成寺」です。
だらだら続く山道と、田んぼ道。
車が通る音が近づいたり、遠くなったり。
だんだん歩いている間、暇になってきました。
いや、登りだけではなく、ほどほどに平坦でいいんですけどね。
そのうち、車の通る道が見えてきて、やっぽー。
途中「滝坂道」から合流してくる道と出会い、
ここを歩けば高畑に行けます(行かんけど)。
夜支布山口神社から45分ほどあるいて「円成寺」到着です。
近所のお店でコーヒー一杯飲んでしばし休憩ののちお寺へ。
時間が時間(15時過ぎ)だし、季節も季節(1月)なので、
お寺はほぼ貸切状態。
(ゆえに、寺隣接の茶店は冬季休業中だってのは痛恨のミスだった)
まあ、静かにみられるというのは良いことだけどね。
多宝塔の中には運慶作の大日如来像が鎮座。
ガラス越しなので映りこみがあって見にくいのだけど。
ここでは映り込みを防止するための「覗きめがね」があった!
手作りなのですが、オペラグラス風で、これが優れもの。
ナイス!
ここの本堂の柱は絵がきれいに残っていて美しい。
春日堂も白山堂もお変わりなく。
緑も花もなかったけど、お堂そのものは堪能できました。
あとはバスで帰るだけ…なのだけど。
ここにきて、最後の最後でミス。
円成寺口バス停から乗ろうとしたら…うんと奈良寄りにバス停があったんだな。
寺のまん前にはないことは知っていたんだけど。
こんなに離れていたっけ?せいぜい斜め前くらいだと思ったんだけど。
こんなことなら、ちょっと戻っても「忍辱山」から乗ればよかった。
おかげで最後の最後にバス停まで小走り。
しかもバス停手前でバスが来たのに気がついて、手を振って止まってもらう始末。
(まあ、あそこって自由乗降区間だからもともとそれでOKな筈だけど)
なんとか予定していたバスに乗り込めて、奈良市内へと戻ってこれました。
(うそ、柳生だって奈良市内だ(笑)奈良駅付近って意味です)
午前中も昼食時が余裕なかったし、
最後も小走りで焦ったし、
同行の皆様にはご迷惑をオカケシマシタ。
まだまだ”同行者を楽しませる”までいかんなあ…。
まあ、私についてくるとロクな目にあいませんが、
おもろいことには遭遇できると思いますので、
これに懲りず(?)また一緒に歩いてくださいませ。
次回は花見かなあ…。
ヨソから奈良に行っているわたくしですが、
実は昔、奈良県民だったものですから…。
いまだに「奈良へ行く」なのか「奈良へ帰る」なのか
よくわからないままに行き来してます。
2級はどうでしたか?
ソムリエ級は4択以外の部分があやふやなので
自己採点できない部分で、悶々の日々です。
またお越しくださいませ~♪
奈良検定、お疲れ様でした。
楽しいブログですね。
私も今回、初めて2級を受験したのですが、遠くから、受けにいらっしゃていることを知り、ちょっと、驚きました。
各所駆け足になったり、時間不足だったりして
ご迷惑をオカケシマシタ。
なかなかたらちゃんと歩ける機会はないから、
楽しかったです。またどこか歩こうね!
忍者って…(笑)
あなたの家族は「ガイジン」ですか!♪
いっぱい歩きましたね。
楽しかったです。
宿といいスケジュールといい、たいへんお世話になりました。
だんなさまにも、父にも母にも、
話す人話す人に「忍者はいた?」と聞かれました(笑)。