東アジア歴史文化研究会

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『ユダヤ人埴輪があった! 日本史を変える30の新発見』田中英道著(育鵬社)) 中央アジアの「弓月国」からユダヤ人は数次にわたって渡来した?

2019-12-12 | 日本の歴史
田中歴史学の諸説を網羅しダイジェストした。

いずれも歴史学の定説を根底的にひっくりかえす田中英道教授の新説のオンパレードだが、とくに興味深いのは表題の「ユダヤ人埴輪」である。

四世紀から五世紀頃にかけて中央アジア、シナの北方にあった「弓月国」からユダヤ人グループが日本に渡来している。数次に亘り、六世紀の渡来は確実な史実という。

特有のユダヤ帽子に髭、髪型はミズラ。高い鼻などユダヤ人の特徴をそのまま造型した埴輪が、関東の幾つかの古墳遺蹟から出土した。しかも彼らは武人だったという。

千葉県山武郡に「芝山はにわ博物館」があって、ここに展示されている。ついでに言えば古墳がもっとも多いのは近畿より関東地方なのである。古墳の数12000は千葉県、ついで茨城、栃木、埼玉、群馬に拡がるが、世界遺産は百舌鳥の仁徳天皇とその周辺の古墳のほうになった。関東勢が宣伝をしなかったからである。

田中説では触れられていないが縄文土器の最古のものは16500年前、青森の大高山元遺蹟ら出土したのだ。ところが、千葉県のもっとも古い縄文遺蹟は、じつは34000年前ということが分かっている。旧石器の発見も群馬県岩宿でなされた。どうやら関東に日本の古代文明の中心があったようだ。
したがって縄文の歴史も、いずれ定説が覆るだろう。

さて田中英道氏はフランス、イタリアの美術史が専門だが、近年は「卑弥呼は存在しなかった」。「高天原は関東の日高見国だ」と主張されてきた。頭の固い歴史学界の従来の固定観念的な定説は間違いだと、新説をひっさげて斯界に舌鋒鋭く斬り込んだ田中氏は、「縄文の火焔土器にしても水紋土器だった」と新説を主張している。

ぎょっとする記述の幾つかを並べると、まずヤマトタケルは渡来人の子、なぜなら殺戮方法が大陸的であり、もっとも暴力的だったのがワカタケル(雄略天皇)で、彼も渡来人の血を受けていると田中氏は推定される。

評者(宮崎)、この本を読みながら、先々週旅してきた山口県のペトログラフの岩盤のことを思い出した。日本では珍しい岩彫文字が山口県下関市の彦島八幡宮と、長門の角島に残る。

彦島は巌流島で有名となった場所に近い。周囲の工業地帯の工事中に七つほど文字らしい、あるいは絵文字とも見られる岩が見つかった。

彦島の名前から分かるように、周辺は海だった。彦島八幡宮に先史時代の神代文字ペトログラフを彫り込んだ岩が移籍され、フェンスで囲んでいる。

一部の歴史家は、この岩彫刻文字がシュメール時代と同期にあたる六千年前のものであるためシュメール文字の分かる人たちが上陸し、多くの岩に文字を残したとする。岩彫文字が杉田丘陵と呼ばれた造船所から七つ見つかっており、「日の神や大地の女神、大気の神、豊穣をもたらす雨を、男女神にかけて祈った」と解釈できるという。

要はシュメールの文字が当時の日本に伝播していた史実を示す。だから、ユダヤ人が六世紀には日本に渡来していたのは確実であろうことまでは理解できる。

田中説では、ここから推測して古代地中海文明の巨大建築の考え方を彼らが日本に持ち込み、古墳建築になったのではないかとされる。

これらの諸説が正しいのか、否かの判定材料が不足しており、貴説と世間では受け取られるだろうし、歴史学界は冷笑して無視するだろう。しかし、一つだけいえることがある。考古学の発展が神代の謎を次々と解明しており、古事記の謎も、神武天皇の実在も、それ以前の日本の歴史が秘密のベールから徐々に姿を現している。

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内容紹介(アマゾンより)

衝撃の古代史!

高い帽子、伸びた髭、豊かなもみあげをもつユダヤ人埴輪が多数出土している。
それは秦氏一族である。
形象学・遺伝子学・文献学から実証解明する。

戦後、日本文化は朝鮮・中国から来た、という考え方が研究者によって植えつけられました。
秦氏は新羅出身であるとか、中国からやって来たと、一般に考えられていますが、そうではないのです。
なぜDNA鑑定で、日本人がユダヤ人に近いD2があるのか。
それがユダヤ人埴輪の存在で、初めて跡付けられました。
どうして日本人と朝鮮、中国の文化とが異なるのか、わかったのです。

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