東アジア歴史文化研究会

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石平『三大中国病 天命思想・科挙・礼教』(PHP新書) シナの天命思想と日本神話の天孫降臨とは決定的に異なる 天子なる発想は易姓革命に繋がるが、天照大神の血脈は万世一系となる

2023-04-25 | 中国の歴史・中国情勢

日本は神武肇国のはるか以前、天照大神の時代から民主主義である。大神はしかも女性で、暴れん坊の弟スサノオを高天原から追放するか否かを、天の安河原に八百の神々を集めて合議するのである。

聖徳太子は『和』を説いた。これが日本の基本原理である。

その日本にも独裁者が時折現れた。蘇我馬子、蝦夷、入鹿の三代。ついで藤原仲麻呂、そして信長だろう。いずれも天に替わって蹶起した中大兄皇子、吉備真備、明智光秀によって討たれた。独裁者の出現はその後の日本にはない。

藤原道長?『我が世とぞ思う』と詠んだだけである。秀吉? たしかに独裁に近いが、家康など諫言する側近がいたし、跡継ぎの秀頼を盛り立てようとした大名はいなかった。

井伊直弼? 大久保利通? いずれもスタイルは独裁的に見えたが合議を重んじた。しかし誤解され暗殺された。

新井白石は古代から近世までの天皇政治を豁然と九つの時代に区分した。

すなわち天皇が幼少だったので外祖父の藤原良房が摂政として政治を代行したのが第一の変化。天皇の外戚が権力を掌握したのだ。第二は藤原氏が政治を壟断した時代。そして第三の変化とは「六十三代の冷泉から円融、花山、一条、三条、後一条、後朱雀、後冷泉の八代百三年間というものは外戚藤原氏が権力をほしいままにした」(白石『読史余論』、横井清現代語訳。講談社学術文庫)。

まさに『この世をば我が世と』と詠った藤原道長はこの「第三の変化」の時期にあたる。因みに続きは、(四)後三条の摂関家牽制、(五)院政、(六)鎌倉殿、(七)北条氏九代、陪臣の身で国政掌握、(八)後醍醐天皇の建武の新政、(九)南北朝分立と室町幕府となる。 いずれも権力状況としての政権掌握が実態であり、シナのような皇帝の独裁はなかった。

ならば徳川の権力はといえば天皇からまつりごとを任された征夷大将軍であって、その幕府の学問は皇国史観、神州、攘夷思想の水戸学の流れに迸り、大政奉還となる。

歴代シナ皇帝の独裁政治はなぜ可能だったかと石平氏は疑問の解明に挑んだ。北京大学哲学科卒、四川大学で哲学を教えた経歴が思考の深みを伴う。いや哲学を専攻したからこそ、こうした著作をものに出来るのだ。

石平氏は「三大病理」が中国の民主化を阻んでいると明確にのべる。それが天命思想・科挙・礼教であり、これらのウィルスは総て日本に伝わったが、感染を免れて、独自の文明を築いた。

「礼教」という耳慣れないタームは朱子学から派生した女性の生き方(とくに再婚禁止(節婦)。夫が死ねば殉死(烈婦)という規則である。日本は神話時代から男女同権。離婚も再婚も自由だった。

本書の肯綮は下記である。

「日本の江戸時代の学者たちの生き方とその学問のあり方は、中国の科挙制度下のそれとはまさに天と地との差があろう」。

すなわち科挙という選抜制度により政治的に一元化した支配構造が皇帝の独裁を支えたので、そのシステムでは有為な知識青年は科挙合格に人生を懸けた。四書五経の43万字の暗記に青春をかけて立身出世を望んだ。

「官製のイデオロギーだけの勉学に励んでいた。その結果、中国の知識人は全員が厳格な儒教信奉者となってしまい、彼ら自身からは独自の思想や儒学以外の学問は生み出されることはまずない」

知識人が科挙に吸収され、儒学以外の学問的探求は試みられず、したがって「政治権力から独立した学問も知識人層も最初から存在しないのである」(109p)

合理主義も自然に対する好奇心もなくなり、論理的思考ができない。残るのは論語的思想である。「論理」は不得手で「論語」のみの世界に埋没した結果、近代化に乗り遅れた。

対照的に日本では儒学のなかの朱子学を徳川が統治イデオロギーとして利用したが、該博な知識を競う学者等は飾りしかなく、やがて陽明学が主流となる。世に徂徠、素行、白石、宣長らが輩出し、芸術、絵画、俳句、文学、書画が興隆を極めた。

結局のところ、シナの天命思想とは天子が愚劣なら交替可能という易姓革命に繋がるが、天照大神の血脈は万世一系となる。 だから日本神話の天孫降臨とは決定的に異なる。

「神話において天照大神と血統的なつながりを持っている以上、その天皇としての地位と権威は自ずと保証されているのであって、その血統以外の誰かの取って替わられる心配もない。

(中略)日本人は天命思想を一つの参考にしながらも、天命思想の中の易姓革命の思想的要素を完全に拒否したのである」(70〜71p)

蘇我馬子も藤原仲麻呂も、平清盛も、織田信長も秀吉も、権力を握っても天皇に取って代わろうとする野放図な野心は抱かなかった。

日中の政治思想史の来歴と比較が『論語的』ではなく『論理的』にのべられていて、本書は有益である。


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