東アジア歴史文化研究会

日本人の素晴らしい伝統と文化を再発見しよう
歴史の書き換えはすでに始まっている

「戦後、なぜ日本で左翼運動が活発になったのか」(東北大学名誉教授 田中英道氏)

2016-04-27 | 研究会の案内
「ルーズベルトの戦争責任とOSS」、「GHQ日本改造計画と戦後左翼の正体」と、二回続けて田中英道氏(東北大学名誉教授)に講演していただいた。

なんとルーズベルト大統領は社会主義者であり、スターリンの友人でもあった。そしてそのルーズベルトが創設したOSS(戦略情報局)の構成要員のほとんどが米国共産党、フランクフルト学派(名乗らない共産主義者)であった。そのOSSで1942年前半に日本に対する二段階(共産主義)革命を計画していたこともOSS文書で分かった。かつまたOSS、フランクフルト学派の多くがユダヤ人であった。日本国憲法の草案にもっとも大きくかかわったGHQ民政局次長ケーディスもバリバリの共産主義者でありユダヤ人でもあった。1945年から2年間はGHQ内部の共産主義者たちがあらゆる日本の精神的、制度的解体を策略した期間でもあった。後にレッドパージされるまで日本国憲法をはじめ、ほとんどの諸改革が断行されてしまった。すべては二段階革命の布石(特に憲法九条)であったのだ。結果的に革命は行われなかったが、そのつけは大きく、戦後左翼の台頭、あらゆる階層にフランクフルト学派が跋扈し、日本を蝕んできた。

ルーズベルトは、1945年4月に急死した。急遽、大統領に昇格したトルーマンはOSSの存在をまったく知らされておらず、驚愕した彼はこれを廃止した。やがて蜜月時代は終り、米ソ冷戦の時代となった。それとともに赤狩りが始まった。

フランクフルト学派は、名乗らないが共産主義である。文化的共産主義だと言ってもいいだろう。体制を批判するためにあらゆる社会矛盾を糾弾し、攻撃してくる。個人の人権を主張し、封建的だとして家族制度や、ひいては国家の弱体、解体まで展開してくる。しかし、そこからは生まれてくるものは自己中心であり、なんら建設的なものはない。ジェンダーフリーを展開し、家族制度を否定する。愛国心を削ぎ落とし、国家の弱体を図ってきた。伝統や秩序の破壊はあっても人間の不幸を助長するだけである。左翼思想の本質とはそういうものであろう。虚偽意識である。

それにしても、体制としての共産主義は崩壊してきたが、ユダヤ人たちが考え作り出したフランクフルト学派理論の脅威は戦後70年経っても続いている。ディアスポラのユダヤ人たちは世界でもっとも嫌われた民族として生きてきた。その人々が味わった苦難の中から、国を持たないが故に金融や経済で、思想の世界で隠然たる力を持ち続けてきた。田中英道氏は歴史から見た視点から、こういう世界との思想的闘いを展開してこられた。

以下、田中英道氏のまとめられた文章である。二回の講演にかかわる内容を踏まえたものであるので皆様に一読していただきたい。歴史の真実は本当に思わぬところに隠れている。驚くべきことである。

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月刊BAN2015年8月号より転載

「戦後、なぜ日本で左翼運動が活発になったのか」(東北大学名誉教授 田中英道氏)

「日本国憲法」は「共産主義革命」の第一段階だった

日本人が戦争の贖罪意識を持つ理由
つい最近の産経新聞は、一面トップで「GHQ工作 贖罪意識植え付け」と題して、「英公文書館所蔵 秘密文書で判明」と大々的に伝えました。このニュースに対する世間の反応があまりないように見えるのは、「中共の日本捕虜『洗脳』が原点」という見出しが、読む人々にあまりピンとこなかったからでしょう。「中国共産党の日本捕虜」など本当にいたのだろうか、という疑問もあるでしょうし、日本共産党の重鎮だった野坂参三がそんな役割を担っていたとは思えない、と考えた人もいたことでしょう。

この文書のもっとも重要な点は、アメリカGHQが戦後、日本を明確に左翼共産主義へ導こうとしていたことを明らかにしていることなのです。その思想改造を中国延安で、野坂参三を通じて日本捕虜に対して行っていたように、戦後の日本でもやろうとしたことを暴露したのです。それにまんまと多くの人々、特に学界、官僚、ジャーナリストが引っかかり、彼らの意図をある程度成功させてしまいました。もっとも、決して社会主義国家にもならなかったし、いまだに左翼は少数派にすぎないことは、逆に、日本人がいかに強固に保守であるかを証明したということでもあります。

実を言うと、ここ20年ほど前に米公文書館から解禁となって出た新しい対日記録文書は、同じことを言っていたのです。私はすでに『戦後日本を狂わせたOSS「日本計画」』及び『戦後日本を狂わせた佐用区思想の正体』(展転社)により、あの「太平洋戦争」と、世界の戦後史の見方を決定的に変えざるを得ない分析をしています。それは戦後すぐ、アメリカGHQ自身が露骨に社会主義の日本をつくろうとしていたことが分かったからです。つまり、戦後は「民主主義化」ではなく、「共産主義化」だったのです。

日本を共産化に導いたOSS「日本計画」
まずこのOSS「日本計画」というものが、一体どんなものか説明しておきましょう。OSSとは「Office of Strategic Service(戦略情報局)」の略称で、これ自体、第二次世界大戦に際して、ルーズベルト大統領の下でつくられ、戦略分析と政策提言を行う役割を担っていました。これが最後に、有名なCIA(中央情報局)となる組織の前身です。

この「日本計画」は、昭和17年6月の段階で、3回も案が練られた上で提出されました。計画では、始まった戦争をどう処理するかだけなく、さらに戦後どう変革するかを構想していたのです。天皇を国民の象徴として残す、という大方針を決めていたばかりではなく、戦争で人々の心理をどう変えるか、という問題を中心に捉えていました。

このように、敵国に対する戦いを「心理戦」に置いたことは、日本人のような「戦争は武器の戦いそのものを第一とする」という、単純な戦争観とは異なり、より高度な内容であると言えるでしょう。それは戦後、日本人、特に知識人が完全に敗北意識、贖罪意識を持ってしまったことでも分かります。天皇の「終戦の詔勅」がいつの間にか「敗戦の詔勅」となり、ポツダム宣言で軍隊だけが降伏したことを、日本国家そのものが無条件降伏してしまったと思い込んだことでも分かります。

OSSの文書には、次のように日本人を変えようという計画が書かれていました。
①「日本人に、彼らの政府や日本国内のその他合法的情報源の公式の言明への不信を増大させること」。つまり、政府が国民に言うことは嘘であると、不信感を煽ることです。
②「日本と米国の間に、戦争行動の文明的基準を保持すること」。すなわち、日本文明は程度が低いのだと、言い立てることです。
③「日本の民衆に、彼らの現在の政府は彼らの利益には役に立っていないと確信させ、普通の人々が、政府の敗北が彼ら自身の敗北であるとはみなさないようにすること」。政府と民衆とは別で、彼らは敵であるという認識をさせることです。
④「日本の指導者と民衆に、永続的勝利は達成できないこと、日本は、ほかのアジア民衆の必要な援助を得ることも保持することもできないと確信させること」。これは、日本がアジアの中で孤立しているという認識を与えることです。
⑤「日本の諸階級・諸集団間の亀裂を促すこと」。なにげなく言っていますが、これこそ社会主義者が言う「日本国内に階級対立、内部分裂を起こさせ、革命を起こさせる方向にもって行くこと」を言っているのです。
⑥「内部の反逆、破壊活動、日本国内のマイノリティ集団による暴力事件・隠密事件への不安をかき立て、それによって日本人のスパイ活動対策の負担を増大させること」。常に少数の反逆者を育て、破壊活動させ、暴力、陰謀事件を起こさせて、スパイ活動を助長させ人々を混乱させることです。
⑦「日本とその枢軸国とを分裂させ、日本と中立諸国との間の困難を促進すること」。
⑧「日本の現在の経済的困難を利用し、戦争続行による日本経済の悪化を強調すること」。これは、経済的混乱をさらに悪化させて、人々の不安を煽り立てることです。一見、もっともらしい宣伝戦のように聞こえますが、日本を混乱させ、「革命」に持って行かせる算段と言って良いでしょう。ソ連以外、どの国でも失敗した社会主義革命を、遅まきながら日本で成功させようとしたのです(「日本計画」草案、加藤哲弘訳)。

日本内部の分裂と混乱を狙った行動指針
以上の8項目を見ると、日本人間の相互不信、政府と民衆の分離、日本の他国からの孤立、諸階級、諸集団の分裂、内部の反逆、破壊、少数集団の暴力、陰謀への不安の増長、その対策への負担の増大、経済悪化の宣伝といった、かつての労働者の組織的暴力によるストライキ、デモなどの「暴力革命」の煽動ではなく、ひたすら心理的な不安を与えるという、精神的な混乱に重点を置いていることが分かります。つまり、日本内部の分裂と混乱を狙った行動指針なのです。おそらくこうした煽動は、日本人には軽いものに思えたことでしょう。

いま、共産党も民主党も一切、労働者の組織的蜂起など言わず、ただ政府への批判、孤立化だけを述べているのも、このOSSの方針に沿っています。彼らは、労働者革命は不可能だという認識を持っています。これが、OSSに入り込んだフランクフルト学派の「批判理論」の考え方なのです。日本人には、あたかもそれが意図的ではなく、成り行きでそうなったように思えて、そうした困難は自ら招いた姿であると、自然に洗脳されてしまうのです。

またこの段階で「日本の天皇を(慎重に、名前を挙げずに)平和のシンボルとして利用すること」として天皇を戦後温存し、利用することを決めています。しかし、決して肯定的にではなく、「今日の軍部政権の正当性の欠如と独断性、この政府が天皇と皇室を含む日本全体を気まぐれに危機にさらした事実を指摘すること」によって、政権の打倒に利用するためです。つまり天皇を温存し、それを軍部批判に利用するわけです。今でも多くの左翼が、天皇発言録を利用して、政府の違いを指摘し、攻撃の材料に使っています。それを「名前を挙げずに」、間接的宣伝を行い、人々に雰囲気として分かるようにする、ということがこの作戦です。

「なんと、まどろっこしい」と思われるかもしれませんが、アメリカ軍が戦争中、決して皇居を空襲しなかった原因は、こうした間接的利用の意図があったからです。さすがに天皇家を壊滅させたりすれば、日本を占領した際に、手ひどい復讐を受けると考えたからにほかなりません。彼らは最初から、天皇に戦争責任を負わせないつもりだったのです。だからこそ日本人は、戦後、アメリカ軍を歓迎し、敗戦だと考えなかった側面があるのです。そしてその後、宣伝だけで敗戦意識を植え付け、贖罪意識を植え付けようとしたのです。

共産化したアメリカによる情報戦
なぜアメリカ諜報機関は、こうした心理作戦が重要だと思ったのか。それは、このOSS機関の主要メンバー、つまりアメリカの共産党を中心とする左翼が、そうした方針をとらせたと言うことができます。というのも、ルーズベルト大統領が設置したこの機関は、大統領のコロンビア大学の級友、ウイリアム・ドノヴァンに、中央情報局と秘密活動(諜報活動)を兼ねた期間をつくることを命じ、1942年に組織させたものです。要するにインテリジェンスのっ頻でした。

ニューディール政策を取っていた大統領自身が、すでにソ連の社会主義を肯定し、親ソ連、親中国共産党の人物を集め、アジアにおいては、社会主義化するための方策をとらせたのでした。その社会主義化も、労働者のみの革命は諦めていたのです。スタッフは、終戦までに工作員、補助工作員を含めて3万人を超える人員を抱えていたため、大量の左翼が活動することになります。冒頭の産経新聞が報じたエマーソンもハーバート・ノーマンも、このOSSに所属していた人物で、ほかにも戦後、一橋大学の学長になった都留重人もその一員でした。アメリカで共産党活動をしていたジョー小出をはじめとする在米日本人も活動していました。要するにインテリが情報戦で人々を騙そうとしたと言って良いでしょう。

最近出版された加藤康男氏の『昭和天皇 七つの謎』(ワック)は、ノーマンについて触れていますが、肝心なOSSの組織活動については無視しています。この組織があったからこそ、ノーマンもエマーソンも活動できたのです。OSSについての無知は、諜報機関に詳しいはずの元外交官、佐藤優氏にも及んでおり、日本に関してこれほど重要であったOSSの組織解明ができないのも、これを継いだ戦後のCIAが、全く正反対の反共活動を行ったことが原因だからです。

多くの日本の評論家が、複雑なアメリカの政治的変遷を捉える能力を欠いているのです。また、もうひとつの理由として、日本人識者が、新たな「革命理論」と言える「二段階革命論」が、よく理解できないからからとも言えましょう。これは、すでにレーニン主義的「暴力革命」は不可能になったことを認識したユダヤ共産主義者たちが、社会の封建的側面を破壊する「民主主義革命」を起こし、その後、資本主義の崩壊を引き起こす「二段階革命論」なのです。

延安で野坂参三が「社会主義は、軍国主義の破壊を通してブルジョワ民主革命を通した後に得られる」と言っているのは、この論理を日本に適用しようとしていた証拠です。

「二段階革命」がなぜ戦後日本で起こったのか
二段階革命論は、フランクフルト学派の学者であるルカーチなどが生み出し、日本には、ドイツに留学した福本和夫などが移入しました。講座派と言われる学者にも大きな影響を与えています。イタリアの共産党員、グラムシなども、この方式を支持しています。アメリカに亡命し、OSSのメンバーに加わったフランクフルト学派のノイマン(後にソ連スパイとして逮捕される)や、1968年の五月革命でホルクハイマー、アドルノ、マルクーゼなど多くのフランクフルト学派が影響を与えたことはよく知られているのです。

彼らも当時、この二段階革命論を持っていました。しかし戦後は「批判理論」という、常に社会を批判し続ける態度に変わりました。二段階革命の目的の社会主義が絶望的になったことを踏まえて、ただ「体制批判」を繰り返すことによって、何らかの「革命」をする、という一層無責任なものになりました。その理論が、ほぼ今の共産党、社会党、後の民主党の理論となったと言って良いでしょう。

最終的には、この「二弾か革命理論」が盛んになり、OSSが中心となって、日本と中国の社会主義化工作を行っていました。その中心の一人であったエマーソンの『回想録 嵐の中の外交官』(朝日新聞社、昭和54年)によると、OSSの長官であるドノヴァンは重慶政府(国民党政府)よりも、共産党の根拠地、延安に援助を与えることを明言した、と書いています。つまり、アメリカはOSSを通じて、中国の共産党政権を後押ししていたのです。OSSは、米軍輸送機C47で、大量の物資、機材を重慶から延安に運んでいました。国民党政府は抗議しましたが、ドノヴァン長官は受け付けなかったといいます。

このエマーソンの「延安報告」に基づいて、国務省の極東委員会の方針がつくられました。そして「日本軍国主義者に対する心理作戦」という計画書を提出し、共産主義者・野坂参三にその理論を説いて、日本の戦後「革命」に協力させたのです。

「人民に訴う」に酷似した日本国憲法
この二段階革命論者の鈴木安蔵が参加した憲法研究会の提案が英訳され、GHQの民政局のラウエルに渡れたものが、今の日本の憲法に反映されているのです。鈴木は、フランクフルト学派である福本和夫に学び、「封建的諸制度」を崩壊させることを主眼に置いて、憲法を変えようとしたのです。

日本国憲法が、共産党の声明文「人民に訴う」とよく似ているのもそのせいです。ノーマン、エマーソンらによって府中刑務所から釈放された共産党の徳田球一、志賀義男らは「アメリカ=解放軍」と捉え、「人民に訴う」を発表しました。

「人民に訴う」では
1、 ファシズムおよび軍国主義からの世界解放のための連合国軍隊の日本進駐によって、日本における民主主義革命の端緒が開かれたことに対して、われわれは深甚の感謝の意を表する。
2、 米英および連合諸国の平和政策に対してわれわれは積極的にこれを支持する。
3、 我々の目標は天皇制を打倒して、人民の総意に基づく人民政府の樹立にある。(「人民に訴う」)

しかし情けないのは、共産党は帝国主義国であったはずの「英米及び連合諸国」の平和政策を支持するなどと、本来の歴史観では考えられないことを述べているのです。それだけこの時代の英米が、社会主義に道を開いた左翼的な国に見えたのでしょう。日本国憲法が、いかに共産党の方針に則して作られたかが分かります。

1946年2月4日、GHQの民政局ホイットニー局長がマッカーサーの意向で、憲法草案の作成をすることを告げ、ケーディス、ラウエル、ハッシーなどの配下を運営委員にして17人のメンバーで、憲法制定の作業を始めました。マッカーサーは「三原則」として、
1.天皇の位置
2.戦争放棄
3.封建制度の廃止
を掲げましたが、これは明らかにOSSの「日本計画」の案と一致しており、それが共産党の案でもあったのです。

そして共産党が「人民に訴う」で述べた「革命」の前段階としての現状認識は「八月革命」説、すなわち天皇主権の明治憲法の改正ではなく、国民主権を突然持ち出した憲法であるから、「革命」に等しい、という説にも合います。また戦後、天皇が「神権」を放棄されたことは、「国体」そのものも「八月革命」で消滅した、と解釈したというのです。いずれにせよ、宮沢氏はOSSの方針、つまり二段階革命説による一段階目の「革命」だと認識したと言えるでしょう。

しかし、それはOSS「日本計画」以後のアメリカの政策によるもので、決して国民自ら決めたものではないことは明らかです。「明治憲法」によらない、突然の「憲法」制定など、正当化されるべきではないでしょう。このような無謀な憲法を勝手に受け入れる論理をつくろうとしたのが、宮沢氏の「八月革命」という言葉でした。過去と断絶した、という発想です。こうして作られたのが、現在の「日本国憲法」です。

今日の憲法論議に、こうした新憲法理解が全くされておらず、多くの「憲法学者」が「民主主義」憲法と述べ、政府も「学者の言うことだから正しいだろう」と、相変わらず彼らに諮問し続けて、愚かさを露呈しています。「ケーディスら憲法の素人が8日間でつくった」などという批判だけでは、憲法批判になりません。それは、左翼学者が憲法の専門家であるから正しい、という考えを肯定してしまうからです。この憲法が、初めから「社会主義革命」の第一段階をつくろうとした、という本質を語らねばなりません。新たな米英公文書館から出てきた資料による憲法解釈をしなければ、憲法論議は無駄だと思われます。

今の憲法があるから平和なのではない
憲法は革命の第一段階ですから、必ずしもそこに社会主義の言葉はありません。しかし憲法1条では「天皇は、日本国の象徴であり・・・、主権の存する日本国民の総意に基く」とあり、あたかも国民の意志で、天皇の存在を左右できる、と書かれています。これは次の段階を狙ったものです。2条に「皇位は、世襲のもの」と書かれていることと矛盾していますが、1条を優先しているのです。

その矛盾は9条が最も顕著です。9条1項は、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力によるによる威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と書かれています。一体これは何でしょう。

9条2項は、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と、国の防衛をまるで放棄した全く非現実的な条文です。

ここには、他国から攻めてくる、という観点が全くないのです。戦争は、必ず日本からやるものだ、と決めてかかっています。人が必ず死ぬ戦争に、自分から進んで行う国など、世界のどこにも存在しないはずです。同時に、他国から攻められたら、相手を攻撃し、侵入を防がない国もありません。自ら護手段を持たない国などは、古今東西あり得ないのです。

どうしてこのような9条を作ったのでしょうか。憲法前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」というおかしな言葉があります。他国には常に「公正と信義」があるだろうと信じきっている内容です。しかしこれも妄想でしかありません。他国は隙があれば必ず攻めてくると思わなければなりません。この全くおかしな戦争放棄の条文も、これまで述べてきた「革命」の理論を知れば、その意味がわかります。

歴史を見ると「革命」は必ず暴力で行われます。その武力を制するのは、国家の軍隊でしかない。警察では抑えることはできません。軍隊を持たないとする憲法は、まさにその「革命」を成功させる機会を与えることなのです。つまり第二段階目の社会主義革命の成功をたやすくさせるための憲法9条である、と考えざるを得ません。

だからこそ、「革命」を望む人々が「9条を守る会」をつくるのです。社会主義革命を目的とする共産党、社会党、民主党の多くが憲法擁護で頑張るのは、そのせいであることが、おのずから分かります。未来の「共産主義革命」を望むからこそ、彼らはこれを死守しなければならないのです。彼らは決して「民主主義」の段階でとどまってはいません。民主主義の段階では、体制に常に批判するだけという「批判理論」の方法を用います。

この日本国憲法には、ほかにも多くのおかしな点があります(詳しくは拙著『戦後日本を狂わせたOSS「日本計画」』の第4章「日本国憲法は社会主義憲法」に書きました)。しかし、このような憲法ができて、70年経った今も変わっていないにもかかわらず、日本には二段階目の「革命」方向には、一向に向かっていません。かえって、ソ連の崩壊や、中国の独裁制などの方向を誰も望まなくなっています。今こそ、このような視点から現憲法を放棄し、新たな憲法をつくらなければなりません。

左翼が言うように、この憲法があったから、戦後70年が平和だったわけではありません。他国から侵略されても、防ぐ力を持つ「自衛隊」がつくられ、それが軍隊と同じ力を持ち、戦後2年にして「反共」に変わったアメリカ軍の存在があったからこそ、日本は中国や北朝鮮から侵略されなかったのです。OSSがCIAに代わって、アメリカが反共に転じ、ソ連や中国という「共産党」によって統治される「全体主義国家」に対抗して、同盟を結んでいるからこそ、侵略されなかったのです。このような戦後の実態をつかんでこそ、我々の未来があるのです。(一部敬称略)


田中英道氏プロフィール
1942年東京生まれ。東京大学文学部仏文学科、美術史学科卒業。ストラスブール大学に留学し博士号取得。ローマ大学、ボローニャ大学客員教授、新しい歴史教科書をつくる会元会長を歴任。現在、東北大学名誉教授。フランス、イタリア美術史研究の第一人者として活躍する一方、日本美術の世界的価値に着目し、精力的な研究を展開している。また、日本独自の文化・歴史の重要性を提唱し、日本国史学会の代表を務める。
著書に『イタリア美術史』Leonard da Vinci、『ルネサンス像の転換』、『光は東方より』『日本美術全史』History of Japanese Art、『国民の芸術』、『聖徳太子虚構説を排す』、『新しい日本史観の確立』、『「やまとごころ」とは何か 日本文化の深層』、『日本の歴史 本当は何がすごいのか』、『日本の文化 本当は何がすごいのか』、『日本の宗教 本当は何がすごいのか』(育鵬社)、『戦後日本を狂わせたOSS「日本計画」 二段階革命理論と憲法』(展転社)、『戦後日本を狂わせた左翼思想の正体 戦後レジーム「OSS空間」からの脱却』(展転社)、『日本人が知らない日本の道徳』(ビジネス社)、新刊『戦後日本を狂わせた反日的歴史認識を撃つ』(展転社)など多数。

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1 コメント

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Unknown (sy)
2020-02-13 23:19:12
活動的な馬鹿ほど
厄介な者は居ません、 
世界はそいつらが
牛耳って居ます
真面な常識人は日々
自分を弁え仕事に励んでいます。
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