Peace Waveの平和な日々~行く雲、流れる水のように~

気が向いたら、ボチボチ更新しようかと・・。(笑)

弱音を吐こう!

2010年08月31日 | 最近、思うコト

我が家は2階なので、ベランダの真ん前にお向かいの家があり、ベランダからはそのお隣の屋根と、我が家があるビルとに切り取られたご覧のような空が見える。

 

今月はとにかく、ひたすら晴れ!!

 

何日か前に、29日連続熱帯夜で広島県の記録更新!・・とか言ってたから、既に1ヶ月はゆうに越えて、記録を更新し続けているコトだろう。

 

もう明日から9月なのだが、秋らしい気配はさっぱりない。 

強いて言えば、少々、日が落ちるのが早くなって、夕方はちょっと涼しくなったかな・・?

―と言っても、今までが相当暑いので、ムアッとする感じに、そう変わりはない・・。

 

いやー、しかし、アツイ・・。

 

小さい頃など、

「暑い、暑い、言ってるから暑いんだ!

・・などと、ムチャな理論をぶつ大人がいたものだが、まあ、言ったごとくになる・・というポジティブな考えがもてはやされる昨今、あながち、いい加減な話とも言えない。

でも、暑い時は、やっぱ「暑い」・・て言ってしまう・・。

 

話は変わるが、自分の父親は、とても寡黙な人で、まあ、およそ家族や子どもの前で、仕事のコトなど話したコトがない。

酒を飲んで、上司の愚痴を言って管を巻く・・なんてコトは、まずない。

それはそれで男らしい、尊敬できる姿であったが、子ども心にいつも感じていたのは、完璧すぎて、どこか近寄り難い、言い変えれば、「人間くささ」に欠ける・・そんな印象であった。

 

だから自分は、その反動で「弱音を吐こう!」と思って育ってきた。

今風に言えば、”負けるかしこさ”―ソフト・インテリジェンスとでも言おうか?

(カテゴリー/人生覚書き:「ソフト・インテリジェンス」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/5e60671fc4f89b8b2d802c4760e9a032

 

しかし、後々知るコトになるが、それは父親の生き方そのものだったのではないか?・・と思う。

反発して、「父親のようにはならない!」と育った結果、父親と同じよーな人間になっている自分・・。

 

それはやはり、「血」なのか・・?

 

結局、親子は、どこまでいっても親子なのだなあ・・と、あらためて思わされる今日この頃・・。

 

普段はヘラヘラ三味線ひいてても、”本当に”苦しい時、ツライ時って、やっぱ、自分も弱音が吐けないもんなぁ・・。

 

 

 


ミリオンダラー・ベイビー

2010年08月30日 | 映画・ドラマ

「ミリオンダラー・ベイビー」は、2000年に出版されたF.X.トゥールの短編集、『ROPE BURNS~STORIES FROM THE CORNER~』の中の作品が原作。

 

この小説の冒頭にこうある。

「For God、the Eternal Father、and for Dab Huntley、my daddy in boxing.」

(神と、永遠なる父と、そして私のボクシングの父、ダブ・ハントリーに捧ぐ)

 

F.X.トゥールはペンネームで、本名はジェリー・ボイド

―そう、この作品は、先日紹介した、全米ボクシング界にその名を轟かせた、ダブ・ハントリーとコンビを組むカットマンのジェリーが、はじめて出した小説なのである。

(カテゴリー/格闘技:「最高のチーム」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/dd47865ff92575a701f4733833786f16

 

ジェリーは長年の小説家になる夢を、70歳にして叶えたのだ!

 

ジェリーは短編集の作品すべてにボクシングのトレーナーを登場させていたが、そのモデルは相棒のダブ・ハントリーその人だった。

 

映画に登場する、モーガン・フリーマン演じる元ボクサーと、クリント・イーストウッド演じるトレーナーは、ダブとジェリーのコンビそのものなのだ。

 

2人が出会ってから21年、7度のタイトルマッチを経験していたが、いまだ、アマチュアの選手を1から鍛えて世界チャンピオンにする・・という夢は叶えられていなかった。

弱気になるダブに、ジェリーは自分の小説を見せた。

 

「何度KOされても立ち上がる、ボクシングは人生そのものだ。それを教えてくれたのはあんただ!あんたが俺の夢を叶えてくれたんだ!

ダブ!これからだ!今度は俺たちの夢を叶えるんだ!

 

―しかし、2人の夢は叶わぬまま、ジェリーは72歳で亡くなった。

その2年後、小説が映画化。

出版当初、その暗い内容から映画化は難しいと思われていたのだが、クリント・イーストウッドが監督・主演を引き受け、映画化が決定。

「ミリオンダラー・ベイビー」は2004年アカデミー賞作品賞に輝いた。

 

死んでも立ち上がる「KOされない心」という最高のプレゼントをジェリーから受け取ったダブは、67歳になった今も、世界チャンピオンを育てる夢を持ち続けながら、現役のトレーナーを続けているという。

 

「Mo Chúisle」(モ・クシュラ)

―「おまえは私の愛する者、おまえは私の血」

 

その衝撃的なラストなど、いろいろ物議をかもした作品であるが、こうした誕生秘話を知って、この映画を見ると、また違った味わいがあるのかもしれない・・。

 

 

 

 


最高のチーム

2010年08月28日 | 格闘技・武道

ボクサーは、一たんリングに上がれば、己が拳を頼りに1人、孤独に戦うしかない。

しかし、試合のインターバルでは、選手に付き添うセコンドが戦術や作戦を指示し、傷の手当てをし、選手が危険と判断した時には、タオルを投入して試合を終わらせる権限さえもつ。

それは、ボクサーが全幅の信頼を寄せる人間のみがセコンドに立てる・・というコトをイミする。

  

トレーナーダブ・ハントリーと、カットマン(止血係)のジェリー・ボイドは知る人ぞ知る、アメリカ、ボクシング界の名コンビ。 

ダブ・ハントリーは世界ランク9位までいった、世界タイトルも狙える有能なボクサーだったが、 網膜はく離で左目を失明し、引退。

トレーナーに転向し、世界チャンピオンを育てるコトが夢になった。

 

一方のジェリー・ボイドは1930年、カリフォルニアの労働者の家に生まれ、靴磨きをしながら演劇学校を卒業、舞台俳優を目指すが挫折。

今度はメキシコで闘牛士になろうとするが、これも挫折。

アメリカに戻り、アイスクリーム工場の工員や私立探偵など、職を転々とするが、どれも長続きせず、小説家になるという夢もあったが、何度編集社に持っていっても相手にされず、3度結婚して3度離婚するという、何も成し遂げられない孤独な中年・・。

 

KO負けし続けるボクサーさながらの人生を送るジェリーは、自らの人生をボクシングに重ね合わせ、こんな自問自答を繰り返していた。 

 

「なぜボクサーは、体も魂も、すべてを賭けて戦うコトが出来るのか?それもチャンピオンだけでなく、敗者さえも・・」

 

―それが分かれば、もう1度やり直せる気がする・・と、ボクシングを教えてくれるようダブに頼み込んだ。

 

アメリカのボクシング界では、ボクサーはジムに所属するのではなく、トレーナーと個人的に契約を結び、試合が組まれれば、ファイトマネーの10%をトレーナーがもらう・・というのが主な収入源で、日頃のトレーナー料はごくわずか。

ダブはその執念に根負けし、トレーナーにはならないが、ボクシングは教えてやる・・と、定職をもたないジェリーから一切トレーナー料を受け取らず、ボクシングを教えはじめた。

 

この時、ジェリーは49歳、ダブは36歳。

 

ジェリーは意外に筋がよく、熱心にダブが教えたボクシング技術を吸収していく。

一方、ジェリーは、まだ黒人差別が激しい時代、早朝から倉庫の積み下ろしのバイトをしてギリギリの生活をするダブの窮状を見かね、自分が働く白人相手の収入がいいナイト・クラブの仕事を紹介したりと、何の得にもならない、さえない中年の自分に無償でボクシングを教えてくれるダブに、何くれとなく世話をやいた。

こうして年の差13歳、白人と黒人の、年齢も人種も越えた2人の友情は育まれていった。

 

しかし、左目を失明しているダブは、セコンドとして的確な指示が与えられず、トレーナーとしての限界を感じていた。

ジェリーは「俺がお前の左目になってやる」・・と、あっさりボクシングをやめ、カットマンとしてダブをフォローし、ともにダブがトレーナーを務めるボクサーのセコンドにつくようになった

 

ダブが、自分のもつボクシングの知識をすべて叩き込んだジェリーの観察眼は確かで、2人は世界中を転戦し、抜群の戦績をあげた。

 

やがて、ダブとジェリーのコンビの名は全米のボクシング界に知れ渡り、有能なプロ選手からのオファーも殺到、2人が擁するボクサー、トニー・バードは1993年3月25日、見事、フランク・ニコトラを下し、世界タイトルを獲得した。

2人は最高のチームとしてその絆を深め、お互いになくてはならない存在となっていた。

いつしかダブの、アマチュアの選手を1から鍛えて世界チャンピオンにする・・という夢は、ジェリーの夢にもなっていたのだ。

 

既に出会いから21年の歳月が流れ、その間、ダブとジェリーのコンビは、実に7度のタイトルマッチ(!)を経験した。

 

ジェリーは70歳の白髪の老人、ダブももう57歳になっていた。

 

しかし、この2人の友情の物語にはつづきがある。

 

その話は、この次に・・。

(カテゴリー/映画・ドラマ:「ミリオンダラー・ベイビー」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/d95bf52478a076cbaf0e5b4487ff1262


大至急!!

2010年08月27日 | (笑)のツボ

・・・・。(笑)

 

お菓子の袋についてたシール。

「はがして使ってね」・・の文字が泣ける。

 

こんな覆面をかぶった、メッチャ笑顔の外人さんから指さされて、

「大至急!!」

・・とか言われたら、有無を言わせぬ圧力を感じるなぁ・・。

 


わが身の十字架

2010年08月25日 | 人生覚書き

「主よ、もうちょと切り落としていーですか・・その方が運びやすいんで・・」

 

・・とゆーほどのイミになろうか?

クリスチャン向け風刺漫画の1コマ。

 

「運命」「業」「カルマ」「因果」・その1つ1つは、厳密には、イミが違うものかもしれない。

―が、なんと呼ぼうが、そうしたものは確かにある。

目に見えない何らかの力が働き、時に我々の人生に大きな影響を及ぼす。

クリスチャンなら、それを「十字架」と呼ぶのだろうか。

 

それら、すべてが自分の「罪」・・とゆー概念だけでは割り切れない、不条理な、理不尽な環境や境遇におかれていると感じている人は、果たして、どれだけいるだろう?

職場や学校、家庭の人間関係など、自分が選択したワケではなくても、否応なく巻き込まれてしまう状況とゆーのは、誰しも経験したコトがあるのではなかろうか?

 

「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。」(マタイ16:24)

 

・・有名な聖句であるが、誰だって苦しいのはイヤだ。

ツライのはイヤだ。

不条理で、理不尽なのはイヤだ。

 

―しかし、それでもなお、それを自分が背負うべき”十字架”だと、すべてを謙虚に受け入れられた時、人としての本当の成長があるのだろう。

 

「あなたがたの会った試練で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試練に会わせることはないばかりか、試練と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」(コリントⅠ10:13)

 

「神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。」(伝道の書3:10)

 

 

 


こびんのマリオネット KINTo

2010年08月24日 | 食玩など

昨日、高校時代の友人で神奈川在住のトーマス。が去年の10月以来、約10ヶ月ぶりに広島に来た。

日帰りの強行軍であったが、なかなか充実した1日であったと思う。

 

なぜトーマス。なのかとゆーと、「機関車トーマスに似てる」・・という理由なのだが、久々に会ったら、いまだに背も伸び、髪も伸び放題で、まるで浪人生のよーで、年をとらない・・というより、どんどん若返っているよーにも見える。

とても真面目かつ、律儀な男で、以前にも紹介したが、ウチの店と同じ名前の「Peace wave」というBOXティッシュを見つけて来ては、送ってくれたりするのだ。

(カテゴリー/(笑)のツボ:「コラボ製品」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/f1beb83f0a09e4914cbd0927c39826c8

 

この「こびんのマリオネット KINTo」も彼が見つけて送ってくれたもの。

「きんと」は自分の本名からとったネームだが、いまだに「キント」のあだ名で呼ぶ友人もいる。

この「KINTo」は「0」が小文字なのがミソ・・。

 

色にそれぞれイミがあり、「eternal red<永遠>」「honest blue<信頼>」「lucky yellow<幸運>」「peaceful pink<円満>」「cheerful orange<活力>」「charming green<魅力>」・・の全6種類。

トーマス。の構想としては、1体ずつ 送って全6種類、制覇するつもりだったらしく、我が家には赤、青、黄の3体がある。

 

箱の側面には「KINTo Story」というのがあり、

「KINToは幸せのステップを奏でる小さなマリオネット。

あやつり人形師Mr.ポイポイはKINToに幸せのステップを教えていました。

Mr.ポイポイは幸せのおまじないとKINToをこびんに詰めて空に放り投げました。

KINToの入ったこびんは次々と人々へ届いていったのです。

KINToのステップが奏でられ、響きわたると次第に心が躍ってくるという噂は街中に広がりました。」

・・と書かれている。

 

残念ながら、現在は販売終了・・。

したがって我が家のKINToも、もうこれ以上増えるコトはない・・。

それほど、噂は広がらなかったようだ・・。

 

 

今回、写真に撮るため、はじめて箱から取り出してみたが、ビンの上のボタンを押すと、中のマリオネット、KINToが踊りだす・・とゆー仕組み。

フタの裏から糸で吊られている格好だが、これをセッティングするのが結構難儀した。

 

「あなたを応援してくれる小さなマリオネット」のコピー通り、3・3・7拍子やワルツ風のステップで応援してくれる姿が、なかなかけなげで癒される・・。

 

黄色の「lucky yellow<幸運>」をチョイスするあたり、やっぱ、俺も結構、煮詰まってるのかもね・・。

 

しかし、箱から出してしまうと、この人形の名前が「KINTo」だか何だか、わかんないのが難だなー・・。

 


かっぱえびせん瀬戸内のり味

2010年08月23日 | 広島のオススメ!

先日、スーパーで見かけた中国地区限定「かっぱえびせん瀬戸内のり味」

瀬戸内海産のり100%使用のこのかっぱえびせん、ゴールドと黒の袋が目を引く。

 

「瀬戸内の豊富な自然で育まれたのりは、香り高く後引くおいしさが自慢です。」・・のコピー通り、かっぱえびせんとのりの風味がマッチして、なかなかうまい。

裏の説明には「カルビー広島工場は宮島を望む瀬戸内海に面しています。ここで産まれたかっぱえびせん瀬戸内のり味は、同じ瀬戸内海産のりを使ったご当地の味。・・」とある。

 

さらにその横には、「かっぱえびせん」誕生秘話が書かれている。

それによると・・

「カルビー創業者、松尾孝は、広島湾に注ぐ太田川で捕ったえびを、かき揚げにして食べたおいしさが忘れられず、お菓子に出来ないかと試行錯誤。

昭和39年「かっぱえびせん」が誕生したのです。

生産工場を広島県の宇品に整備して日本中に広がっていった「かっぱえびせん」。

現在では廿日市市に移転した工場で作られ続けています。

まさに広島生まれで広島育ちの商品なのです。」!!

 

いやー、かっぱえびせんも広島生まれだったとは、知らんかった・・。

 

 

 


御守刀

2010年08月21日 | 食玩など

先日、友人が誕生日プレゼントのお返しといって贈ってくれた御守刀

お子さんが剣道をやってて、試合で行った日本武道館で売ってたそう。

墨で書かれた「日本武道館」の文字がシブイ。

 

15cmほどの小さなものだが、ちょうど『剣の天地』を読んでた最中だったので、なんともタイムリー・・と思ってしまった一品。

(カテゴリー/格闘技:『剣の天地』参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/651466eb6ae5974160ea3a67ca3eb0ff

 

最近、また別の友人が居合をはじめて、模造刀を振り回してるのを見てるので、余計に日本刀、欲しいなあ・・なんて思ってたりしてたので、玩具とはいえ、結構テンションあがってしまった。

 

こう見えて、自分も昔、剣道をやったコトあるのだ。

(ま、言うても中1の1年間だけだけど・・

 

その反対側には「御守刀」と書かれた金のシールが光る。

 

ちゃんと鞘から刀身を抜くコトが出来る。

ステンレス製だが、なかなかリアルなつくり。

刃引きしてあるので、実際に斬るコトは出来ない。

 

「侍」になれ!・・てコトなのかのお・・。

 

あのな、男っていうのはな、サムライなんちゃうのん・・?

 

サムライソ~ウル

 泣き出しそ~うでも

 サムライソ~ウオ~!

 エイ・エイ・オ~ウオ~! 

          

             byウルフルズ「サムライソウル」


スーパー熱帯夜

2010年08月20日 | 最近、思うコト

毎日、ハンパなく暑い日が続く・・。

微妙に増殖している我が家のベランダのグリーンも、洗濯物の陰で、かろうじて日差しをしのぎつつも、かなりのグロッキー状態・・。

 

外置きの洗濯機も強烈な日差しにマイコンがやられたか、最近、脱水の具合がおかしい・・。

(単なる寿命かな・・?

 

全国でも、熱中症で亡くなってる方は100人を越えるそうだ・・。

ところで、最低気温25℃以上の夜を「熱帯夜」と言う。

まあ、これはよしとしよう。

 

―が、先日、TVの天気予報で聞いて、はじめて知ったのだが、最低気温27℃以上の夜を「スーパー熱帯夜と言うのだそうだ・・。

 

誰かが言ってたが、決して「熱帯夜」とゆー名のスーパーではない。

その場合、

 

「スーパー

 

・・とゆー発音になるが、「スーパー熱帯夜」の場合、

 

「スーパー

 

・・となる。

 

「スーパーマン」の「スーパー」と同じだ。

(どっちでもえーわ・・

 

 

空には見事な入道雲・・。

今夜もスーパーな夜なのかなぁ・・。

 

―ん?

よく見ると・・

 

ゴリラのガッツポーズ!(笑)

 

・・いやー、脳ミソとけそう・・。

 


『剣の天地』

2010年08月18日 | 格闘技・武道

先日、『剣の天地』という池波正太郎の小説を読んだ。

本は結構読む方だが、小説は、もうずい分前に、司馬遼太郎の歴史小説を少々読んだくらいで、それ以来、かなり久しぶりのコト。

 

池波正太郎といえば、『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』といったシリーズで有名な時代小説家。

『剣の天地』は、実際に実在した歴史上の人物、”剣聖”と呼ばれた上泉伊勢守の話だ。

 

きっかけは光文社新書『剣豪全史』という本を読んだコト。

なんだかものものしいタイトルだが、伝説やエピソードだけでバラバラに語られるコトの多い剣豪たちの、それぞれの時代背景をふまえ、歴史的・社会的に果たした役割を、現代の視点からとらえ直した通史的なもので、なかなか面白い本だった。

 

わかりやすく言えば、生涯、剣の道を極めんと修行に明け暮れた剣豪といえども、生身の人間。

食っていかなければ、剣を極めるドコロか、生きていくコトも出来ない・・。

宮本武蔵が天下無双を求めたのも、名を上げ、仕官のクチを探す就職活動でもあったワケだ。

 

その中でも気になったのが、武蔵が憧れた柳生石舟斎宗厳の若かりし日の師であった上泉伊勢守。

「バガボンド」にも石舟斎の回想に、穏やかな笑顔をたたえた初老の上泉伊勢守が「無刀取り」を極める、とても印象的なシーンが描かれている。

(カテゴリー/マンガ・アニメ:「バガボンド」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/30648e69d201492bf1d80d2aa8372fd0

 

以下、『剣豪全史』の引用であるが・・

 

「新陰流開祖の上泉伊勢守信綱は、上野国(群馬県)の戦国大名・長野氏の重臣だった。

 小なりといえども主持ちの身となれば、閑であるはずはない。それでいて、家臣としての務めを遺漏なく全うするのみならず、己が剣術の研鑽と指南にも尽力し、ついに自流派を創始したのだから、そのバイタリティーには畏敬の念を抱かずにいられない。ビジネスマンにひときわ人気が高いのも、仕事と両立して一芸を極めた点が魅力なのであろう。

 信綱の特徴はそれだけではない。すでに高い剣名を勝ち得ていたにもかかわらず、主家の長野氏が滅亡するまで労を惜しまず、忠義一徹に仕え続けたのである。」(cf.p51)

 

関東管領上杉憲政擁する長尾景虎(後の上杉謙信)から、上野国防衛の拠点であった箕輪城を預かる主君・長野業正の守護神的な存在であった上泉伊勢守は、関東全域を狙う武田信玄北条氏康の同盟の侵攻を阻止し続けていたが、業正の死に乗じて攻め込んで来た武田軍の猛攻に抗し切れず、討死を覚悟して最後の斬り込みを敢行するも、既にその剣名が轟いていた伊勢守の才能を惜しんだ信玄は使者を遣わし、長野家中の生き残った人々の助命を許可した。

一命をとりとめた長野家の旧臣200余名は武田家に召し抱えられるも、もとより隠居して剣の道を極め、その技を世に広め、後世に伝えんとしていた伊勢守は仕官を固辞した。

その剣才を惜しみ、何としても召し抱えたかった信玄であるが、決して他家に仕えないコトを誓わせ、自分の名から「信」の一字を与え、その出立を許したという。

 

上泉伊勢守は「秀綱」から名を「信綱」に改め、この時から剣聖・上泉伊勢守信綱が誕生した・・とゆーワケだ。

 

第2の人生を、自らの好きな道に没入できる絶好の境遇を得た見事なリタイア劇で、まさしく「芸は見を助ける」好例といえよう。

 

この生き方は、あるイミ、あこがれるなー・・と、その生き様や人となりをもっと知りたいと思い、『剣の天地』を読むに至った・・とゆーワケである。

 

伊勢守は師・愛洲移香斎「陰流」から名をとり、自らの剣の体系を「新陰流」と名づけた。

燕飛山陰月影松風などの秘伝と組太刀から成る新陰流の剣の体系は、現代の剣道の基盤ともなっているそうだ。

 

優秀な弟子も育成し、新陰流の正統を継いだ先述の柳生宗厳は「柳生新陰流」を創始、徳川将軍家の指南役として確固たる基盤を築いたのはご存知の通り。

伊勢守が目指した「活人剣」の理想を受け継ぎ、戦国乱世の積極的な武力としての兵法から、武家の棟梁として自らを律し、世を治める抑止力としての兵法、治世者の剣へと昇華していく。

他にも「タイ捨流」の開祖・丸目蔵人之佐「宝蔵院流槍術」宝蔵院胤栄、そして伊勢守が武者修行の際に伴った高弟、「疋田陰流」疋田豊五郎・・と、錚々たるメンバーである。

 

「その技と心を伝えることで連綿と続いてきた剣術流派の場合、パイオニアとはまさに後進を教え導く存在に他ならない。」・・と『剣豪全史』の著者・牧秀彦も言い切っているが、自らも夢想神伝流居合道四段で、時代小説や剣術コラムなどの著書も多いだけに、説得力がある。

 

当たり前のコトではあるが、いかに”最強”を謳う武道や流派といえども、後進に伝えるコトがなければ、一代かぎりでおわってしまうのである・・。