Peace Waveの平和な日々~行く雲、流れる水のように~

気が向いたら、ボチボチ更新しようかと・・。(笑)

兵法の極意

2010年08月17日 | 人生覚書き

「兵法は、人のたすけに遺すものではござららぬ。進退ここにきわまったとき、一生一度の用に立てるものでござる。

 なれば、さのみ、世間の目に能く見られずともよろしい。たとえ、仕なしはやわらかに、なるほど人の目に上手と見えようとも、心の奥底に、いささかなりとも正しからぬところがあれば、すべては無用のものとなり果てよう。

 仕なしは、たとえ見苦しく、初心のように見ゆるとも、火炎の内に飛び入り、磐石の下に敷かれても、くじけぬ心こそ、わが心とたのむ主でござる。」

                 

              上泉伊勢守信綱(池波正太郎『剣の天地』より)


65と100

2010年08月16日 | 最近、思うコト

昨日は終戦から65年目の日。

様々な戦中・戦後の特番やドラマがTVで流れる中、深夜枠で「平和公園に眠る故郷~CGでよみがえる記憶の町」という番組がやっていた。

原爆の爆心直下で、現在は平和記念公園となっている広島市中島町の被爆前の町並みをCGで再現した映像作家のドキュメント番組だ。

 

その映像作家は、以前に会った、広島に行ったコトがあるというアメリカの新聞記者が、「爆心地が公園だったから、被害が少なくてよかった」・・と語っていたの聞いて、愕然として、この企画を思い立ったという。

 

当時の中島町の住人は、「自分には故郷がない」・・という思いで、今も生きているという。

 

すべてが灰燼に帰した爆心地には、”町並み”の面影や、欠片さえ残らなかったからだ。

しかし、かつて、そこは広島でも最もにぎやかな繁華街で、映画館や、多くの店や家が軒を連ね、多くの人々が生活していた場所だったのだ。

 

その中島町にあった旅館で、母親が働いていたという人は、母がどんなトコロで働いていたかも知らないまま、被爆直後の「ほうきで掃いた」ような状態の、既に町はない”中島地区”を見て以来、失意に打ちひしがれたまま、65年間、そこへ行ったコトがなかったそうだ。

しかし、その旅館の息子さんが生き残っており、その証言をもとに再現されたCG映像を見て、65年ぶりにその旅館跡へ行き、当然、今は何もない、公園の敷地の一画で両手を合わせ、「長い間、ごめんなさい・・」と涙ながらに頭を垂れていた。

 

記憶をたどる寄る辺さえない・・というのは、どれだけつらいコトなのだろうか・・?

ある日、自分の住んでる町一帯が、この地上から忽然と消えてしまうのだ。

それは想像を絶するコトだろう。

 

65年という歳月は、その当時の記憶をもつ人々さえも、この世から連れ去ってしまう。

その記憶は、語り継ぐ者がいなければ、やがて忘れ去られてしまう。

 

同時に昨日、お隣、韓国では65年目の光復節

今年、2010年は、日韓併合条約が締結されて以来、100年目の節目にあたる。

 

先日、発表された首相談話の中にも「 政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました。」・・とあるが、そのあたりの歴史を、我々日本人は、どれだけ認識しているのだろうか?

 

アメリカの新聞記者の「爆心地が公園だったから、被害が少なくてよかった」・・という発言を、我々日本人はどう受け止めるだろうか・・?

広島に住む人、爆心地の中島地区に住んでいた人は、どう受け止めるだろうか・・?

 

―しかし、それと同じような無神経なコトを、我々日本人は、してきてはいないだろうか・・?

 

65年の倍近い100年という歳月は、当時の記憶を風化させ、日本人の脳裏から消し去るには十分な時間なのかもしれない。

実際に当時の様子を知る人は、今はもういないだろう。

 

しかし、被爆した町をCGで再現する試みが、当時の追体験と記憶の再生をもたらし、子や孫へ語り継がれていくように、同じような追体験と記憶の再生は、韓国でも行われているだろう。

 

少なくとも、被害者から、その心の傷が消えるコトはないコトを、我々は忘れてはならないだろう。

 

 

 

 


夏の風物詩

2010年08月14日 | 最近、思うコト

ここ、広島では盆灯篭なるものがあり、お盆が近づくと、派手な紙製の飾りものがコンビニやスーパーの店頭にも並ぶ。

(カテゴリー/広島のオススメ!:「盆灯篭」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/54912097965dcc07255e70d80a7103d6

 

盆灯篭が売られてるのを見かけると、「もうそんな季節か・・」と、夏の訪れを感じさせてくれる、広島の夏の風物詩だ。

 

「お盆」は、正式には「孟蘭盆(うらぼん)という仏教行事。

(カテゴリー/歴史・民俗:「盆踊り」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/da6a8dd1803b508d9186036012c31a2c

これはサンスクリット「ウランバナ」という「倒懸」―すなわち、「逆さ吊り」をイミする言葉を音写したもので、逆さ吊りのような苦しみにあっている肉親や先祖を救う法要というイミだとか・・。

 

この盆灯篭が並んでる様は、まるで七夕飾りのようにも見え、美しい。

 

8月には様々な悲しい記憶が残る街、広島。

 

華やかな盆灯篭は、そうした悲しみを少し、やわらげてくれるかのようだ。


超電磁ロボ コン・バトラーV

2010年08月13日 | 食玩など

「超電磁ロボ コン・バトラーV」は、自分自身、最も思い入れの深いロボット・アニメではなかろうか・・?

作品そのもの・・とゆーよりも、出てくるロボットであるコン・バトラーVに対してである。

1976年からの放映で、当時、夢中になって見ていた覚えがある。

「身長57m、体重550t」・・というデータは、エンディングの歌詞にもなっており、このロボットの身長、体重は絶対に忘れるコトはないだろう。

 

作品自体も評価が高く、続く「超電磁マシーン ボルテスV」「闘将ダイモス」と共に”長浜ロマン・ロボット3部作”と称され、主人公より存在感のある美形の敵キャラや、大人の鑑賞にも堪えうる重厚な人間ドラマを織り交ぜたストーリーは、後のリアルロボット・アニメの元祖となる「機動戦士ガンダム」などの作品にも踏襲されていく。

 

しかし、そんなキャラクターやストーリーより、自分が夢中になったのは、やはり、ロボット!

合体・変形するロボットは、既に放映されていた「ゲッターロボ」(’74)が元祖であったが、子どもの目にも、あきらかに「ムリがあるなあ・・」と思わせる、理不尽な”力ワザ”合体であった・・。

 

もちろん、その背後には、実際に再現可能な玩具に出来る合体を・・とゆースポンサーの玩具会社の要請とゆー”大人の事情”もあったのは事実であろうが、”理にかなった”合体の美しさには、子ども心にも衝撃を受け、ハートをわしづかみにされたものだった。

 

リアルな、整合性のある合体・変形は、そのロボットの存在感さえリアルなものにする。

「こいつに乗ってみたい!」・・とゆー子どもの夢をかき立ててくれる。

モビルスーツならウェイブ・ライダーに変形するZガンダムトランスフォーマーに個人的に情がいくのは、おそらく、ルーツにこいつの存在があるからであろう・・。

 

まさにコン・バトラーVは、合体を極めた合体ロボットだったのだ。

 

―が、しかし!

当時、発売された合体・変形するポピニカDX超合金は、似ても似つかぬブサイクなもの・・。

まあ、到底、手が出る代物ではなかったが、正直「欲しい!」とも思わなかったのも事実・・。

 

放映から23年後の1999年、アニメに忠実なデザインと合体を再現した超合金魂少年の心を持った大人たちへ・・のコピーで発売され、その出来の素晴らしさと玩具の技術の進歩には衝撃を受けたが、価格もなかなか衝撃的で、やはり手が出ず・・。

しかし、それから6年後の2005年―だから、今からもう5年ほど前になるが、バンダイが超合金魂のコン・バトラーVをもとに、、ガシャポン「カプセル合体 超電磁ロボ コン・バトラーV」をリリース。

 

1回300円で、5体集めると、合体してコン・バトラーVになるというスグレモノ!

合体してもわずか15cmほどの大きさだが、プロポーションなどもアニメに忠実で、申し分なし!

 

コン・バトラーの頭部になるバトル・ジェット

 

同じく胸部と腕部になるバトル・クラッシャー

 

胴体になるバトル・タンク

 

脚部になるバトル・マリン

 

足部になるバトル・クラフト

 

超電磁ヨーヨーなどの武器も付属し、腕の可動もなかなか素晴らしく、こんなポーズもとれるが、弱点は脚が少々、左右に開くのみで、ヒザがまったく曲がらず、棒立ちしか出来ないコト・・。

 

グランダッシャー形態にもなる。

ガチャガチャのおまけにしちゃあ、プレイ・バリューもあってなかなかの出来!

 

当然、とうの昔に販売終了し、残念ながら現在は入手困難・・。

押入れの奥で、しばらく眠っていたのを、ふと思い出して引っ張り出してみた。

なつかし~・・。

 

ヤフオクで売ったら、高く売れるかしら・・。

 

 

 

 

 

 

 

 


地上最強の生物

2010年08月11日 | サイエンス

”地上最強の生物”―といっても、範馬勇次郎のコトではない。

おそらく、たいがいの人が思い浮かべるのが、”百獣の王”ライオン

いや、トラの方が強い・・と言う人もいれば、いや、ゾウだ、クマだ、ゴリラだ・・と諸説あるだろう。

最近ではカバ最強説・・とゆーのもあるらしい。

寿命でいえば、「鶴は千年、亀は万年」・・なんて言葉もある。

いや、単純に生命力の強さなら、ゴキブリだろう・・とゆー意見も・・。

 

”強さ”をどう定義するかにもよるだろうが、「いかなる環境でも生きていける生命力の強さ」・・とゆー点では、ゴキブリをはるかに上回る、まさしく”地上最強”の名を冠するにふさわしい生物がいる。

 

―その名はクマムシ 

 

 

体長は50マイクロメートルから1.7ミリメートル緩歩動物―要するに小さなムシで、寿命もわずか2~3ヶ月にすぎないという。 

熱帯から極地方、超深海底から高山、温泉の中まで、海洋・陸水・陸上のほとんどありとあらゆる環境に生息するクマムシは、進化の過程で乾燥に耐えるために、ある特性を獲得した。

 

それは、周囲が乾燥すると、通常は体重の85%を占める水分を0.05%まで減らし樽状の状態になり、代謝をやめてしまうのだ。

これを乾眠(かんみん)といい、生きても死んでもいない、第3の状態―「潜在生命」とでも言うべき状態になる。

 

生命活動において、水がないコトは致命的であるが、細胞などの組織は安定する。

水があると生命活動は可能であるが、同時に細胞などの組織にとっては、きわめて不安定な状態ともいえる。

クマムシは乾燥に耐えるため、逆にギリギリまで水分をなくして究極の安定した状態をつくり、いかなる環境においても自らの生命を維持させるという不死身の能力を身につけた・・とゆーワケだ。

 

この状態だとクマムシは、151℃の高温から、ほぼ絶対零度、-252.8℃の極低温にも耐えうる。

つまり、電子レンジでチンされても、液体窒素で凍らされても蘇生するのだ。

そして、真空から75000気圧(!)もの圧力にも耐え、X線などの放射線では、致死線量が57万レントゲン!

これは、ヒトの致死線量が500レントゲンだとゆーコトを考えると、どれだけベラボーな耐久力か・・というコトが分かるだろう。

 

この乾眠中のクマムシに水を与えてやると、上記のような環境下からも蘇生して動き出すのだ!

さらには、宇宙空間に直接10日間さらされた後(!)に蘇生したというから驚きである。

普通、地球上の生物なら、宇宙空間なら一瞬でオダブツだ・・。

 

10年以上、乾眠した状態から蘇生したクマムシは、記録上は存在しないそうだが、120年後に蘇生した・・とゆー話もあるとか・・。

 

現在、このクマムシの脅威の耐久力を、治療に使う細胞の保存など、再生医療などの分野で活かすため、そのゲノムを解析・研究中だそうだが、他の生物には見られない多くのゲノムが見つかっているという。

いわば、遺伝子の宝庫なのだ。

 

もしかしたら、こーゆークマムシみたいな生命体が隕石に乗って宇宙空間を飛来し、地球上で、実は現在も生きている・・なんてコトもあったりして・・。

カーズとか・・?

 

この生命力なら、まんざら不可能じゃなさそうだから、コワイ・・。

 

 

 


泥の中

2010年08月10日 | 人生覚書き

   

            凡夫 煩悩の泥(でい)のうちにありて
          仏(ぶつ)の正覚(しょうがく)の華を生ず

                                     『入出二門偈』『入出二門偈頌文』より
 
 
 
先日見かけた、近所のお寺の前にある掲示板に書かれていたお言葉。
現状に100%満足している!・・とゆ-人は、なかなかいないだろう。
 
「もっとこうだったらいいのに・・
 
「ああだったらいいいのに・・
 
・・と、職場や家庭の生活環境、人間関係に対して、誰しもそう考えてしまいがち。
 
 
夢や目標をもち、ポジティブに、建設的にそこに向かっていけるならともかく、「職場を変えられたら・・」「もっといいトコロに住めたら・・」と、「ここにいるコト」が問題なんだと、現実から逃避するコトばかり考えていては、日々の生活が不平不満だらけになってしまう。
 
 
しかし、もし「自分の住む世界はここしかない!」と考えたら、どうであろう?
 
 
―というより、それが事実であり、まぎれもない現実なのだ。
 
 
 
その事実がわかると、そこに不満や面白くない気持ちがあっても、「ここで頑張ろう」と思ったり、「何かいいコトもあるはず・・」と、心情転換しながら、満足感やよろこびの生活に変えるコトが出来るようになる。
 
以前にも紹介した、フレーム・シフティングである。
(カテゴリー/人生覚書き:「フレーム・シフティング」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/d086311286f5f2c25da51f77d21e3b08
 
 
「自分の生きる場所はここだ」という思いでいれば、満足感につながる生き方になる―このコトを、親鸞「凡夫 煩悩の泥のうちにありて 仏の正覚の華を生ず」という言葉で表現した。
 
この汚い泥のような煩悩に満ちた世界が、自分の生きる世界であり、ここで自分を見つめ、生き切るコトが、泥の中に咲く美しいハスの花のように、仏の悟りにつながる花を咲かせるのだ・・と説いているのだという。
 
 
この世の中は、理不尽で、不条理なコトばかり・・。
 
しかし、それを甘受した時にこそ、人としての本当のこころの成長があるのかもしれない・・。
 
 
逃げ場はない。
 
どんなに逃げても、自分からは逃げられない。
 
 
禅の悟りである、「いま」「ここ」「自分」・・は、究極のフレーム・シフティングと言えよう。
 
 
 
今、話題のNHKの朝の連続ドラマ、「ゲゲゲの女房」で、貧困にあえぐ中、必死で自分の信じるマンガに打ち込む向井理演じる水木しげるがもらした、
 
「自分のコトをかわいそうがるのは、つまらんコトですよ・・」
 
・・という言葉が、とても強く、自分の心に残っている。
 
 
 
 
 
 
 

新しい朝

2010年08月09日 | 最近、思うコト

あ~た~らし~い~ あ~っさが来た

 き~ぼ~おの~ あ~さ~が

 

・・なんて、おなじみ、ラジオ体操の歌が聞こえてくる夏休みの朝。

しかし、「ラジオ体操」って、俺が子どもの頃から変わらんなあ・・と思い、調べたトコロ、1925年、アメリカのメトロポリタン生命保険会社が健康増進・衛生思想の啓蒙を図る目的で考案、広告放送として放送されていた世界初のラジオ体操が基となっているそうで、もう1928年には、国内ではじめて放送されたのだとか。

正式名称は「国民保健体操」で、過去2度改訂が行われ、我々がよく知る「ラジオ体操第1」1951年に制定、放送が開始された3代目だそう。

現在の3代目の体操が、もう60年近く使ってるワケだ・・。

 

これだけスポーツ科学だ何だと発達した現在で、さして効果があるとも思えないラジオ体操が使われている理由は一体何なのか・・?

単に新しいのを作るのが面倒くさいだけとか・・?

 

しかし、これだけ国民の間に浸透してしまっていると、新しいのを作っても定着しないだろうなあ・・と思ってしまう。

 

既に伝統芸能の域だ・・。

 

まあ、何しても毎日、新しい朝は来るワケで・・。

毎朝、ご来光を拝む・・とゆー人はまれだろーが、日が昇り、また新しい1日がはじまっていく瞬間とゆーものは、それだけでも神々しい。

 

朝の気は1番パワーがあるそうだが、すべてリセットして、新たな気持ちでその日、その日を出発できたら、きっと日々、新鮮な気持ちで生活できるのだろう。

 

しかし、日々の生活に倦んで、いつの間にか惰性で流されている自分がいないだろうか・・?

 

たまに日の出を拝む機会があると、そんな自分の気持ちを正す思いにさせられる。

 

今日も1日、ガンバロー!

 

 


65年目の「原爆の日」

2010年08月06日 | 最近、思うコト

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年、65年目を迎えた広島、「原爆の日」 ―この節目となる年に、国連事務総長アメリカの代表がはじめて平和記念式典に参加・・。

過去最多の74カ国、核保有国であるイギリスフランスもはじめて参加した。

 

1945年8月6日から、今日で23741日が過ぎた。

最後の核実験からは438日。

去年の「原爆の日」からこの1年間、核実験はなかった。

 

―だからといって、世界中が平和だったワケではない。

 

やっぱり、平和がいいね。

 

うん。

 

 


がんばるけん/石井杏奈

2010年08月05日 | アート

広島には、あのPerfumeを輩出しているアクターズスクール広島がある。

残念ながら、後続のまなみのりさは、単なるローカル・アイドル・・て感じで、全国区ではまだまだ知名度も低い・・とゆーか、名前からして売れなさそう・・。

 

まあ、Perfumeも当初は「ぱふゅ〜む」とひらがな表記で、ローカル・アイドルとしてやってきたが、メジャー・デビューした際、名前もアルファベット表記に変え、テクノ・ポップ・ユニットとして、アーティスト路線に変更してブレイクした・・という経緯をもつから、素材は良くても、芸能界で売れるか否かはプロデュース次第・・てトコは大きいかも・・。

Perfumeも実は今年、結成10年・・と下積み時代が長く、結構苦労して来ているよーだ・・。

 

ところで、そのアクターズスクール広島出身の歌手で石井杏奈とゆーコがいる。

最近、TVでたまにその歌声を聴いて、「これ、誰が歌ってんだろ?」・・と気になっていたが、透明感のある、のびのあるボーカルで、とても耳に心地よい。

 

調べてみてわかったが、その曲、1stシングルのカップリング曲で、「My Brand New Story」というタイトル。

確か家庭教師?か塾のCMで、

 

信じて~みるよ~Oh~My Friend~

 

・・と、サビの部分が流れている。

 

その1stシングルが、この「がんばるけん」とゆーワケだ。

去年の10月に広島地区のローソン限定で販売されているようで、そういえば、たまにTVのCMで流れているのを聴いていた。

 

タイトルからして広島弁だが、歌詞も「はぶてんで がんばるけん」・・と広島弁のオンパレード。

ちなみに「はぶてる」とは「ふてくされる」とゆーイミ。

 

「悲しみを乗り越えて 育った町じゃけぇ」・・の歌詞が広島県民の心に響く。 

 

その歌声は、既に実力派シンガーの貫禄さえ感じさせる彼女、実は1994年生まれ現在16歳!

デビュー当時は中学生だったというから驚きである・・。

 

きっと大モノになるんじゃないか?・・と予感させる、彼女の今後の活躍に期待したい。

 

ちなみに2ndシングル「路面電車に乗れば」も広島のご当地ソングで、昨日発売されたそう。

プロモーション・ビデオに流れる広島の風景や路面電車がgood!

 

アクターズスクール広島よ・・間違っても”HRS48”(笑)とか、やめてね・・。

(やりそー・・


ひろしまアートパークかみやちょう

2010年08月04日 | アート

広島の中心、本通りは、いつも歩行者天国になっているので、たまにこうした似顔絵を描いてるお兄ちゃんを見かける。

 

しかし、ちょっと普段と様子が違うのは、その頭上に「ひろしまアートパークかみやちょう」という大きなパネルが見えるコト。

 

本通りがある広島の中心街・紙屋町のビル内の4Fで、現在「ART FAIR 紙屋町 2010」が期間限定で開催されているのだ。 

 

「Urban BLD Kamiyacho」という名が見えるが、アーバンといえば、経営破綻し、会社更生法が適用された企業・・。 

このビルも建って以来、数階分はまったくテナントが入らないまま、数年間放置されてきたそうだが、この度、市民団体やNPO法人などの協力を得て、こうした形で陽の目を見るコトになったそう・・。

 

まあ、300万円の家賃(!)て・・でかい企業でもなければ、とてもじゃないがやっていけない・・。

 

ご覧の通り、中はむき出しのままで、内装や空調の工事もしておらず、トイレや水道もないが、その工事だけでも数百万はかかるとか・・。

 

これだけのスペースが、ただ放置されたままとは、もったいない限りで、何かに活かせないものか?・・と思ってしまうのはムリもない・・。

 

平日だったので、人がほとんどおらず、がらんとしていたが、土・日など多い時で200~300人の人手があるという。

 

このだだっ広いスペースの各所に作品が展示され、さしずめ、巨大なアトリエか工房、兼ギャラリー・・といった雰囲気。

 

ブースの使用料として1日1000円を払い、そこで作家が作品を作ったり展示して、気に入った作品を買っていく人もいるので、それはそのまま、その作家の収入に・・。

ブースの使用料は、維持費としてテーブルやイスなど、備品を揃えたり、この企画の運営に充てているようで、儲けは一切なし。 

しかし、場所を提供してる企業にしたら、いろいろ経緯もあるだけに、タダで貸すのはどうか・・と社内でも意見は分かれているとか・・。

 

また、企画した側としては、実際に若手だろーがタマゴだろーが作家が来て、作品を作ったり、展示したりして欲しい・・という思いがあるのだが、そうした思惑をよそに、ブースを借りる人が、民芸品を売ったり、いわゆるフリーマッケットみたいな様相を呈したり・・と、実際にはなかなか、いろいろ難しいようだ。

 

 

広いスペースを利用した巨大な作品も目立つ。

 

こちらはMAYA MAXXの作品。

 

ライブ・ペインティングとゆーコトで、実際にこの壁に描いたそうだが、生でこの作品を描くトコロを見たら、さぞかし圧巻だろう。

 

しかし、つくづく芸術とは”自由”なものだと思う。

 

 

イスや・・

 

キューピー人形・・

 

ただ自転車を組み立てる・・というだけでも「創造」という行為に変わりはないワケで、時にアートたりえる。

 

作品は作者の性稟をあらわす。

誰もが「何これ?」・・と思うよーな作品であったとしても、誰かがそこに何らかの”美”や、共感し得る感情を喚起させられたのだとしたら、既にその作品はアートとしての価値を有している。

 

何気なく壁に貼られているかに見えるポートレートも、ただのゴミだと思う人もいれば、完成されたアート・・と感じる人もいるだろう。

 

 

―要は、その人が「アートだ!」と言ってしまえば、アートなのである。

 

そして、何に対しても”美”を見出し、共感できる感性をもった人は、間違いなく、広く、豊かな包容力ある心の持ち主であろう。

  

しかし、同時にまた「芸術」と「お金」の問題についても考えさせられる。

こうした場所を借り、企画・運営していくとなると、やはり、人もいるし、実際問題、お金も必要だ。

 

可能性と、何かのエネルギーを感じさせるこの試みが、単なる打ち上げ花火では終わって欲しくはないものだ・・。