別に工夫なし。放下すればすなわち是なり。
夢窓疎石
室町幕府を開いた足利尊氏に、直義という弟がいた。
直義は夢窓国師について禅を学んでいたが、戦乱の世の行く末や自らの生き方に不安を覚え、夢窓国師にすべてを投げ打って禅の修業に打ち込むべきか尋ねる。
その際の国師の答えがこれ。
「別に工夫なし。放下すればすなわち是なり」・・とは、何も心に構えたり、計らったりするコトはない。
構えや計らいを捨ててしまって、コトにあたればいい・・というほどのイミ。
あれこれ考えず、心を空っぽにして、一生懸命やるべきコトをやればそれでいい・・。
国師のこの言葉で直義は眼を開かれ、兄の尊氏を支えて、室町幕府の樹立に大きく貢献するコトになる。
『臨済録』に「随所に主となれば、立処みな真なり」という言葉がある。
どんな環境にあっても、自分というものをただ一生懸命に投入し、行動すれば、真理から離れるコトはない・・というイミ。
それが、たとえ意に沿わない場所であったとしても、腐ったり、そこから逃れる算段などせず、その場その場で一生懸命やるコトこそ大切・・。
まさしく、「いま、ここ」・・という禅の神髄である。
今やってるコトはそっちのけで、いつも他のコトを考えている・・。
そんな空虚な日々の連続で、毎日が過ぎていく・・。
そんなコトで「いま、ここ」を生きていると言えるだろうか・・?
「別無工夫」
あれこれ考えず、ただ一心不乱、一生懸命に、「今、ここ」で生きるコトに没頭できればなぁ・・。
「別無工夫」で、検索したらこちらに辿り着きました。
近頃、全く縁のなかった「禅」に触れる機会が増えてきました。
本日たまたま”news23”を見ておりましたら、膳場さんがメインキャスターとして、最後の日でした。
膳場さんは、筑紫哲也さんのお話を少しされていました。
そして、その筑紫哲也さんに以前プライベートでいただいた言葉が「別無工夫」でした。
それまでは、その言葉の意味を深く考えたことはありませんでしたが、色んな縁があり、
この言葉に再びたどりつきました。
仕事が忙しくなり、落ち込むことが増えておりましたが、終わった過去を悔いたり、始まっていない未来を恐れるのではなく、今を一生懸命生きることの大切さを知るきっかけを作ってくださってありがとうございました。
このブログの「人生覚書き」というカテゴリーは、自分が何かを読んだり聞いたりしたコトで、覚えておきたいな・・というコトを書き留めてるものなので、自分自身で読み返してなるほど・・と思うコトもしばしば・・。
「別無工夫」
・・奥の深い、いい言葉ですよね。