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『剣の天地』

2010年08月18日 | 格闘技・武道

先日、『剣の天地』という池波正太郎の小説を読んだ。

本は結構読む方だが、小説は、もうずい分前に、司馬遼太郎の歴史小説を少々読んだくらいで、それ以来、かなり久しぶりのコト。

 

池波正太郎といえば、『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』といったシリーズで有名な時代小説家。

『剣の天地』は、実際に実在した歴史上の人物、”剣聖”と呼ばれた上泉伊勢守の話だ。

 

きっかけは光文社新書『剣豪全史』という本を読んだコト。

なんだかものものしいタイトルだが、伝説やエピソードだけでバラバラに語られるコトの多い剣豪たちの、それぞれの時代背景をふまえ、歴史的・社会的に果たした役割を、現代の視点からとらえ直した通史的なもので、なかなか面白い本だった。

 

わかりやすく言えば、生涯、剣の道を極めんと修行に明け暮れた剣豪といえども、生身の人間。

食っていかなければ、剣を極めるドコロか、生きていくコトも出来ない・・。

宮本武蔵が天下無双を求めたのも、名を上げ、仕官のクチを探す就職活動でもあったワケだ。

 

その中でも気になったのが、武蔵が憧れた柳生石舟斎宗厳の若かりし日の師であった上泉伊勢守。

「バガボンド」にも石舟斎の回想に、穏やかな笑顔をたたえた初老の上泉伊勢守が「無刀取り」を極める、とても印象的なシーンが描かれている。

(カテゴリー/マンガ・アニメ:「バガボンド」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/30648e69d201492bf1d80d2aa8372fd0

 

以下、『剣豪全史』の引用であるが・・

 

「新陰流開祖の上泉伊勢守信綱は、上野国(群馬県)の戦国大名・長野氏の重臣だった。

 小なりといえども主持ちの身となれば、閑であるはずはない。それでいて、家臣としての務めを遺漏なく全うするのみならず、己が剣術の研鑽と指南にも尽力し、ついに自流派を創始したのだから、そのバイタリティーには畏敬の念を抱かずにいられない。ビジネスマンにひときわ人気が高いのも、仕事と両立して一芸を極めた点が魅力なのであろう。

 信綱の特徴はそれだけではない。すでに高い剣名を勝ち得ていたにもかかわらず、主家の長野氏が滅亡するまで労を惜しまず、忠義一徹に仕え続けたのである。」(cf.p51)

 

関東管領上杉憲政擁する長尾景虎(後の上杉謙信)から、上野国防衛の拠点であった箕輪城を預かる主君・長野業正の守護神的な存在であった上泉伊勢守は、関東全域を狙う武田信玄北条氏康の同盟の侵攻を阻止し続けていたが、業正の死に乗じて攻め込んで来た武田軍の猛攻に抗し切れず、討死を覚悟して最後の斬り込みを敢行するも、既にその剣名が轟いていた伊勢守の才能を惜しんだ信玄は使者を遣わし、長野家中の生き残った人々の助命を許可した。

一命をとりとめた長野家の旧臣200余名は武田家に召し抱えられるも、もとより隠居して剣の道を極め、その技を世に広め、後世に伝えんとしていた伊勢守は仕官を固辞した。

その剣才を惜しみ、何としても召し抱えたかった信玄であるが、決して他家に仕えないコトを誓わせ、自分の名から「信」の一字を与え、その出立を許したという。

 

上泉伊勢守は「秀綱」から名を「信綱」に改め、この時から剣聖・上泉伊勢守信綱が誕生した・・とゆーワケだ。

 

第2の人生を、自らの好きな道に没入できる絶好の境遇を得た見事なリタイア劇で、まさしく「芸は見を助ける」好例といえよう。

 

この生き方は、あるイミ、あこがれるなー・・と、その生き様や人となりをもっと知りたいと思い、『剣の天地』を読むに至った・・とゆーワケである。

 

伊勢守は師・愛洲移香斎「陰流」から名をとり、自らの剣の体系を「新陰流」と名づけた。

燕飛山陰月影松風などの秘伝と組太刀から成る新陰流の剣の体系は、現代の剣道の基盤ともなっているそうだ。

 

優秀な弟子も育成し、新陰流の正統を継いだ先述の柳生宗厳は「柳生新陰流」を創始、徳川将軍家の指南役として確固たる基盤を築いたのはご存知の通り。

伊勢守が目指した「活人剣」の理想を受け継ぎ、戦国乱世の積極的な武力としての兵法から、武家の棟梁として自らを律し、世を治める抑止力としての兵法、治世者の剣へと昇華していく。

他にも「タイ捨流」の開祖・丸目蔵人之佐「宝蔵院流槍術」宝蔵院胤栄、そして伊勢守が武者修行の際に伴った高弟、「疋田陰流」疋田豊五郎・・と、錚々たるメンバーである。

 

「その技と心を伝えることで連綿と続いてきた剣術流派の場合、パイオニアとはまさに後進を教え導く存在に他ならない。」・・と『剣豪全史』の著者・牧秀彦も言い切っているが、自らも夢想神伝流居合道四段で、時代小説や剣術コラムなどの著書も多いだけに、説得力がある。

 

当たり前のコトではあるが、いかに”最強”を謳う武道や流派といえども、後進に伝えるコトがなければ、一代かぎりでおわってしまうのである・・。