今年は懐かしい面々と再会できた年でした。
(SNS上も含め…。)
皆がそれぞれに、それぞれの地で元気に活躍されてるのを知ってうれしく、自分自身、刺激も受けました。
また、それほど年が違わない人が亡くなったり…とゆーコトが、この年になってくると多くなってきます。
それでも、まだまだ途上で、未熟な自分を感じさせられる日々です…。
来年は、さらにより良い年にしていけるよーに、しっかりと現実を見つめて、地に足をつけて、一歩一歩、前進していける年にしていきたいと思います。
皆さんも、よいお年を
今年は懐かしい面々と再会できた年でした。
(SNS上も含め…。)
皆がそれぞれに、それぞれの地で元気に活躍されてるのを知ってうれしく、自分自身、刺激も受けました。
また、それほど年が違わない人が亡くなったり…とゆーコトが、この年になってくると多くなってきます。
それでも、まだまだ途上で、未熟な自分を感じさせられる日々です…。
来年は、さらにより良い年にしていけるよーに、しっかりと現実を見つめて、地に足をつけて、一歩一歩、前進していける年にしていきたいと思います。
皆さんも、よいお年を
世間的には、今日から本格的にゴールデン・ウィーク
—しかし、相変わらず仕事漬けの自分・・。
ここ何年もG・Wが”ゴールデン”だったためしはない・・。
まあ、仕事があるだけ有難いコトなのだなと、自分を納得させて、今日も仕事を頑張りますか・・。
・・と言いたいトコロだが、1つ心配事が・・。
久しぶりに腰を痛めてしまった・・
最近、ヒモのおかげで調子がよかったので、腰にヒモをしてなかったのだが・・ふ、不覚・・。
まあ、ヒモがなくても大丈夫な体を目指さなくては、ね・・。
今日は春分の日。
なんだか2017年、今年の春分の日は、占星術的にも大きなイミをもつそうだ。
太陽が19時28分56秒の春分点に牡羊座に入るらしいのだが、12星座のはじまりである牡羊座に太陽が入る春分の日は、占星術の世界では”元旦”をイミし、宇宙の元旦として、2017年の本格的なはじまりであるらしい。
http://ameblo.jp/pure-tenkataihei/entry-12257700797.html
世界的にも大きな変化のある時なのかもしれない。
その春分の日に世界中が注目する、ある出来事があった。
”世界皇帝”の異名をもつアメリカの資産家、デービッド・ロックフェラーが101歳で亡くなったのである。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170321-00000000-jij_afp-bus_all
彼は6回もの心臓移植手術をして、その長寿を全うしたという。
それだけの心臓移植手術を受けられるコト自体が、常人には想像のつかない話であるが、それでも何の拒絶反応も出なかったというのは、すでにクローン技術によって自分のクローンをつくり、その臓器を移植していたのではないか?・・という都市伝説的な話まであるほどの超絶的な人物なのである。
やりすぎ都市伝説でも関暁夫が言っていた・・。
そうした世界に大きな影響を及ぼし得る人間が亡くなったというのは、一つの時代の終わりであり、また大きな転換点となるはじまりであると言えよう。
個人的にも、きわめて小市民的な基準ながら、確定申告も終わり、とっ散らかっていた部屋の片付けもようやく一段落して、心機一転、新たな出発をしたいと思っている時である。
新しい春の到来・・とはいえ、こればっかりは、自分でつかみに行くしかないんだろーなぁ・・。
今日、3月15日は親父の誕生日・・と同時に確定申告の締め切り日である。
いつもこの時期になると—いや、正確にはその前の年の年末には、またそろそろ確定申告の時期だぁ・・と、気持ち的にはあせりはじめる。
—いやいや、待て待て。
もっと言えば、もう確定申告が終わってしばらくすると、またすぐ来るぞ・・とゆー思いになる。
正直、憂鬱なものである。
個人事業主のつらいトコロだ・・。
青色申告会に入っているので、いつもは領収書などを会計ソフトに打ち込んで、最後の申告はお願いする。
しかし、今年はギリギリ過ぎて、「もうムリです!」と断られてしまった・・。
あせったけど、まあ、やるしかしょーがない。
結局、最後の最後になってしまったが・・。
夏休みの宿題を最後になってあせってやってたガキの頃と、何も変わっちゃいない。
・・と、自分の進歩のなさを、あらためて噛みしめるこの時期なのである・・。
2月22日は、にゃん×3でネコの日だそう。
うちのハナも、だいぶ我が家の環境にも慣れて、大きくなってきた。
エサが欲しい時や、奥さんとお母さんが不在の時は、俺にも鳴きながら寄り添って来る・・。
まあ、相変わらずのビビリではあるけどね・・。
お気に入りの番組はワイルドライフ・・。
今日、1月22日はカレーの日だそう。
1982年のこの日、全国学校栄養士協議会で1月22日の給食のメニューをカレーにすることに決められ、全国の小中学校で一斉にカレー給食が出されたコトから、カレーの日に決められたそうだ。
カレーが嫌いだという人は、かなりの少数派であろう。
カレーを食べておけば、まず間違いない。
自分もカレーは大好きだ。
カレーを作ると3食カレー・・なんてコトもざらである。
しかし、不思議と飽きない。
2日目のカレーがまたうまい。
ちなみに今日はジャズの日でもあるそうだ。
「JAZZ」は1月はJanuaryで、ZZは22に似ている・・という理由らしいが・・。
ジャズを聴きながらカレー・・なんてのもオツかもね・・。
46になってしまった・・。
広島での生活も、はや15年・・。
毎年来る年賀状も、年々家族が増えたり、子どもが受験を迎えたりと、時の流れを感じさせられる。
隣の子どもとゴーヤは育ちが早い・・。(by博多華丸)
ちなみに毎月8日は「歯の日」、これはまだわかるけど・・。
「カレーパンの日」でもあるらしい・・。
まあ、カレーパン好きだけど・・。
ちなみに1月8日は一か八か、勝負事の日。
今年は一つ、勝負にでますか・・。
あけましておめでとうございます
今日はホントに雲1つない快晴
冬とは思えない、暖かさです。
去年の暮れに何気なく手に取ったフリーペーパーに、自分の星座が”今年最強の運勢”と書いてあったので、ちょっとうれしい気分で新しい年を迎えてますが・・。
(我ながら単純・・)
なんとなく、過ごす日々に倦んでる感じの今日この頃・・。
日々、喜んで、感謝して歩める、いい年にしたいですね。
皆様も風邪などひかぬように、くれぐれも体には気をつけてくださいね。
今年も、よろしくお願いします。
12月21日は冬至。
1年で最も日が短くなる時だ。
つまり、ここから徐々に日が長くなっていくワケだ。
「一陽来復」とは、冬が終わり、春が来るコト。
もともとは易の言葉だそうで、陰暦十月は坤の卦、十一月は復の卦にあたり、陰ばかりの中に陽が戻って来たコトになるそう。
「復」は陰暦十一月、または冬至のコト。
また陰の気が極まって陽の気にかえるイミから、悪いコトが続いた後で幸運に向かうコトをいうそうだ。
21日に奥さんが退院した。
実は原チャリで事故って2ヶ月ほど入院していたのだ・・。
しかも今年、事故ったのは2度目という・・。
—まあ、そーゆーイミでも、悪いコトが続いた後に、よい方向へ向かう時なのかな?・・と感じさせられた次第・・。
さて、今年も残りわずか・・。
皆さんも、よいお年を!
「ロスジェネ」という言葉をはじめて聞いたのは、池井戸潤の小説、『ロスジェネの逆襲』をTV番組で紹介していた時だったか・・?
後にドラマ化され、「倍返しだ!」のセリフで一世を風靡した半沢直樹シリーズの3作目だそう・・。
”ロスジェネ”―すなわち、”ロスト・ジェネレーション”で、”失われた世代”のイミ・・。
(だからロスジェネ”世代”・・というと、イミがかぶっているコトになるのだが・・)
何とも言えない、不名誉感のある言葉である・・。
1970~80年代前半にかけて生まれた―すなわち、自分らの世代―は、どの時代の子ども達よりも物的に恵まれた”飽食の時代”に生まれ育ち、いい学校、いい会社に入れば終身雇用、年功序列で安泰と信じて、厳しい受験戦争を戦った世代であるにもかかわらず、バブル崩壊後の”失われた10年”といわれる大不況、”就職氷河期”の中、社会に放り出され、特に経済的には、なかなかままならない状態の中、今も悶々としている人が多いという・・。
しかも、それでいて、華やかなりしバブル時代のオシャレな消費をしてきた親やすぐ上の世代を見て来ているため、そこと現実とのギャップが、さらに如何ともしがたい感を強くしてしまっているのだと・・。
これが、さらに下の”ゆとり世代”や、さらには”さとり世代”と言われる世代では、無理な競争はせず、身の丈にあった生活で決して高望みしないというライフスタイルが身についているが、豊かな時代を過ごして来たロスジェネ世代は、そう簡単にはいかない・・とゆーワケである。
まさしく・・である。
しかし、すべてを時代や世代のせいに帰するワケにもいかない。
そうした中でも、いわゆる”勝ち組”として頑張っている者もいるワケだし、そうでない者がすべて、いわゆる”負け組”とゆーワケでもなかろう。
なかなか厳しい時代であるのは間違いない。
「こんなはずではなかったのに・・」とゆーままならない思いも、まあ、痛いほど分かる。
―それでも、そうした時代に生きていかざる得ない運命ならば、自分が変わるしかない。
そうした言葉でくくられてるコトも、つい最近まで知らなかったくらいだったワケだから、まあ、そーゆーイミでは、”悟り”世代といえなくもない・・。
そうした言葉は、ある一面の真実を表現し、世相を切り取るものではあるけれど、いわゆる”ロスジェネ世代”の当事者すべてが受け入れられるほど説得力を持ったものではないだろう。
もし受け入れてしまえば、その言葉通り、”失われた世代”となってしまう・・。
しかし、現に我々は失われてなどおらず、こうして生きているのだから・・。
憂鬱な現状も喜びに変えていけるように、今を一生懸命、生きるしかないのだから・・。