Peace Waveの平和な日々~行く雲、流れる水のように~

気が向いたら、ボチボチ更新しようかと・・。(笑)

「祇園」=「シオン」?

2010年07月30日 | 都市伝説・ミステリー

「シオン」は、イスラエルエルサレム地方の地名で、ダビデ王の支配下に入った町として登場する歴史的な地名だが、「神殿の丘」の別名となり、後にエルサレム全体、さらにイスラエルの地全体を象徴する言葉ともなった。

ソロモン王により紀元前10世紀頃エルサレム神殿(第1神殿)が建てられた場所が「神殿の丘」で、バビロニアにより破壊された後、第2神殿が再建され、現在もその城壁の一部が”嘆きの壁”として残っている。

神との約束のイスラエルの地、パレスチナに自分たちの国を建てよう・・というユダヤ人の運動―シオニズムの語源となった地名でもある。

 

ちなみに「シオン」の綴りは「Zion」で、英語読みだと「ザイオン」―映画、「マトリックス」でコンピューターの支配から逃れた人間たちの住む街の名で、「機動戦士ガンダム」で、地球連邦に独立戦争を挑んだジオン公国も「Zion」である。

スペースノイド(宇宙移民)による国を建てようというジオニズム(Zionism)は、綴りもまったくシオニズムと同じで、そりゃまずかろう・・と、後に「Zion」から「Zeon」に変更されたという経緯もあるそう・・。

 

さて、エルサレムの別名でもあるこの「シオン」、原語のヘブライ語では「ツィオン」となり、日本に来て「ギオン」になったのではないか?・・という説があるのだ。

 

「あなたがたを苦しめた者の子らは、かがんで、あなたのもとに来、あなたをさげすんだ者は、ことごとくあなたの足もとに伏し、あなたの主の都、イスラエルの聖者のシオンととなえる。」(イザヤ書60:14)

「あなたの民はことごとく正しい者となって、とこしえに地を所有する。彼らはわたしの植えた若枝、わが手のわざ、わが栄光をあらわすものとなる。その最も小さい者は氏族となり、その最も弱い者は強い国となる。わたしは主である。その時がくるならば、すみやかにこの事をなす。」(イザヤ書60:21~22)

 

旧約聖書イザヤ書の1節である。

イザヤユダ王国後期の預言者で、国を失い、離散の憂き目にあったユダヤ民族にとって、「シオン」への帰還は神との約束であり、聖書に記された預言であり、二千年来の悲願であった。

 

イスラエルのエルサレムでは、様々な祭りが行われ、それらを総称して「シオン祭」と言っていたそうだが、はるかシルクロードを旅して、日本にたどり着いた”失われた十部族”の末裔が、かの地を偲んで、そこで行われていた祭りを行っていたとしても、不思議なコトではない。

「シオン祭」=「祇園祭」・・とゆーコトである。 

『祇園祭の大いなる秘密』の著者、久慈力はその共通点を指摘している。

 

祇園祭は、7月から1ヶ月という長い期間にわたって開催され、7月17日山鉾巡行で祭りのクライマックスを迎える。(カテゴリー/歴史・民俗:「祇園祭」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/6049ec424c880a47cec8d1a61e283310

 

 

「箱舟は七月十七日にアララテの山にとどまった。」(創世記8:4)

・・と聖書にあるように、この7月17日はノアの箱舟が洪水を逃れ、山の頂上に漂着した日で、イスラエルでは祝日としてその前後、計3週間という期間をかけて、毎年、新年祭が行われていたそうだが、その原点こそ「シオン祭」で、複数の祭りを祝い、国をあげて催されるイスラエルの壮大な宗教行事であった。

ちなみに山鉾はノアの箱舟?とも言われているとか・・。

箱舟が漂着したアララテ山は、現在のアルメニア近郊にあるタガーマ州ハラン(=タガーマハラ)にあり、高天原(タカマガハラ)に通じる。

高天原は、古事記の冒頭に「天地(あめつち)のはじめ」に神々の生まれ出る場所とされ、イザナギイザナミの国生みの二柱の神が、矛を下ろして島を作るくだりがあり、その場所が海の上の雲?の中に存在した・・とされていたと考えると、洪水で山頂に漂着した箱舟を彷彿させ、非常に興味深い。

 

―紀元前8世紀、イスラエルが滅亡した際、シオン祭は首都エルサレムの崩壊とともに消滅し、その後、過越しの祭収穫祭仮庵祭宮清めの祭・・など、旧約聖書に記されている各種の祭りにその名残りを残すのみとなったが、現在にまで伝わるイスラエルの新年祭と、祇園祭の暦との類似点の多さには驚かされる。http://ckphoto.exblog.jp/4191751/

 

まず、イスラエルでは、7月1日よりロシュ・ハシャナと呼ばれる新年礼拝があり、同じ日に祇園祭では吉符入りと呼ばれる祈願式からはじまる。

それからイスラエルでは、7月10日ヨム・キプールと呼ばれる贖罪日まで断食をしながら神の御前で悔い改めをする神聖な日となるが、祇園祭では同じ時期に清祓いと呼ばれる祈願式をもって、山鉾ごとのお祓いと清めが行われる。


また中旬の15日から7日間、イスラエルでは旧約聖書のネヘミア書に基いて、テントで寝泊りをし、エジプトでの奴隷生活からの脱出を祝う仮庵祭が催される。

同様に祇園祭では山鉾を造るが、この山鉾とその装飾方法がイスラエルの仮庵に酷似しているという。

仮庵祭の終盤では、会堂の祭壇に水を注ぐ清めの儀式と、律法の集会であるホザナ・ラバと呼ばれる祝福の儀式が行われ、神の救いに預かったことを祝して祈りつつ、草木を振りかざしながら、祭壇の周りを7回巡り歩き、神に感謝を捧げる。

7月17日より始まる神幸祭では、神輿が八坂神社から巡行して四条御旅所にて7日間留まり、御輿を神事用水で清める「御輿洗」と呼ばれる儀式が執り行われ、神主が祈りを捧げた後、祭壇に玉串を捧げ、周囲の人々がお神輿の周りを3回巡り歩き、山鉾に草木が添えられるという・・。


さらに牛頭天王蘇民将来の説話に基づく祇園信仰は、イスラエルの過越の祭とそっくりなのである。

 

シオン祭は、日本の地にたどり着いたユダヤ民族の末裔たちに継承され、土着化する過程において、様々なイスラエルの祭りの要素が吸収・集約されていきながら、今日の祇園祭になっていったのではないか?・・というのがその説だ。

 

なんで京都に・・?

・・と思ってしまうが、長い歴史を誇る古都・京都にはユダヤ人に由来するものと見られる痕跡が多く、枚挙に暇がない。

 

エルサレムはへブライ語では、「エル・シャローム」で、都をイミする「エル」と、平和をイミする「シャローム」が合わさって出来た言葉である。

すなわち、エルサレム=エル・シャローム=平和の都=「平安京」(!)となる。

平安京のあった京都の近くには琵琶湖があるが、エルサレムから少し北上するとキネレットという湖がある。

これは、ガリラヤ湖とも呼ばれる、イエス・キリストが福音を伝えた場所であるが、「キネレット」とは琵琶や竪琴をイミし、要するにキネレット湖=琵琶湖・・なのである。 

 

いやー・・キリがないのでこの辺で・・。

 

 

 

 

 

 


龍馬伝

2010年07月27日 | 映画・ドラマ

今、話題のNHK大河ドラマ「龍馬伝」の影響で、世の中はちょっとした龍馬ブームだ。

スーパーやコンビニの店頭には、「龍馬」の名を冠したスナック菓子などの商品が多く見られる。

 

福山雅治演じる坂本龍馬をはじめ、香川照之演じる岩崎弥太郎大森南朋武市半平太など、魅力的なキャスティングも、ブームに大いに貢献している。

佐藤健岡田以蔵もなかなかのハマリ役!

何度も龍馬を演じた”龍馬好き”で知られる武田鉄矢勝海舟・・てトコロが、またニヤリとさせる。

高橋克実西郷は意表をつかれたが、結構、雰囲気出てるし・・。

 

今回の大河ドラマ、「龍馬伝」は、途中から見ても楽しめるように4部構成になっているそうだが、4部それぞれに登場する4人のヒロインも旬の女優さんが演じて話題となっている。

 

尊皇攘夷を掲げながらも、旧態依然とした主従関係から自由であり得なかった武市ら土佐勤王党と、そうした一切のしがらみから抜け出し、脱藩した龍馬らとの対比で見せてくれたドラマ作りは見事で、思わず唸ってしまうほど。

 

TV放送は既に第29回「新天地、長崎」から第3部「SEASON3 RYOMA THE NAVIGATOR」―がはじまり、いよいよ風雲急を告げる、緊迫した幕末のクライマックスへ突入・・という雰囲気で、どこか、今までのように優しく、飄々としたイメージの”福山”龍馬はなりを潜め、鬼気迫る演技が続くといった印象だ。

トーマス・グラバーら外国商人の思惑も描かれ、欧米列強から植民地化せんと狙われる日本で、日本人同士が薩摩だ、長州だと相争う様を「まるで鳥小屋の中で、ニワトリ同士がケンカしちぅようぜよ!!と、龍馬が一喝するシーンはしびれた・・。

どこででも、そーゆーちまちました小競り合いはあるからねぇ・・。

 

最後は龍馬が暗殺される・・という史実に変わりはないワケで、第4部は、諸説ある龍馬暗殺の犯人探しのミステリー的な要素が盛り込まれる・・とゆー話・・。

京都見廻り組による犯行という説が有力だが、”諸説ある”・・とゆーコトは、それだけ動機がある者が多い・・とゆーコトでもある。

 

龍馬は自らしたためた手紙や写真などの1次資料が多く、28歳で脱藩してから33歳で暗殺されるまでの5年間、どんな足跡を辿ったか年表が作れるほど。

しかし、一切資料など存在しない、神戸海軍操練所が閉鎖されてからの、いわゆる”空白の4ヶ月間”があり、史実には忠実に、しかし、ドラマとして、ここをいかに面白く見せられるか?・・とゆートコロで、今後の展開も目が離せない。

 

自分の進むべき道を示してくれた師・勝は罷免され、「日本の海軍を作る!」・・という夢の拠り所であった海軍操練所もなくなった龍馬の挫折感はいかばかりであったろうか? 

一介の脱藩浪士で、何の後ろ盾もない龍馬は、いかに大言壮語しようが、薩摩藩のあり方まで意見するのはおこがましい・・と、西郷ら、薩摩藩士から軽く扱われる始末・・。

しかし、当然といえば当然の話である・・。

 

カステラのレシピが海援隊の資料として残っているそうだが、何の経済的な基盤もない海軍操練所の面々が借金のため、あちこちを回りながら頭を下げたり、カステラを作って商売をしようと奔走するエピソードも描かれ、妙な親近感を感じさせてくれる。

 

「土佐のいも掘りともなんともいわれぬ居候に生まれて、一人の力で天下動かすべきは、これまた天よりすることなり。こう申しても決して決してつけあがりはせず、泥の中のすずめ貝のよふに、常に土を鼻の先につけ、砂を頭へかぶりおり申候。」

 

・・という、姉・乙女に宛てた龍馬の手紙の有名な一節が浮かんでくる。

 

しかし、伊勢谷友介高杉晋作は、

「カッコよすぎるやろ・・

 

・・と思わずツッコミを入れてしまったが、すかさず、奥さんが

「龍馬もでしょ・・?

 

・・確かに・・。

 

最初、キャスティングを聞いた時は、「えーっ・・!!?」・・て感じだった”福山”龍馬に、既に、えら~く馴染んでしまっている自分がいた・・。

 

―思えば、もう第1部・・いや、第1話からかもなー・・。


土用の丑の日

2010年07月26日 | 歴史・民俗

今日は土用の丑の日

四季春夏秋冬を、五行木火土金水に対応させると、それぞれ春は「木」、夏は「火」、秋は「金」、冬は「水」と、「土」があぶれてしまう。

そこで、二十四節気の立春・立夏・立秋・立冬の前、18(19)日間に「土」を当てはめ、「土用」と名付けたそうだ。

それゆえ、「土用」は年4回あるワケだ。

 

その土用の間で、日の十二支が丑の日のコトを「土用の丑の日」といい、一般的には夏の土用のコトを指す。

ちなみに、土用の間に丑の日が2回ある場合があり、2回目を「二の丑」というのだとか。

 

陰陽道が民間に浸透し、「土公神」(どこうじん)という土神が注目されるようになっていったそうだが、この土公神は、決まった日に決まった方位に座する遊行神で、春は東、夏は南、秋は西、冬は北に座すとされ、その方角への旅行や遠出・移転を避けていた。

この土公神の遊行日が家の中にも取り入れられるようになり、春はかまど、夏は門、秋は井戸、冬は庭・・といった具合に3ヶ月間ずつ、その場所に滞在するため、その期間はその場所をいじってはならないとされていたという。

そして、この土用の期間は土の中に潜るのだそうで、土をいじったり、掘ったりすると土公神を怒らせてしまい、方位や土地の障りがあると言われるようになり、工事や造園は避けるようになったのだとか・・。

 

この期間、ガーデニングや家庭菜園をやってる人は、要注意やね・・。

 

ちなみに土用の丑の日にうなぎを食べるようになったのは、諸説あるが、平賀源内の発案によるもの・・とゆーのが有名である。

夏に売れない鰻を何とか売るため、源内は丑の日に「う」のつく物を食べると夏負けしない・・という民間伝承からヒントを得て、「本日丑の日」と書いて店先に貼ることを勧めたトコロ、評判になり、とても繁盛したという。

その後、他の鰻屋もそれを真似るようになり、土用の丑の日に鰻を食べる風習が定着したのだとか・・。

 

古くから滋養強壮に良いといわれて来た鰻には、体の抵抗力を高めるビタミンAや、ビタミンAの吸収を高める脂質の他、ビタミンB1B2カルシウムカリウム亜鉛などもバランス良く含む優れた食品で、血中のコレステロール値を抑制するDHA(ドコサヘキサエン酸)やEPA(エイコサペンタエン酸)も多く含み、動脈硬化などの生活習慣病を予防する効果も。

またムチン消化吸収を高め、胃壁を守る効果がある。

体を温め夏バテ予防食欲減退防止の他、、体力回復風邪・視力低下・皮膚障害・味覚障害・脳卒中の予防口内炎・口角炎・ストレス・高血圧の予防・・などがその効果として挙げられる。

まさしく、この季節にはピッタリのスタミナ源!

 

ここんトコ、全国的に連日、猛暑が続いているよーだが、うまいうなぎでも食って、乗り切りたいトコロ・・。

 

そういえば、今日、友人宅に第1子が生まれたそうで、この場を借りておめでとー!!

土用の丑の日生まれの男の子とは、なかなか元気なお子さんになりそーですな・・。

さすが!食王の息子っ!

今日はうなぎでお祝いだね。

 

 

 

 

 

 

 


白鵬、歴代3位タイ、45連勝!

2010年07月24日 | 格闘技・武道

昨日、白鵬大関琴欧洲を降して今場所13戦無敗。

通算連勝記録が45連勝になり、歴代3位大鵬の記録に並んだ。

 

大鵬といえば、「巨人・大鵬・玉子焼き」という言葉もあるほど、その世代の人なら誰もが愛した昭和の名横綱。

その大鵬が1968~69年に達成して以来、誰も成し得なかった大記録である。

 

今場所、野球賭博問題でNHKの相撲中継はなく、連日、暴力団との関係が取り沙汰される角界の不祥事の報道が続き、半ば、いい加減にしろ・・と、正直、かなり食傷気味であった。

そんな中、ようやく届いた明るい話題である。

 

歴代1位双葉山連勝記録69連勝で、まずこの大記録を破るコトは不可能・・と言われているそうたが、ライバル・朝青龍も引退して1人横綱となった今、決して不可能ではないのでは?・・と思わせてくれる。

 

今場所、さらに連勝記録を伸ばし、優勝して、相撲界に明るい話題を提供して欲しいものだ。


フレーム・シフティング

2010年07月23日 | 人生覚書き

たとえば、医者が、

「この薬を飲んでも80%の人は助からない」

・・と言うのと、

「この薬を飲むと20%の人は治る」

・・と言うのでは、同じコトであるが、聞き手が受ける印象はまるっきり逆になるのが分かるであろう。

 

このように、何か物事を解釈する際に、様々な考え方に思考を転換していくコトで、場合によって考え方や感じ方が変わるコトを、フレーム・シフティング(frame-shifting)と言うのだとか。

 

この場合の「frame」とは「気分」のコトで、「frame of mind」(気持ち、心の持ちよう)などで使われるのと同じイミだそう。

 

日本語で「気分転換」・・とゆーと、違うイミになってしまうが、「心情転換」とでも言おうか・・?

 

以前にも紹介したが、靴メーカーの社員がアフリカに視察に行き、誰も靴を履いてないのを見て、売り込み不可能ととらえるか、あるいは絶好のビジネス・チャンスととらえるか・・という小咄も、フレーム・シフティングであろう。

(カテゴリー/人生覚書き:「幸運を呼ぶ言葉」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/f74e3b600e75dab4b89b39b2d73b44ab

 

コップに水が半分入ってるのを見て、「もう半分しかない」と思うのか、「まだ半分もある」と思うのかも同様である。

 

とらえ方1つ、自分の心の持ちよう1つで、人生は180度、変わるもの・・。

 

全国実態調査の結果から、若者の「ひきこもり」が全国で70万人(!)に上ると推計され、将来、そうなる可能性のある「ひきこもり親和群」も155万人(!)と推計しており、今後さらに増える可能性がある・・と言われているそうだ。

しかも、70万人の約半数は30代だというから、日本の将来に不安を覚えずにはいられない・・。


こんなデータも、フレーム・シフティングで、「まだこんなもんかー」・・と、ポジティブにとらえるべき・・?

 

 

 

 


捨ててこそ

2010年07月21日 | 人生覚書き

 

       放てば手にみてり                        

                         『正法眼蔵』より

 

曹洞宗開祖道元禅師の言葉。

手放してこそ、大切なものが手に入る。

何かを掴もうとするなら、掴んだままの手では何も掴めない・・というイミ。

 

自分の欲や執着を捨てた時、見えてくるものがある。

結構、自分がこだわって大切にしてるものは、案外、他人から見れば何の価値もない、ちっぽけなものだったりするコトが多い。

大事にしがみついてるから、自分の目には見えないのだ。

 

1歩引いてみて、はじめて俯瞰で見れるように、それは1度手放してみて、はじめて分かったりするものなのかもしれない・・。

 

「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」・・だ。

 

何も持ってない、何のこだわりもない・・とゆーコトは、すべてを所有してるのに等しい。

何ものにもとらわれない自由な心は、その中にすべてを包容してしまうからだ。

 

しかし、捨てても、捨てても、頭をもたげてくる「自分」・・。

 

これはなかなか、やっかいなものだ・・。

 

 


トイ・ストーリー3

2010年07月20日 | 映画・ドラマ

先日、奥さんとレイト・ショーで見に行ってきたが、まさか3作目が作られるとは思いもよらなかった作品。

「トイ・ストーリー」は、もちろん、好きな映画であるが、見たのはもう10年以上前。

内容もすっかり忘れてしまってるくらい・・。

 

しかし、1、2を見なくても、この作品だけでも十分に楽しめる。

 

主人公の少年アンディも17歳で、もう大学へ行く歳になり、今まで遊んで来た玩具たちと別れの時が来る・・とゆー、ちょっと切ないストーリー。

―いや、「トイ・ストーリー」の主人公といえば、やはり、ウッディバズ・ライトイヤーのコンビか・・。

 

ピクサーのアニメは名作揃いで、この「トイ・ストーリー」をはじめ、「ファインディング・ニモ」「Mr.インクレディブル」は家族愛や親子愛、「カーズ」では人生という、とても深いテーマを扱い、どれも単なる子ども向けのアニメではなく、大人の鑑賞に耐えうる作品になっている。

この作品もちょっとホロッとさせる、なかなかの名作。

 

それにしてもCG技術の発達には驚かされる。

アニメとはいえ、手に汗握るシーンの連続だ。

 

作品のカギを握るロッツォの存在は、愛されなかったコトが、大きな恨みになってしまうコトも感じさせる。

トトロが友情出演してるのもなかなか憎い・・。

ジブリとピクサーは長年の付き合いで、宮崎駿がおもちゃでなら・・と出演OKを出したそうだ。

 

ああ、子供の頃、遊んだ玩具たちは今どこに・・なんて、ちょっと感傷的な思いになってしまった・・。


祇園祭

2010年07月19日 | 歴史・民俗

園祭(ぎおんまつり)は、その豪華さや、祭事が1ヶ月にもわたるという規模の大きさから有名な京都・八坂神社の祭りで、大阪の天神祭、東京の山王祭(神田祭)と並んで日本三大祭りの1つに数えられている。

さらに上賀茂神社下賀茂神社葵祭平安神宮時代祭と並んで京都三大祭りの1つにもなっている、日本を代表する祭である。

日本人なら誰しも、その名前を1度は聞いたコトがあるだろう。

 

貞観11(869)年清和天皇の時代に、京都で疫病が流行り、多くの死者が出た時に、当時の人はこれをスサノオノミコトの祟りであるとして、その祟りを鎮めるために牛頭天王を祀り、疫病退散を祈ったのがそのはじまりという。

疫病の猖獗を鎮める祈願を込めて、卜部日良麿が全国の国の数の66本の鉾を立て、神輿3基を送り、牛頭天王を祀り、御霊会を行い、安和3(970)年から毎年行うようになったそうだ。

 

途中、応仁の乱第二次世界大戦などで中断はあるものの、千年以上の歴史を誇り、現在もなお続いている。

 

月1日「吉符入り」から31日「疫神社夏越祭」まで、丸1ヶ月にわたって行われるが、祇園祭のクライマックスは7月17日に行われる32基の山鉾巡行

巡行は午前9時、四条烏丸から長刀鉾を先頭に河原町通を経て御池通へ向かって街を練り歩く。

途中、「注連縄切り」「くじ改め」や豪快な辻廻しなどで見せ場をつくり、豪華絢爛な一大ページェントが繰り広げられる。

 

この「山鉾」と呼ばれる巨大な山車のうち、29基は重要有形民俗文化財に指定されており、豪華な織物や金具で飾り付けられた山車は、”動く美術館”と呼ばれるほど。http://www.gionmatsuri.jp/

 

この、とてもきらびやかで豪奢なタペストリーの前掛けゴブラン織りをといって、要は西洋のもの。この鳳凰?や

 

こちらの龍?のような東洋風なデザインのものもあるが・・

 

まったく日本的な要素がない、こーいったものや・・

 

こんなものまで・・。

 

これなんかキリンだぞ・・。

 

・・・・。

 

 

これらはベルギー製のタペストリーで、1718年に祇園祭のために寄贈されたものだそうだが、中には聖書の物語をモチーフにしたタペストリーもあるという。

 

それがこれ。

アブラハムが息子イサクの嫁を探す為に僕を使いに出し、その僕が神に祈ったごとくに水を供するリベカと出会うシーンだという。(創世記24:1~27)

 

当時は江戸時代で、キリスト教は禁止されていたのだが、この山鉾が京都の街を練り歩いていたのだろうか・・?

 

室町時代以来、園祭のクライマックスといえば、この山鉾巡行で、今年も20万人(!)もの人出があったという。

 

この「祇園」という言葉、その語源はヘブライ語の「シオン」だ・・とゆー話もあるのだが、つづきはまた・・。(カテゴリー/都市伝説・ミステリー:「祇園」=「シオン」?参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/4c1e7760d65d2a5f0380d42dad6858be


何の設備・・?

2010年07月17日 | (笑)のツボ

「設備の街」・・・。(笑)

 

いきなりそー言われても、よくイミがわかんないけど・・よく見ると看板の上半分、すっかり字が消えてしまってるが、「非常ベル」「盗犯予防」という文字がうっすら見える・・。

 

その文字がハッキリ読めるトコロに、この看板のイミがあるんだろーに、ねぇ・・。