Peace Waveの平和な日々~行く雲、流れる水のように~

気が向いたら、ボチボチ更新しようかと・・。(笑)

光速を超える!?ニュートリノ

2011年09月30日 | サイエンス

先日、素粒子のニュートリノが光よりも速い(!)・・という衝撃的な実験結果が発表され、波紋を呼んでいる。

ニュートリノは、太陽などの恒星が核融合を起こす時の副産物で、電気的に中性な粒子。

極めて小さな粒子で、質量をもつコトが発見されたのは、ごく最近のコト。

大量に存在しているが、検出は難しいコトから、「幽霊素粒子」とも呼ばれる。

 

実験はスイス・フランス国境にある欧州合同原子核研究所(CERN)の加速器から、約730キロ離れたイタリアグランサッソ地下研究所の検出器に向けて、ニュートリノを発射するというもの。

本来の実験は、ニュートリノの質量を調べるため、「ミュー型」から変化して現れる「タウ型」のニュートリノを捕まえる・・というもので、ニュートリノが光速を超えるという衝撃の実験結果は、その副産物だという。

 

両研究所の時計をGPS(衛星利用測位システム)で正確に合わせ、発射時と到着時を測定し、3年間の実験で蓄積した約1万6千回のデータ(!)から速度を計算した。

 

その結果、光の到達時間は2.3ミリ秒だったが、ニュートリノの到達は、それよりも60ナノ秒ナノは10億分の1なので1億分の6秒、誤差は10ナノ秒以下)ほど早いコトが判明!

 

ニュートリノの速度は毎秒30万6キロで、秒速約30万キロの光速より毎秒6キロ速い(!)コトになる。

 

アインシュタイン特殊相対性理論によると、質量を持つ物体の速度が光速を超えるコトはないとされる。

ニュートリノは、わずかだが質量をもっており、実験結果が正しければ、現代物理学を支える相対論を根底から覆す(!)コトになる・・。



研究チームは、約6ヶ月間の検証作業を重ね、あらゆる誤差や人為的エラーを排除し、否定を試みたが、最後まで、どうしても”60ナノ秒”が消せずに残ったという。

その間、むしろ、ニュートリノが光速を超えるという結果が否定されるのを望むような雰囲気だったとか・・。



チームの中村光広准教授は「結果は確信できるが、精神的な抵抗はあった。物理学者として深い淵をのぞき込んでいるようだ」・・と、実験手法の信頼性を強調する一方で、物理学の常識を覆す結果に困惑をみせた。

発表に踏み切ったのは、自分たちはやり尽くしたので外部で検証してほしい・・との思いからだそうだが、専門家の間でも懐疑的な見方が少なくなく、議論は長期化しそうだ。


東大の村山斉数物連携宇宙研究機構長は、もし、この結果が本当なら、タイムマシンも可能になる(!)と、驚きを隠さない。

 

アインシュタインの特殊相対性理論によると、質量のある物体の速度が光の速度に近づくと、その物体の時間の進み方は遅くなり、光速に達すると時間は止まってしまう。 

 

光速で動く物体が、時間が止まった状態だとすると、それよりも速いニュートリノは、時間をさかのぼっている可能性も否定できない・・。

  

―これが、タイムマシンが可能だとする理論的な根拠である。

 

ニュートリノが超高速だと証明されるコトで、過去へのタイムトラベルも現実味を帯び、時間の概念すら、変更を余儀なくされる可能性もある・・とゆーワケである。

 

ただし、ご存知のように、特殊相対性理論によれば、物質は光より速く移動するコトが出来ない。

 

これを難しい表現で、「非局所作用は存在しない」・・というが、くわしくは、また次の機会に・・。



 

 


All as One ~すべては1つに~

2011年09月29日 | 人生覚書き

  

    万理一空

 

昨日、4年ぶりに誕生した日本人大関・琴奨菊が口上で述べた四字熟語が、この「万理一空(ばんりいっくう)

自分を相撲へと導いてくれた亡き祖父・一男さんの名前から「一」の字をとった言葉を・・というコトで選んだそうだが、父も一典、自身も一弘と、名前に「一」がつく。

 

すべての理(ことわり)は一つの空(くう)に帰する。どんな努力も目指す先は一つ・・とのイミを込めた。

 

出典は、宮本武蔵『五輪書』にある、「山水三千世界を万理(里)一空に入れ、満天地とも攬(まとめ)る」・・という一節。

世界の果てまで行っても空は1つしかない、すべてのものは1つに帰する」・・といったイミで、常に静かに落ち着いた気持ち、精神的境地で事に臨むコトを説いたもの。

 

―そこから転じて、現在では、1つの真理や目標に向かって精進し続けていく・・というイミで使われるコトも・・。

 

元プロ野球選手・メジャーリーガーの桑田真澄の座右の銘でもあり、日本ハム斎藤佑樹投手に色紙を贈った際にも、この言葉を揮毫していたとか・・。

桑田は自身のブログでも、父親を追悼する際に、「天と地は繋がっていると信じている」・・と、この言葉を用い、その絆は永遠である・・という表現でも使っていたという。

 

その四文字に、各々がいかようにもイミを込め、解釈するコトが可能だなあ・・と思わせる、スケールの大きな言葉には違いない。

 

天を見上げれば、世界中、誰の頭上にもこの空は広がっていて、つながっている。

 

この地上で、勝手に人間が線引きした国境も、空にはない。

 

すべての理は一つの空に帰する。

 

すべては1つに・・。 

 

「万理一空」―しみじみと、味わい深い言葉である。

 


肉体改造計画

2011年09月27日 | 最近、思うコト

「肉体改造計画」―などと言うと、体を鍛えてマッチョなボディに変身する・・なんてイメージがあるが、今回のは、そーゆーのではない。

外側ではなく内側、昔から懸念のあった高血圧についてである。

 

もともと父親も血圧が高く、小さい頃から母親が作る塩分少な目、薄味料理を食べて育って来たので、「コウケツアツ」・・とゆーワードには敏感であったし、ほどなく、自分自身もその素質を受け継いでるコトが分かった。

 

店を開業する前―だから4年半ほど前になるが、妙な頭痛がして気味が悪いな・・と病院に行ってみたトコロ、170を越す高血圧で、動いちゃダメです!即入院です!・・とゆーコトで1週間の検査入院・・。

しかし、いわゆる、本態性高血圧・・とゆー原因不明のもので、他にさしたる異常も見つからなかった。

 

原因不明・・とはいえ、遺伝的な要素や食事、生活習慣やストレスに大きく依存するワケだから、遺伝的なものはムリとしても、そうしたものを改めていく必要がある。

 

40歳になって、健康診断の通知が届いたが、面倒だな・・と、行ってなかったのだが、今回、就職するにあたり、健康診断書の提出が必要とのコト。

―で、受けたのだが、やはり、同じ結果・・。

 

特に長生きしたい!・・とゆー願望はないが、死ぬまでは元気でいたい。

目指すは、漂泊の俳人、山頭火が願った「ころり往生」・・とゆーやつである。

 

まあ、引越しやら何やらでバタバタして、相当、ストレスがたまってたのも事実であろうし、夜のウォーキングも出来てなった。

昨日、病院にいったら、Ⅲ度とゆー重症な高血圧であると・・。

薬も飲んでいくコトになった。

 

食事や運動など、生活習慣を改善して、体重も減らして・・そーゆー「肉体改造計画」とゆーワケである。

 

見た目にはそんなに太っては見えないし、むしろガッチリした体型なので、やたら健康で元気そうに見られるコトが多いが、内実はこんな感じでボロボロ・・。

 

まあ、「~計画」・・といっても、あんまりガツガツ目標を決めてやるのも高血圧に良くないので、あせらずにゆっくり、のんびり、マイペースで行きたい。

 

行く雲、流れる水のように、ね・・。

 

 

 

 


コテツのお気に入りの場所

2011年09月24日 | 最近、思うコト

奥さんの実家―まあ、今は自分の住まいでもあるが・・―の飼い猫、”こーやん”こと、コテツ君

 名前の由来は「じゃりんこチエ」小鉄―ではなく、プロレスラーの山本小鉄から。

 

ベッドがお気に入りで、いつも、我が物顔でリラックス。

 

まったく、いい場所で寝てやがんな、おめー・・。

 

しかし、本気モードで寝る時は、ベッドのシーツの下にもぐり込んで寝る。

こんもり盛り上がってるトコがこーやん・・。

 

息苦しくないんかいっ・・!?


笑える研究

2011年09月23日 | サイエンス

毎年、その年に(アメリカで)公開された映画の中から、最も素晴らしい映画の各部門ごとに贈られるアカデミー賞に対し、最低の映画に贈られるのが、アカデミー賞のパロディである、”ラジー賞”こと、ゴールデン・ラズベリー賞 

 

実は、世界的にも最高の栄誉ある賞として知られるノーベル賞にも、”裏ノーベル賞”といわれる、イグノーベル賞・・という賞がある。

1991年に創設された、このイグノーベル賞(IgNobel Prize)は、ノーベル賞(Nobel Prize)に、反語的な接頭語”Ig”をつけ、「下劣な、恥ずべき、不名誉な」をイミする”ignoble”ともかけているとか・・。

 

ただ、こちらは最低の研究に対して贈られるワケではなく、「笑えて考えさせられる」「マネできないしマネすべきでない」研究・・という2つが、その受賞基準

実際にノーベル賞を受賞した人も受賞してたりする、あるイミ、”権威ある”賞である・・。

 

ハトにピカソの画を見分けさせる実験、水の中とシロップの中、どちらが速く泳げるか?の実験、身の毛もよだつ音の心理学、ヘソのゴマの研究・・etc。

 

クマに襲われても平気なスーツの開発で、安全技術賞を受賞したカナダトロイ・ハートバイスさんは、科学者でも研究者でもない、一般人!

驚きのその受賞理由は、ハンマーで殴らせたり、車に轢かれたり(!)・・といった、自ら体を張ったスーツの徹底した研究ぶりに対するもの・・。

しかし、7年の歳月と1000万円以上の予算をスーツの開発につぎ込んだ結果、破産してしまい、裁判所にスーツを差し押さえられたという・・。

 

―とはいえ、無駄なもの(オイ!)ばかりではない。

インドスリークマル准教授は、数学者ではなく、動物生理学者だが、「インド象の体表面積を測る方程式」(!)を編み出して、数学賞受賞!

 

インド象は、体表面積によって与える薬の量などが決められるため、定期的に体表面積を測らなければならないが、それを嫌がって暴れる象に踏まれる事故が多発、死者も相次いでいた・・。

 

そこで、なんとかしなければ・・と、立ち上がったのがスリークマル氏。

 

 

何度も踏まれそうになりながら、象のさまざまな箇所の長さと、体表面積との相関関係を調べた結果、身長と前足の太さに比例しているコトが判明!

 

そして、導き出した方程式が・・

S=-8.245+6.807H+7.073FFC!

Sは体表面積、Hは身長、FFCは足回り(前足の太さ) 

 

インドでスリークマル氏は、数学で多くの命を救った恩人として崇められているという・・。

 

先見性のある発明や研究も、常人にとっては理解しがたく、最初は狂人の奇行にしか映らないかもしれない・・。

 

しかし、やがてはそれも、未来の常識になる可能性だってあるのだ。

 

人類の進歩と未来のために、笑われても、くじけずにやり続ける勇気を持つべし!!


砂と霧の家

2011年09月21日 | 映画・ドラマ

原題は「House of Sand and Fog」で、そのまんま・・。

アンドレ・デュバス三世原作の、2003年の映画である。

 

キャシー(ジェニファー・コネリー)は、夫が出て行った精神的ショックから、うつ状態に陥り、郵便物を放置した結果、税金の滞納で、亡き父から譲り受けた唯一の財産である家を差し押さえられ、競売に掛けられてしまう。

それを手に入れたのがイランからの亡命者、ベリーニ(ベン・キングスレー)

軍の幹部だった祖国での暮らしを忘れられない妻と息子のために、家族に隠れて昼夜、キツい肉体労働をしている彼は、昔、祖国で持っていた別荘に似た家を転売し、資金を得ようと考えていた・・。

 

舞台は”霧”のサンフランシスコで、”砂”の国から来た男と、ひとつの家をめぐって運命が交錯し、やがてストーリーは悲劇的なラストへと・・。

 

つまり、最後は悲しい結末なので、見たら、後味悪く感じる人も多いかも・・。

 

そーゆーイミでは、正直、あまり、オススメとはいえない映画。

 

しかし、

「家とは何か?」

「家族とは何か?」

「家庭とは何か?」

・・について、考えさせられる映画である。

描写も、淡々としていながら丁寧で、個人的には感情移入しやすかった。

 

たまたま最近、TVの深夜枠でやっていたものだが、タイミング的に自分自身の引っ越しなどもあったためか、妙に感慨深い思いにさせられた。

 

「砂と霧の家」とゆータイトルには、もちろん、もろく崩れ去り、はかなく消えてしまう家・・というイミも込められているのだろう。

 

キャシーもベリーニも、その孤独な境遇ゆえ、”家”そのものを自分の心の拠り所としたのだが、本当の自分の居場所である”家”とは、建物やその場所ではなく、”家庭”という、家族の関係性の中にこそあるのだ・・とゆーコトを、あらためて感じさせられた映画だった。

 

 


雲の話

2011年09月20日 | サイエンス

このブログのサブタイトル、「~行く雲、流れる水のように~」は、行雲流水という自分の好きな四字熟語からとっている。

(カテゴリー/人生覚書き:「行く雲、流れる水のように」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/73c3fc2b283a511be67ae0f7ebe02650

 

悠々と空を行く雲は、自分の理想とする姿でもある。

 

この雲について、最近、注目されてるのが、太陽の磁力が雲に影響を与える・・とゆー説。

1997年に、この論文を発表したのが、デンマーク国立宇宙センターヘンリク・スベンスマルク教授である。

 

太陽には、その表面から深さ40万kmのトコロまで、ガスが対流している層があり、そのガスが運動するエネルギーにより、磁力が生み出される・・と考えられている。

その太陽による巨大な磁力線のバリアは、すっぽりと太陽系全体を覆うほど!

この磁力のバリアが、宇宙線から地球を守ってくれているのである。

 

ちなみに、この宇宙線とは宇宙から降ってくる放射線のコトで、はるか彼方の宇宙で星が最期を迎え、爆発した時に生まれ、その中の一部は長い時間、宇宙を旅して地球にまで到達する。

 

この宇宙線の量と雲の量に相関関係があるコトを見出したのがスベンスマルク教授なのだ。 

短い期間ながら、宇宙線の量が増えると雲の量が増え、宇宙線の量が減ると雲の量も減る・・という完全に一致する観測データを発見したのである。 

 

そもそも、雲の発生に欠かせないのは、水蒸気の核になる微粒子の存在である。  

この微粒子の発生に、宇宙線が関わるメカニズムとは、以下の通り。

 

―すなわち、地球に到達した宇宙線は、空気中の分子と衝突、すると分子は電気を帯び、互いに引き寄せ合って大きくなる。

こうして雲の形成に不可欠な微粒子が生み出され、これを核として水蒸気が集まり、雲が発生する・・とゆーもの。

 

雲の核となる微粒子が少ないと、1つの粒子にたくさんの水が集中するため、大粒の水滴が出来、雨となって地上に降る。

しかし、この微粒子が多いと、1つの粒子に集まる水は少なく、水滴は小粒で軽いため、雨としてなかなか降らずに、いつまでも雲のまま上空にとどまる。

 

つまり、微粒子が多いか少ないかで、雨になるか、雲のまま残り続けるかが決まり、結果、地上に届く日光の量に大きな差が生じる・・とゆーワケである。

 

まとめると・・ 

太陽活動の衰え磁力のバリアが弱くなる地球に降り注ぐ宇宙線の量が増える雲の量が増える日光が遮られ、地球も冷える・・

―というのが、スベンスマルク教授が指摘する、地球の気候変動の筋書きだそうだが、なんだか、ちょっと聞いただけではよく分からない、「風が吹けば桶屋が儲かる」・・みたいな話ではある・・。

 

事実、名古屋大学太陽地球環境研究所草野完也教授によると、この問題は、非常に多岐の分野にわたっており、気象学・気候学・太陽物理学・太陽地球系物理学・・といった、従来では交わるコトのない、まったく異なる学問領域の知識を、学際的に総動員しなければならないコトを、研究過程において、さらに強く感じるようになったという。

 

太陽活動が衰えたトコロへ、さらに雲が増えて日光が遮られる・・とゆー相乗効果が、どれほどの影響を地球に与えるのか、太陽の活動が弱くなっていると言われる今、我々はこれから目撃していくコトになるのだろうか・・?

 

何ものにも縛られない、自由気ままな雲・・とゆーイメ-ジ であるが、実は、こんなにも密接に太陽や宇宙との相関関係があるコトが分かっているのである。

 

ところで、話はまったく変わるが、先日、友人の新居にお邪魔した際、立派な神棚が飾られていたのだが、その神棚の上に「雲」の字が彫られた飾りがあった。

 

紙に「雲」と書いたものを天井に貼ったり、あるいは「空」の字であったり、いろいろなパターンがあるようだが、要するに、神様がおわしますトコロ、その上を土足でドタドタ人が往来するよーなご無礼があってはならない・・とゆーコトで、そうした措置がとられているのだとか・・。

まあ、現在のお家事情では、誰しも最上階のペントハウスに住めるもんでなし、なるほど・・と恐れ入った次第・・。

 

日本の神道では、高天原という「雲」の上の世界に住んでるのが神様。

キリスト教でもイエスは「雲」に乗って再臨すると信じられている。

尊く、エラい人は「雲上人」、あるいは「雲の上の存在」・・なんて言ったりする。

 

しかし、こうした言葉を見ても、「雲」そのものが、エラいワケではないのが分かる。

天にある尊い存在の足元にあり、とりまくのが「雲」・・とゆーワケである。

たとえば、英語で「雲」を表す”cloud”は、「群れ」のイミももつ。

 

地上から天に昇っていった、その真っ白な姿が、清く美しい生き様さえ連想させるのだろうか?

どうせなら、天にある尊い存在に近い、雲のような存在でありたいもの・・。

 

 

まあ、自分が雲を好きな理由の1つには、「北斗の拳」に出てくるキャラ、南斗五車星の1人、雲のジュウザの影響も、結構あるんだけどね・・。

 

 


きりきり舞い、そして、てんてこ舞い

2011年09月19日 | 最近、思うコト

今月は、とにかく、盛りだくさんだ・・。

 

広島へ来て、10年続けてきた仕事に一区切りをつけたコト。

引越し、閉店、そして就活、さらに奥さんの親との同居・・。

 

住むトコと仕事をいっぺんに失ったような・・。

個人的には、先の震災の大津波が、だい~ぶ時間差でやって来たような・・。

 

そんな中でも、弟くんの結婚式があったり、おめでたいコトも・・。

 

そうかと思えば、今朝は奥さんが救急車で運ばれる・・。

 

いやー、一体、何なんだろーか・・?

 

―まあ、ここまでいろいろあると、もう半笑いさえ出てくる・・。

 

再出発・・といってしまえば、そーなのかもしれないが、とにかく、今までのいろいろなモノや環境を整理していかなければならない時なのだ・・とゆーコトは、正直、否が応でも感じざるを得ない・・。

 

まあ、ここまで分かりやすく、しっちゃかめっちゃかにしてくれると、ね・・。

 

きりきり舞い、そして、てんてこ舞い・・。

 

そんな感じの9月である・・。

 


結婚、おめでとー!

2011年09月17日 | 最近、思うコト

今日、奥さんの弟―つまり、自分の義理の弟の結婚式があった。

 

不思議なものだが、たとえクリスチャンじゃなくても、結婚する2人は、必ず神様の前に永遠の愛を誓う。

それは、神式でも同じである。

 

そこには本当に犯しがたい、一種、神々しいまでの神聖な雰囲気がある。

 

「いやー、単なる形式だけでしょ?

「かったりー・・

・・なんて思いで、その場に臨む新郎・新婦は、まず、いないだろう。

 

これ以上ない、神妙な、嘘偽りない思いで、永遠を誓い合う。

 

しかし、いつしか、現実や日々の生活の中で、その思いを誰しも忘れてしまう・・。

―でなければ、浮気や離婚に至るはずがない。

 

2人が永遠の愛を約束した神様が、どっかにいってしまって、目の前の相手しか見えなくなってしまうコトが、問題なのだろう・・。

 

結婚式の時だけ引っ張り出された神様にとっては、いい迷惑ってもんである・・。

 

病める時も、健やかなる時も、貧しい時も、富める時も・・その時の思いを忘れずに、しあわせな家庭を築く努力をし続けるコトこそが、本当の”愛”なのだろう。

 

そうするコトで、赤の他人だった2人は”夫婦”になっていき、やがて本物の”家族”になっていく・・。

 

でも、この2人なら、きっと大丈夫・・と思わせてくれる、いい式だった。

弟くんの最後の挨拶は、本当に感動した。

 

なんにしろ、結婚おめでとー!

 

いつまでも、末永~く、おしあわせに・・。