”疑わない事”
それが ”強さ”だ!!!
シルバーズ・レイリー
(『ONE PIECE』61巻より)
3日前くらいに、広島も梅雨入りした。
観測史上3番目の早さ(!)とのコトだが、全国的にも例年より2週間くらい早い・・という感じだそうだ。
台風も近づいてるそうだが、雨もよく降る・・。
天候によって客足にも影響する。
当然、雨が降ると、お客さんの足も遠のく・・。
しかし、少しも慌てず、こーゆー時は読書などしながら、有意義に時間を過ごす。
以前からゆっくり読もうと思ってた本と、じっくり向き合う・・。
尾田栄一郎原作、「ONE PIECE」!
(マンガかーいっ!!)
いやー、しかし、巷で話題になるだけのコトはある・・。
(カテゴリー/食玩など:「ONE PIECE」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/bc32992dfb2b95754f93782427eceba4)
笑いあり、涙ありの感動の大作だ。
単なるギャグマンガではなく、結構、重厚なストーリーが読み応えがある。
”麦わらの一味”のキャラ1人1人を深く掘り下げた回想シーンなど、浪花節的な人情話満載で、誰が読んでも「ドン!」と胸に響くエピソードがあるはず!
個人的にはメリー号の最期は泣けたなー・・。
それだけに、現在出ている最新の62巻まで一気に読むのは、なかなかたいぎぃ(「大変な」の広島弁)コトであった・・。
なにせ、週刊連載14年分だもんね・・。
相当、時間かかったぞ・・。
主人公のルフィは、60巻くらいにして、はじめて本当の挫折を味わうトコで、ようやく感情移入できたかもなー・・。
とにかく、喜怒哀楽の「哀」を見事に感じさせないキャラで、その点は「DRAGON BALL」の悟空以上。(カテゴリー/マンガ・アニメ:「ドラゴンボール」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/1bd25a28d961d18dde9dd78e26bbfd25)
作者のポリシーでもあるそうだが、ルフィは考えるより先に動き、口に出して言うキャラとして描いてるそうなので、吹き出し以外でルフィの考えなどがマンガで表現されるコトはないそう。
そーゆーイミではゾロが好きかな?
作品中、初っ端に、あれだけでかいカベにぶつかるキャラも稀では・・?
年齢的にもシャンクスやレイリーといった、シブいおっさんキャラに感情移入しやすい。
マルコもいーな・・。
いずれも皆、”海賊狩り”、”赤髪”、”冥王”、”不死鳥”・・といった異名がある強いキャラ。
男はシブく、強くありたいもんだ・・。
昔の仲間にも会いたくなったな・・。
そういや、昔、「ONE PIECE」に出てくるキャラみたい・・と言われたコトがあったが・・。
それって、すげーアホっぽいキャラ・・てコトか・・?
しかし、62巻で、やっと後半に入った・・て感じだし、あと何年続くんだろう、これ・・?
スプーンのいらないチューブタイプのヨーグルト、明治のグルト。
いろいろ面白いコトが書いてあったが、その中の1つ。
「ママにおねだりしよう。
ねえママ、なんでそんなにキレイなの。」
・・・・。(笑)
オイオイ、子供に妙なコト教えんなよ・・。
明日、DVD第1弾「つながり放浪編」が発売される「アグレッシブですけど、何か?」は、2007年4月28日から放送されている広島HOMEテレビ制作の深夜枠のローカルバラエティ番組。
広島県内では、既にローソンにて先行予約が受け付けられていた。
http://www.home-tv.co.jp/agre/whatagre.html
番組HPによると、番組概要は「日本で最もアグレッシブな街、広島から発信する番組。それが『アグレッシブですけど、何か?』この番組は努力の果ての夢を見るべく 無意味なことや無価値なことにでも果敢に挑み意味や価値を見い出すロマン追求型エンターテインメント番組」とあり、「普通の人が出来ないことをやってのける。そこにしびれる!!憧れる!!」がコンセプト。
このコンセプトには番組MCを務める広島市安佐北区可部出身のローカルタレント、中島尚樹が大ファンであるという「ジョジョの奇妙な冒険」の影響が色濃くうかがえる。
(カテゴリー/マンガ・アニメ:「ジョジョの奇妙な冒険」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/bdd844dcc67bf575dbb3d13bcea7d01a)
だったら、個人的には尾田栄一郎より荒木飛呂彦に会いに行って欲しいと思うのだが・・。
ロケはともかく、スタジオ収録の画などはローカル番組ならではの低予算感丸出しで、安いCG合成も泣けてくるものがあるが、ゲストとのトークがわやになった時の「立て直します」など、「アグレ~」ならではの”味”を醸し出していて、なかなかGood!
全国的な知名度は皆無に等しいかと思われるこの番組、実は結構、視聴率もいいらしく、現在、全国13局14県で放送中!
ノーギャラで、いかに知名度のある大物タレントをゲスト出演させるかというアポ取り選手権や番組制作費一点賭けツアー、世の中のあらゆる限界値を体を張って検証する限界キッド・・など、なかなかアグレッシブな企画を、まったくアグレッシブさのない中島が果敢に挑む姿が微笑ましい。
ローカルMCサミットとか、なかなか個人的には面白い企画だと思う。
中でも、来るべき地球の危機に備えるため、脅威の能力を身につけた”本物”のヒーローを探しにいく世界救済企画、リアル・ヒーローズの旅はオススメ!
”自称”超能力者の奇天烈な言動と、その対応に苦慮する中島が見もので、能力が認められると番組認定シールと、JOJOに出てくるスタンド風の能力名が与えられる・・というもの。
(カテゴリー/マンガ・アニメ:「スティール・ボール・ラン」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/235b80020b267745ae0828ba4eba23a8)
ローカル番組「水曜どうでしょう?」の人気で全国区に進出した大泉洋の2匹目のドジョウを狙えるか・・?
まあ、でも、ゲームプログラマーという意外な肩書きも持つ中島には、そういったタレント的な野心がまったくうかがえず、そこがまた好感もてるのだが・・。
そんなに毎回チェックして見てるワケではないが、DVDは1度見てみたいなぁ・・。
最近、雨がよく降る。
広島に来て10年になるが、毎年、6月よりも5月中に雨が降るコトが多いように感じる。
それと今年は、例年より少し涼しいようだ。
毎年、G.Wには、夏を思わせるほど暑くなるのだが、今年はそこまで暑くない。
日中は確かに気温は上がるが、朝晩はやけに冷え込んだりして、調節が難しい。
だいぶましになったが、ちょっとそれで体調を崩したりもした・・。
・・とかやってる間に、ウチのあじさいも、だいぶ蕾も蕾らしくなって来た。
もうすぐあじさいの季節・・。
いやー、しかし、時のたつのは早いねぇ・・。
宝亀9(778)年12月、備後(広島県)の葦田郡大山の里に住む男が、正月の品物の買い物に深津の市へ向かう途中、日が暮れたため、葦田の竹が生えている野原で一夜を明かすコトになったが、「目が痛い」という呻き声が聞こえ、朝になると目のトコロを突き抜けて筍が生えているどくろが見つかった。
その筍を取り除いて乾し飯を備えてやると、恩返しを受けた・・という話が、奈良時代に書かれた『日本霊異記』にあるそう。
戦死者や野垂れ死にした者など、埋葬されなかった死者達の骸骨や怨念が集まって巨大な骸骨の姿になって、夜中にガチガチという音をたててさまよい歩き、生きている人を見つけると襲いかかり、握りつぶして食べる・・と言われるがしゃどくろ。
しかし、実際は1970年代前後に刊行された通俗的な妖怪事典の類の著者によって創作された比較的新しい妖怪だそうで、妖怪研究家の村上健司や京極夏彦によれば、1968年刊行の『世界怪奇スリラー全集2 世界のモンスター』(秋田書店)での斎藤守弘による記述が初出とされる。
『日本霊異記』の話も、仏教的な因果応報を説くもので、がしゃどくろとの直接的な関係はないとか・・。
後に水木しげるが『妖怪事典』や『日本妖怪大全』で取り上げ、広く知られるようになったそうだ。
この水木による巨大などくろの妖怪の画に、見覚えがある人も多かろう。
1972年に刊行された『いちばんくわしい日本妖怪図鑑』(立風書房・ジャガーバックス)のがしゃどくろの姿は、浮世絵師の歌川国芳作の「相馬の古内裏」が挿絵として使用されており、水木が描いたがしゃどくろの姿も、これが基になっている。
この国芳の「相馬の古内裏」は、江戸時代後半に読本作家の山東京伝によって書かれた『善知烏安方忠義伝』(うとうやすかたちゅうぎでん)を題材にしており、あらすじは以下の通り。
承平天慶の乱(935~941年)で朝廷に反抗し、”新皇”を称した平将門が討ち取られた後、その娘の滝夜叉姫は、父の遺志を実現するため兵を集め、妖術を用いて妖怪どもを操る。
大宅太郎光国(おおやたろうみつくに)という勇士がこれを討伐しようとして、滝夜叉姫の繰り出す妖術に苦しめられながらも、ついに勝利する・・。
この物語の中の、滝夜叉姫が呼び出した骸骨の妖怪が、大宅太郎光国に襲いかかる場面が「相馬の古内裏」で、原作では等身大のたくさんの骸骨が現われるトコロを、国芳は1体の巨大な骸骨として描いている。
ヨーロッパの医学書の骨格図に基づいた非常にリアルな骸骨は、それまでの浮世絵にはない迫力があり、国芳の傑作の一つであると同時に、現代における、がしゃどくろのイメージを方向づけた絵であると言えよう。
こうして見ると、がしゃどくろとは、直接関係のない絵やストーリーが、1つのイメージとして結実して生み出された妖怪であるコトがわかる。
人間の想像力・創造力は大したもんやね・・。
両忘
「りょうぼう」と読む。
是と非、善と悪、生と死、苦と楽・・など、相対的な対立を忘れ去り、二元的な考えから脱するコト。
現実には我々は、日々、あれかこれか自問自答して、二者択一しながら生きているが、中国宋代の儒者、程明道の言葉に、
「内外両忘するに惹かず。両忘すれば則ち澄然無事なり」
・・とあり、両者の相対的対立を断ち切ったトコロに、おのずから明鏡止水の清々しい絶対の境地が開けてくるコトを教えている。
しかし、それには「内外両忘」とあるように、“自己を忘れる”コトが不可欠。
どっちがいい悪いではない。
自分にこだわるコトで、また苦しみも生じる・・。
こだわらず、偏らず、中庸の道を行くには、自己も他者もない境地、彼我を離れ、
「白か黒か」にこだわらず、両方忘れてみろ・・それもまた、禅の悟りのひとつなのだろう。
最近、広島市内にお目見えしたレンタル・サイクル。
その名も「のりんさいくる」!
・・やはり、広島弁で来たか・・。
駅周辺など、市内の何箇所かにサイクル・ポートが設置されている。
PASPYなどのICカードや、Felica搭載の携帯電話を認証用ICカードとして設定し、使用するようだ。
500円で別途、専用IC会員証の発行もしてくれるそう。
基本料金+利用料金というシステムで、基本料金はマンスリーパスが1500円、スリーデイパスが500円。
利用料金は30分無料で、以降30分ごとに200円・・とゆー感じらしい。
サイクルポートからサイクルポートまでは30分で行ける距離ではあるので、移動してはポートに返し・・という感じで使えば、基本料金だけで使用できるか・・?
しかし、残念ながら、そうしたICカードやオサイフ携帯みたいなものを使ってる人以外は利用しにくいのでは?・・と思った。
去年、お試しで無料レンタル・サイクルを期間限定でやってたのが、こうした形で実を結んだワケだが、この「のりんさいくる」も、何年間という期間限定の試みのようだ。
広島市内は、自転車で回るには、ちょうどいいくらいの大きさなので、現金でもOKにするとか、観光客が、もっと手軽に借りれるように改良されるコトを願う。
昔、自分がまだ学生だった頃なので、今から20年くらい前になると思うが、フジTVの深夜枠で「哲学の傲慢」なる番組があった。
今となっては、どんな内容などをやっていたか、ほぼ忘れてしまったが、哲学を分かりやすく、興味深く取り扱っていた、なかなかよい番組だったと思う。
同時期にやってたCXの深夜枠の番組には「カノッサの屈辱」や「アインシュタイン」などがあり、なかなかの傑作ぞろいだったが、当時、実験的に作られた番組だったろうし、20年前という古さもあってか、残念ながら、それらのタイトルはDVDなどにはなっていないという。
中でも赤塚不二夫の「天才バカボン」で、バカボンのパパが、ものの名前を勝手に変えてしまって(たとえば「イヌ」→「タコ」、「タコ」→「ネコ」、「ネコ」→「イヌ」・・みたいな感じ)大騒動になる・・とゆーエピソードを取り上げていた回が印象に残っている。
「犬」という”名前”をつけるコトによって、人はワンワン咆える四足の動物を「イヌ」と認識する。
しかし、英語圏では、同じものが「dog」と呼ばれ、「イヌ」では通じない。
まあ、「認識」が先か、「対象」が先か?・・とゆー問題はひとまず置くが、そうやって、勝手に人が名前をつけて、勝手に呼んでるだけなんですよ・・とゆーコトを逆手にとってギャグにした「記号論」だ「認識論」だといった哲学的な内容のマンガなんだ・・なんて、「天才バカボン」のコトを紹介していたワケだ。(たしか・・)
最近、本を読んでて、「自己言及」とゆーものに出くわした。
「クレタ人は嘘つきだ、とクレタ人が言った」とゆーのが好例で、要は、自己を含めて言及しようとすると生ずるパラドックスのコトである。
自分の尾を飲み込む竜・ウロボロスは、この自己言及の象徴だそうだ。
まあ、「自分の長所は謙虚なトコロです」・・と、自ら言ってしまうようなもんだろーか・・?
イエスが「私が救世主です」と言えなかったのは、非常なジレンマだったに違いない。
宇宙に住む、宇宙の一部でもある我々が、宇宙のコトを語るのは、まさしく自己言及に他ならない。
そもそも、「自己」と「他者」の違いとは何なのか・・?
―なんて、若い頃は、哲学的な考え方にハマったりもしたが、おそらく、それは若さや、純粋さゆえの、誰しもが通過する、一過的なものだったのかもしれない。
しかし、自分はもともと、あんまり、こねくり回して考えたりしすぎると、面倒くささが勝ってしまって、「ま、いっか・・」でリセットされてしまう・・とゆー”お得な”性分のようだ。
でも、それでも、たま~には”哲学な気分”になる時もある。
それは純粋に、素朴に疑問をもつ・・とゆーくらいのコトだけど・・。
ちなみに、分かりもしないコトを、さも分かったかのように語る哲学こそ、傲慢とは言えないだろうか?・・とゆーのが、「哲学の傲慢」のタイトルのイミだった・・。
(たしか、そんなナレーションではじまってた記憶が・・)
それでも、語ろうと努力するコト―その試みこそ、人であるコトの証なのかもしれない・・。
修理に出した後は、結構、順調だった我が家のパソコン。
しかし、最近、電源を入れると、おかしな音がするコトに気付いた。
メトロノームのように「カッ、カッ、カッ、カッ・・」と、妙な音がリズムを刻み出すのだ。
どうやらディスプレイが点いてる時に起こる現象のようで、ディスプレイのスイッチを切ると、音はやむ。
しかし、当然、それでは画面が見えず、パソコンは使えない・・。
音がする以外、何か困ったコトがあるワケではないが、このリズムの間隔が短くなって、激しくなったりするもんだから、うっとうしくてやってられない・・。
-と思ってたら、突然、その音もやんだ・・。
一体、何だったの・・?