Peace Waveの平和な日々~行く雲、流れる水のように~

気が向いたら、ボチボチ更新しようかと・・。(笑)

終身の計は・・

2009年08月31日 | 最近、思うコト

昨日の選挙は自民党の惨敗におわり、民主党政権が誕生した。

自民にとっての厳しい逆風が、そのまま民主の追い風になった格好だ。

 

子ども手当てや高速料金が無料になるといった、財源が明確でないエサにつられた・・というよりは、現状の不況や格差に対する与党への不満が、今回の選挙結果としてあらわれ、たまたまその受け皿になったのが民主党・・という印象だ。

 

「政治」とは、狭義においては国民から集めた税金で「予算」を組み、どのように使うか?・・というコトであろうが、もっと本質的には、国をどーゆー方向に導くか?・・というコトであろう。

それは国民全体の命運を決するものである。

ただ政権交代のために、安易なばらまきに走るとゆーのはいただけない。

 

「一年の計は穀を樹(う)うるに如くはなし。十年の計は木を樹うるに如くはなし。終身の計は人を樹うるに如くはなし。

・・という管子の言葉がある。

目先のコトより、将来のコト、国家百年の計を考えるなら、人材育成、すなわち「教育」をいかにするかというコトが、何より重要であろう。

 

学力の低下が指摘される昨今であるが、いくら頭がよくても、受験の勝ち組で人の痛みのわからないエリート官僚や政治家に、民心に即した政治がはたして出来るのであろうか?

「恕」―思いやりの心をもった人間を育てる人格教育こそ急務であろう。

それには学校教育だけでは不十分で、家庭再建が不可欠である。

 

家庭の再建とは、いささか唐突に思われるかもしれないが、虐待や育児放棄で子どもが亡くなる・・といった痛ましい事件を最近よく耳にする。

そうした親からの暴力で命の危険にさらされ、心に大きな傷を負っている子どもたちが、現実に多く存在するコトはまぎれもない事実である。(カテゴリー/最近思うコト:「じょうたん」て、知ってます?http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/0dd0a3c788e81a07d767c18a8e855e0f

 

この8月は、原爆の日があり、終戦記念日があり、平和な時代に生きるコトのありがたみを特に感じさせられる月であるが、一見平和に見える今の日本で、あるイミ、戦争よりも過酷な環境の中、生命の危機にさらされている子どもたちがいるのだ。

それも、外からの敵ではなく、本来自分を保護してくれるはずの親から、抗う術もないまま、虐待というかたちによってである・・。

家庭の中で行われる分、戦争のように実態が見えにくく、なおタチが悪い。

 

少子化や晩婚化に加え、「できちゃった婚」、「シングルマザー」といった言葉に象徴される結婚観や倫理観の変化・崩壊が、安易な離婚や子連れでの再婚・・というケースの増加につながり、そうした虐待の温床になっている事実は否めない。 

家庭が崩壊し、本来安らげる場所であるべき家庭に平和がない・・という、あるイミ、最も悲惨な状態が蔓延しているのが、今の日本なのかもしれない。

 

「子どものコト考えてるわよ、民主党なら子ども手当て出るでしょ」  

・・という親御さんもいるかもだが、民主党政権で文科大臣になると予想されるのは日教組バリバリの議員。

 

「男女平等」、「男女共同参画」の美名の下、学校に通う子どもをもつ親御さんたちが、ゾっとするよーなコトにならなければいいが・・と願うばかりだ。

 

 


一言だけで一生行っていけるコト

2009年08月29日 | 人生覚書き

     

             

 

「じょ」と読む。

思いやりの心のコト。

出典は『論語』だが、子貢という人が「一言だけで一生行っていけるコトがありますか?」という問いに対して孔子が答えたのが「其恕乎」(それは「恕」だな)。

それに続くのが有名な「己の欲せざる所、人に施すこと勿れ」という言葉である。

 

新渡戸稲造がその著書、『武士道』の中で、この言葉が聖書の「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。」(マタイ7:12)の聖句に通じると紹介している。

 

「心」の「如」くと書いて、思いやりの心を意味する「恕」

 

「自分がして欲しくないコト」、「自分がして欲しいコト」

・・というのは、まさしく、”心の如く”である。

 

しかし、”心の如く”に生きると、思いやるのは自分のコトばっかりになってしまってるのが、この世の中の困ったトコロだよなあ・・。


もみじ饅頭

2009年08月28日 | 広島のオススメ!

お好み焼きと双璧をなす広島の名物といえば、これ!

B&Bのギャグでもおなじみ、

 

もみじ饅頭~っっ!!!(笑)

 

・・あれ?ひょっとしたら、世代的にはもう知らない人の方が多い・・?

 

―とはいえ、もみじ饅頭の知名度はなかなか侮りがたく、朝日新聞が今年1月、自社会員サービス「アスパラクラブ」のホームページで行ったアンケート調査、「日本一のまんじゅうは?」全国1位となったそうだ。

 

広島県の県木であるもみじの葉をかたどったカステラ状の生地で餡を包み、焼き上げたもの。

 

一言で言うと”もみじ型の人形焼き”である。

 

基本はこし餡であるが、後につぶ餡、さらにしろ餡や栗餡、抹茶餡、チョコやカスタード、チーズといったバリエーションが出来た。

 

いろいろ説はあるそうだが、明治時代、初代総理大臣伊藤博文が宮島を訪れた際、紅葉谷の茶屋でお茶を出した娘の手を見て

「この可愛い手を焼いて食べたらおいしかろう

・・と言ったという、女好きで有名な伊藤博文ならではの(セクハラまがいの)冗談をヒントに考案されたというエピソードが流布しており、広島県内にある多くのもみじ饅頭屋でも、この話が紹介されている。

 

ちなみに、古くから安芸の宮島にある紅葉谷弥山は、紅葉の名所である。

 

”広島の定番土産”といった位置づけで、当然ながら、広島県人が皆、家にもみじ饅頭を常備し、常に食べているとゆーワケではない。

写真は有名なにしき堂のもみじ饅頭であるが、たまにもらっても、こーゆー個包装のものなので、すぐに「パクっ・・と一口で食べてしまうのだが、この度は、「あ、ブログのネタにしよう」・・と思いとどまり、持ち帰って写真に撮ったもの。

 

今にして思えば、皿にのっけて撮ってあげたらよかったなあ・・。

 


夏のおわり

2009年08月27日 | 最近、思うコト

お盆をすぎたあたりから、急に朝晩涼しくなった。

朝なんかは風が肌寒く感じるほどだ。

 

甲子園も球史に残るといわれる熱い戦いだった決勝戦もおわり、この時期、宿題の山を前に慌てる子どもたちも多いのではないだろうか・・?

自分は結構、夏休みおわりに慌てるクチだった・・。

 

今年は梅雨明けが例年より2週間ほどおそく、あけたと思ったらもう台風・・とか言ってたので、さすがに日中はまだまだ暑いのだが、異様に夏が短かった・・というイメージだ。

 

・・とはいえ、まだまだ残暑は続きそうだが・・。

 

最近は温暖化の影響か、毎年30度を越す猛暑が続き、35度、36度・・なんて日も珍しくなかった。

今年はまだ30度くらいで涼しいね・・てなもんだ。

 

川辺には鳥が涼しげにたたずんでいる。

 

結構、広島の川ではこうした鳥をよく見かける。

生態系がまだ健全な証拠か・・。

 

いつになったら終わるんだろう・・と、夏休みを無限と思えるほど長く感じていた頃が懐かしい・・。

年々、加速度的に時のたつのは早くなる。

季節の変化に敏感になったのも、年のせいもあるのかなあ・・?

 

しかし、そんな時の流れさえも、楽しめる自分でありたいなあ・・。


広島風お好み焼き

2009年08月26日 | 広島のオススメ!

いつもお歳暮をもらう青森の友人に、何かお返ししなければと思いつつ、ついついバタバタとこんな時期になってしまう・・。

さすが青森だけに、おいしいリンゴを送ってくれるのだが、こちらも何か広島らしいものを・・と選んだのがこれ!

「オタフクお好み焼材料セット」!!

 

「プロ御用達」の文字がまぶしい。(笑)

今はこんなもんまであるんだね~・・。

 

なので、今日はおいしい広島風お好み焼きの作り方を紹介!

 

生地は小麦粉(薄力粉)100gに対して水200cc

玉子を入れ、粉の玉がなくなるまで混ぜるが、必要以上に混ぜると粘りがなくなる。

粘りを出すためにすった山芋を入れたり、山芋100%で生地を作るトコもあるようだ。

生地を冷蔵庫で数時間ねかせると薄くのばせる。

 

160~170℃に熱した鉄板の上に薄く油をひき、お玉一杯分の生地を中心から外に向かって円を描くようにのばす。

生地が固まるまで少し待つ。

 

生地が固まったら220℃まで鉄板の温度を上げ、生地の上に削り節(魚の粉)をふりかけ、キャベツもやしイカ天(天カス)青ねぎ等の具をのせ、それらにフタをするように豚肉をのせ、2~3分待つ。

生地の端が反り返ってくるまでさわらない。

 

お玉半分ほどの生地を、豚肉の上からまんべんなくかける。

 

ヘラで静かに持ち上げ、一気にひっくり返す!

 

はみ出した具は生地の中におしこむ。

ひっくり返した生地は、キャベツの甘みを引き出すため、そのまま約8分ほど蒸し焼きにする。

その後、生地の上からヘラで押さえ、具の水分を飛ばす。

 

蒸し焼きにしている間、そばをゆでてほぐす。

ゆでずにそのまま鉄板の上でほぐすトコもある。

麺が硬めが好きか、柔らかめが好きかでお好みで。

 

170℃に温度を下げ、そばの上にお好み焼きをのせる。

 

玉子をわってお好み焼きの大きさに広げる。

黄身をつぶさないトコもあるようだが、これもお好みで。

 

玉子が固まらないうちにお好み焼きをのせる。

 

玉子が上にくるようにひっくり返す!

これもお好みだが、玉子が半熟くらいがよいなら、170℃で20~30秒くらい。

 

最後にお好みソースをかけて、青のりをかけて出来上がり!

お好みでねぎ、かつお節、マヨネーズなど好きなものをトッピング。

 

家庭で作るなら、ホットプレートになるだろう。

フライパンでも出来なくはないが2つ、さらに麺をゆでるならナベも必要で、これはなかなか至難のワザでは・・?

 

ちなみにホットプレートがない我が家では、家で作ったコトはない・・。

 

参考までにこちらの動画も。

http://www.youtube.com/watch?v=alK-e-fEIOY

 

こっしー、いつもありがとねー。


苺の話

2009年08月23日 | 人生覚書き

<昔、ある所に、朝から晩まで一生懸命に働く農夫がいた。

ある日、仕事の疲れから、うたた寝をしてしまい、すっかり日が暮れてしまう。

 

その夜、1人家路に向かう途中のコト。

突然現れた1匹の虎に襲われ、その農夫は崖に追い詰められた。

迫る虎から逃れるために、男は思い切って崖を飛び降りた。

 

すると、崖から1本の蔓(つる)が出ており、幸運にも男は蔓をつかんで、難を逃れるコトが出来た。

助かった・・と思ったのも束の間、崖の下にはもう1匹の虎が・・。

 

蔓をつたって、上に逃げても下に逃げても虎に喰われてしまう。

しかも、さらに悪いコトに、その唯一の命綱である蔓を、1匹の黒いネズミと1匹の白いネズミがかじっているではないか!

 

まさに絶対絶命のピンチ!

 

―そんな時、ふと顔をあげた男の丁度目の前の岩肌に、甘くておいしそうな苺がなっているのが目にとまった。

男はその苺をとって口に入れた。

すると、その苺のおいしいコトといったら・・。

 

・・この寓話は、ここで終わっている。

古の禅宗の伝統からきたものだそう。

 

あまりにも唐突な結末に思えるが、実はこの物語、いわば人間のおかれた状況すべてのコトを言っているという。

 

蔓につかまっている状態は、他ならぬ”自分”のおかれている状況。

黒と白のネズミは、それぞれ”夜”と”昼”を象徴し、迫り来る時間が、避けるコトの出来ない”死”(虎)へと駆り立てる・・。

しかし、そんな中にあっても、「いま」「ここ」に注意を払い、関心をもつコトで、人生の豊かさを象徴する「甘くておいしい苺」を味わう”瞬間”をもつコトが出来る・・というコトを教えてくれている話なのだ。

 

さて、これはまた別のエピソードであるが、親の教えに反発し、親元を離れて仏門に入り、修行をしていた少年は、この苺の話を聞き、1つの”悟り”を得たと、嬉々として父にその話をする。

すると、話を聞きおえた父はこう言った。

「そんなにおいしい苺なら、そのネズミと虎にもやらないとね」

その時、少年は自分の父に、禅の高僧よりも尊い悟りの世界があるコトを知った。

 

―「時間」や「死」というものは、人の力ではどーするコトも出来ないものだ。

そうしたものや、「自然」を征服すべき「敵」とみなし、管理し、コントロールし、屈服させ、支配しようとしてきたのが西洋文明ともいえよう。

 

しかし、もし、そうした「敵」さえも愛し、共に生きるコトが出来たなら、人生はたくさんの苺に満ちた、より豊かなものになるであろうコトは間違いない。

 

「汝の敵を愛せよ」 

 

・・これは言うほど簡単なコトではないが、なんにしろ、「アンチ・~」は健全なベクトルとはいえない。

どうせなら、その力をプラスの方向へ使いたいものだ。

 

 


入籍おめでとう!

2009年08月22日 | 最近、思うコト

先日、高校の友人が入籍したと聞いた。

今年に入って2人目だ!

 

最近、テレビをつければ麻薬がどーとか、誰かが死んだ・・といった暗いニュースばかりで、何ともいえない思いにさせられるのだが、こーゆーおめでたいニュースはうれしい限りだ。

 

これで、高校時代の柔道部の同期で結婚未経験者(・・という微妙な表現になってしまうが・・)は、9人中4人に!

40を目前に、ようやく過半数をこえた格好だ。

 

なんにしても、おめでとー!

「ふるえるぜ!ハートっっ!!燃え尽きるまでヒィィトオオオっっ!!!!」(笑)

(またジョジョネタで盛り上がりたいのう・・

 

名前を出すのははばかれるが、とてもいーヤツなので、きっと素晴らしい家庭を築いてくれると信じている。

 

ね、タナカ・・。(笑)

 

今年になって、我が同期に突如訪れた結婚ラッシュの波に、残りのメンバーも、ぜひ乗りおくれないよー願うばかりだ。

 

『また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。・・」(中略)それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。』(創世記2:18~24)

 

ほらほら~、聖書にも書いてるで~・・。(笑)

俺らミッション系の高校だったから、「聖書」の授業も単位あったもんな~・・。

かなり懐かしい話ですが・・。

でわでわ・・

 

God bless you!

 

 

 


浦島太郎と塩土老翁

2009年08月19日 | 歴史・民俗

「浦島太郎」といえば、日本人なら知らぬ者はない有名な昔話。

今さらそのストーリーを紹介するまでもないだろう。

丹後半島に伝わる伝説がベースとなっているようだが、神奈川や長野、鹿児島、沖縄などの日本各地に話が伝わっており、全国40カ所ぐらいに伝説が残っているという。

 

現在伝わる話の型が定まったのは、室町時代に成立した『御伽草子』によるものだそうだ。

”亀の恩返し”というモチーフを取るようになったのも『御伽草子』以降のことで、「乙姫」、「竜宮城」、「玉手箱」が登場するのもこの頃であったという。

そもそも「浦島太郎」という名前自体、中世から登場し、それ以前は「水江浦嶼(嶋)子」(みずのえのうらしまこ)を略して「浦島子」と呼ばれている。

 

その浦島子の物語は、現存する文献上最古のもので、『日本書紀』「雄略廿二二十二)年条」に存在し、船で釣りあげた亀が乙女となり、ともに蓬莱山へ行った・・という発端部分のみが記され、最後は「語在別卷」と締め括られている。

「この後の話は別巻で・・」というコトだが、「別巻」とは『風土記』を指すともいわれている。

その『丹後国風土記』逸文に、「筒川嶼子 水江浦嶼子」という項目の浦島子の記述があり、『万葉集』巻九にも高橋虫麻呂作の長歌(歌番号1740)に「詠水江浦嶋子一首」として、浦島太郎の原型というべき内容が詠われている。

 

ちなみに、「記紀」には浦島太郎と似た話で、海幸・山幸神話がある。

天皇の祖神、彦火火出見尊(山幸彦=猟師)が、兄の火照彦(海幸彦=漁師)の釣り竿と弓矢をとりかえて、魚を釣りに出たが、釣針を失い、探し求めるために塩椎神(しおつちのかみ)=塩土老翁(しおつつのおじ)という神に、無目籠(まなしかたま)というカゴに乗せられ、海神の宮(わだつみのみや)に導かれ、海神の娘、豊玉姫と結婚して3年間暮らし、釣針と潮盈珠(しおみちのたま)・潮乾珠(しおひのたま)を得て生まれ故郷に戻り、兄を屈服させる・・というのが、その大筋の話である。

 

この話、ちょっと聖書のエサウヤコブの兄弟の話にも似ている・・。

父・イサクの祝福を騙して奪ったヤコブは、ハランの地で妻子と財物を得て生まれ故郷に戻り、兄・エサウを屈服、「イスラエル」の名を賜り、イスラエル選民の祖となる。

なぜ、祝福を騙して奪うような人物が選民の祖となりえたのか?・・というのもナゾだが、閑話休題・・。

 

また、山幸彦の孫の初代・神武天皇がヤマトに向かう、いわゆる「神武東征」の際、に乗り、釣竿を持った男が水先案内人になる・・という話もある。

この男がヤマト建国の第一の功労者として、倭宿禰(やまとのすくね)の称号を賜ったという。

倭宿禰は尾張の国とつながりの深い海部氏の祖だという。 

しかし、この亀に乗った男、どっからどー見ても浦島太郎である・・。 

 

要するに、この浦島太郎のモデルとなったとされる人物こそ、塩土老翁なのである。

 

先に出た『万葉集』に「墨吉」(すみのえ)との記述があり、これは現在の大阪住吉のコト。

ここに住吉大社が祀られており、住吉神の三柱の祭神、表筒男命(うわつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、底筒男命(そこつつのおのみこと)は、一柱では「塩土老翁」の別名で呼ばれる・・というコトは以前にもふれた。(カテゴリー/広島のオススメ!:「住吉祭」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/74e8f95f18d8acc73093152d2decec40 

住吉神も塩土老翁も航海・先導の神であり、塩土老翁の「つつ」は住吉神の「筒男」(つつのお)の「つつ」に通じ、さらに浦島太郎も『風土記』に「筒川」の出身とあり、筒川の男=「筒男」となる。

言うまでもなく、三者とも海と深い関わりがある。 

 

塩土老翁は大変長命であったとされ、そのモデルとされる武内宿禰(たけのうちのすくね)も大変に長生きで、老人になった浦島太郎のイメージとも重なる。

武内宿禰は古代豪族、蘇我氏の祖とされ、15代・応神天皇の母、神功皇后の忠臣で、応神天皇の東征を導いたともされる。

 

よって、浦島太郎=塩土老翁=住吉神=武内宿禰・・? 

 

・・というのが、このブログでもちょいちょい紹介している歴史作家、関裕二の説である。

ややこしいコトこの上ない・・。

 

しかし、このややこしさにはワケがある。

神武東征にも関わったと思しき記述が「記紀」にある塩土老翁は、ヤマト建国に大きな功績を残しているはずであるが、出自不明のナゾの人物で、巧みにその正体が隠されている。

それでいて、『風土記』や『万葉集』など、古文書のことごとくが浦島に饒舌なトコロを見れば、たとえその話が物語的でも、単なる架空の人物ではなく、確実に何らかの実在性を示唆している。

 

もともと「記紀」は、藤原不比等が天皇を利用し、藤原一族がその権力の正当性の拠り所とするために編纂したもので、敵対する勢力の功績は極力排除したい・・という思惑がある。

しかし、無視できないほどの影響力があり、記述せざるえない場合、さまざまな別名で記すコトで、その功績を無きものにしようとするのは、記紀神話の隠蔽工作における常套手段であるという。

 

そして、この浦島太郎は塩土老翁であり、蘇我氏の祖である武内宿禰でもあるというが、蘇我氏といえば、「大化の改新」中大兄皇子中臣鎌足に滅ぼされた極悪人・・というイメージなのだが、事実はそうではないらしい。

ちなみにこの中臣鎌足の息子こそが、藤原不比等なのである・・。

 

古代史、特に邪馬台国からヤマト建国に至る経緯と天皇制成立の過程は陰謀とナゾだらけで、「記紀」編纂によって神話の中に封じ込めようとされた蘇我氏のような勢力や人物が確実に存在した。

その辺りのナゾを、非常に興味深い説で解き明かした著書を多く出しているのが関裕二なのである。

 

また機会があれば、その辺の話も紹介したい・・。