Peace Waveの平和な日々~行く雲、流れる水のように~

気が向いたら、ボチボチ更新しようかと・・。(笑)

泥の中

2010年08月10日 | 人生覚書き

   

            凡夫 煩悩の泥(でい)のうちにありて
          仏(ぶつ)の正覚(しょうがく)の華を生ず

                                     『入出二門偈』『入出二門偈頌文』より
 
 
 
先日見かけた、近所のお寺の前にある掲示板に書かれていたお言葉。
現状に100%満足している!・・とゆ-人は、なかなかいないだろう。
 
「もっとこうだったらいいのに・・
 
「ああだったらいいいのに・・
 
・・と、職場や家庭の生活環境、人間関係に対して、誰しもそう考えてしまいがち。
 
 
夢や目標をもち、ポジティブに、建設的にそこに向かっていけるならともかく、「職場を変えられたら・・」「もっといいトコロに住めたら・・」と、「ここにいるコト」が問題なんだと、現実から逃避するコトばかり考えていては、日々の生活が不平不満だらけになってしまう。
 
 
しかし、もし「自分の住む世界はここしかない!」と考えたら、どうであろう?
 
 
―というより、それが事実であり、まぎれもない現実なのだ。
 
 
 
その事実がわかると、そこに不満や面白くない気持ちがあっても、「ここで頑張ろう」と思ったり、「何かいいコトもあるはず・・」と、心情転換しながら、満足感やよろこびの生活に変えるコトが出来るようになる。
 
以前にも紹介した、フレーム・シフティングである。
(カテゴリー/人生覚書き:「フレーム・シフティング」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/d086311286f5f2c25da51f77d21e3b08
 
 
「自分の生きる場所はここだ」という思いでいれば、満足感につながる生き方になる―このコトを、親鸞「凡夫 煩悩の泥のうちにありて 仏の正覚の華を生ず」という言葉で表現した。
 
この汚い泥のような煩悩に満ちた世界が、自分の生きる世界であり、ここで自分を見つめ、生き切るコトが、泥の中に咲く美しいハスの花のように、仏の悟りにつながる花を咲かせるのだ・・と説いているのだという。
 
 
この世の中は、理不尽で、不条理なコトばかり・・。
 
しかし、それを甘受した時にこそ、人としての本当のこころの成長があるのかもしれない・・。
 
 
逃げ場はない。
 
どんなに逃げても、自分からは逃げられない。
 
 
禅の悟りである、「いま」「ここ」「自分」・・は、究極のフレーム・シフティングと言えよう。
 
 
 
今、話題のNHKの朝の連続ドラマ、「ゲゲゲの女房」で、貧困にあえぐ中、必死で自分の信じるマンガに打ち込む向井理演じる水木しげるがもらした、
 
「自分のコトをかわいそうがるのは、つまらんコトですよ・・」
 
・・という言葉が、とても強く、自分の心に残っている。