先日、TVでトライアスロンを完走した父子の話をやっていた。
1989年にはじめて完走した時、父、ディック・ホイトは49歳。
息子のリック・ホイトは27歳。
リックは全身麻痺で首から下は動かせない。
トライアスロンといえば水泳3.8km、自転車180km、そして42.195kmのフルマラソンと3種目ある鉄人レース。
普通に完走するだけでもすごいコトだ。
それを当時49歳のディックがリックをボートに乗せ、自転車に乗せ、車イスに乗せて完走するのだ!
水泳ではロープのついたベストを着て、ボートに乗せたリックを引っ張って泳ぐ。
総重量は70kgになり、当然、波風にも流されやすい。
自転車では自分が改造してハンドル部分に息子が座れるようにしたバイクをこぐ。
バイクと2人分の体重をあわせた総重量は130kg。
しかも180kmといえば、東京~静岡間に相当する距離!
そして、”その後に”車イスを押して、フルマラソンを完走するのだ。
リックが乗った車イスは総重量65kgにもなる。
14時間26分4秒
―それは、単なる完走したタイムという以上の、重みのある時間だ。
きっかけは、中学にあがったリックが持ち帰ったチャリティー・マラソンのパンフレットだった。
しゃべれないリックであったが、首を動かすだけで入力できる障害者用のコンピューターで意思疎通が可能で、14歳で一般の中学校に入学できるほどの学力をもっていた。
「I want to run for him.However,is it impossible?」(ボクも彼のために走りたい。でも無理だよね?)
ディスプレイに映し出された文字を見た父、ディックは、全身麻痺の息子が、人のためにマラソンを走りたい!・・という気持ちを無にしたくないと、車イスを押してマラソンに参加するコトを決意!
車イスだけで15kg、そこにリックを乗せると重さは60kgにもなる。
当時37歳のディックは、それを押して、へとへとになりながら、8kmのマラソンコースを完走した。
体力は既に限界であったが、途中であきらめる姿を息子に見せたくない・・という思いが、その気力だけが、彼の足をゴールまで運ばせた。
完走した父に息子はこう言った。
「Thank you dad.When I am running,it feel like I'm not handicapped.」(父さん、ありがとう。走っていた時、障害者だということを忘れていたよ)
ディックは、自分に出来るのは、息子に障害者だというコトをもっと忘れさせてやるコトだと、フルマラソンの完走を目標に掲げ、それから7年間、走りこみ、体を鍛え、44歳でボストンマラソンを車イスを押して完走。
1位とわずか43分しか違わない、2時間53分20秒という好タイムだった。
やれば出来る!というコトを父は自らの体をもって示した。
一躍有名になったホイト親子にある日、トライアスロンに出てみないかとのオファーがあった。
しかし、父親だけの出場というコトで、ディックは辞退。
もともと息子のためにはじめたマラソンなので、自分1人だけではイミがないと考えたからであったが、同時に自分のためにトライアスロンに出れなかった・・と息子に思わせないために、ディックは2人でトライアスロンに出るコトをこの時に決意。
苦手な水泳も1から練習し、ついに親子でのトライアスロン完走を成し遂げたのだ。
自分が学生の頃、普通に接していた友人から、自分は障害者なんだと告げられたコトがあった。
何級とかいう、障害者手帳も持ってるという。
自分にしたら、「へえー・・」という感じで、何が違うのかな?とゆーくらい、その障害が何なのかもわからなかった。
「照街者」―という言葉があるそうだ。
街を照らす者。
障害者がどう扱われているかで、そこがよい街か悪い街かが分かる。
しかし、実際に障害をもった人からすれば、そんなリトマス試験紙みたいな扱いはイヤだと思うかもしれない。
昔、ブラック・ミュージックをリスペクトしているある日本のミュージシャンが、音楽の勉強のために渡米した際、黒人の”被差別意識”にずい分悩まされた・・というのを聞いたコトがある。
結局、「障害者」、「健常者」という線引きをするのは、言葉以上に、”人のこころ”なのだなあ・・と思わされる。
ちなみにリックは、名門ボストン大学で9年間学び、優秀な成績で卒業。
全身麻痺という障害をもったまま、学位を取得・・という世界初の快挙を成し遂げた!
ある年の父の日に、リックはこんな手紙を書いている。
「ボクが今、1番やりたい事は、父さんを車イスに乗せて押してあげること。不可能なんてない。やれば出来る!」
リックは現在、48歳。
大学のコンピューター研究室で、障害者用補助機具の開発に携わっているそうだ。
そして69歳になった父、ディックは、現在もリックとともに、フルマラソンやトライアスロンに参加し続けているという。