Peace Waveの平和な日々~行く雲、流れる水のように~

気が向いたら、ボチボチ更新しようかと・・。(笑)

大晦日2017

2017年12月31日 | 最近、思うコト

今年は懐かしい面々と再会できた年でした。

(SNS上も含め…。


皆がそれぞれに、それぞれの地で元気に活躍されてるのを知ってうれしく、自分自身、刺激も受けました。


また、それほど年が違わない人が亡くなったり…とゆーコトが、この年になってくると多くなってきます。


それでも、まだまだ途上で、未熟な自分を感じさせられる日々です…。


来年は、さらにより良い年にしていけるよーに、しっかりと現実を見つめて、地に足をつけて、一歩一歩、前進していける年にしていきたいと思います。


皆さんも、よいお年を



 

 



 


究極のポジティブ・シンキング

2017年11月29日 | 人生覚書き

自分が望んでいるものが何であるかを発見して、徐々にこれらのものを数多く発見した

 

望んでいるもののいくつかを、本質的に獲得不可能なものとして上手に捨ててしまった

 

自分の欠点に無関心になることを学んだ

 だんだん事物の注意を外界の事物に集中するようになった


                    バートランド・ラッセル『幸福論』


ラッセルは、幸福になるためには、まず、不幸の原因を分析しなければならないと説き、不幸の最大の原因を自己没頭と考え、次の3つのタイプに分類して説明している。


罪の意識に取りつかれた状態 … 小さい頃に植え付けられた道徳から大人になっても開放されない状態

ナルシシズム … 自分を賛美し、人からも賛美されたいと願う状態

誇大妄想狂 … 何よりも権力を求め、愛されるよりも恐れられるコトを望む状態


…こうした”欲”自体は誰にでもあるものだが、何でも度が過ぎると不幸の原因になってしまう。

自己没頭ー自分自身にとらわれてるばかりでは幸福にはなれない。

幸福になるためには、外に目を向けよう…と、ラッセルは説いている。


幸福になるためには、自分の考えにひきこもるのではなく、外に目を向けていくしかないのである。



ひまわりの約束

2017年11月22日 | アート

 


江田島海軍兵学校

2017年11月01日 | 広島のオススメ!

広島の実家に来ていた先輩と20年ぶりくらいに再会、自分も珍しく1日休みだったので、一緒にかねてから行ってみたいと思っていた江田島海軍兵学校へ。


広島に来て15年になるが、行くのは今回がはじめて・・。


呉港からフェリーで20分ほど。

自宅のある宇品からもフェリーが出いていて、どーいったルートで行くのがいいか、いろいろ迷った末、車で呉まで行ってフェリーで江田島へ・・というルートをチョイス

 

呉港を出た左手に、昔、戦艦「大和」のドッグがあったと後で知る・・。

 

江田島の港、小用からバスで10分弱で海軍兵学校(第1術科学校)に。

たしか、海軍兵学校前?・・というバス停であったが、実際は目の前ではなく、バスを降りてから少し歩く。

 

帰りは小用港まで徒歩で帰ったが、歩いても20~30分ほどで行ける距離だ。

 

 

現在も海上自衛隊の施設として使われていて、見学は案内係の人が説明しながら回ってくれるため、1日に3回、1時間半ほどの巡回コースがある。

午前中、10時半からの回で回る予定であったが、間に合わず、午後1時からの回に・・。

http://www.mod.go.jp/msdf/onemss/kengaku/


しかし、1時からのスタートにしては、かなり早めに着いた分、自由に見て回れる時間もあり、余裕をもって見るなら午後一の回がオススメと思った。


(ホントはあちこち勝手に行っちゃダメですが・・。


 

一応、案内板もあるが、案内の人に説明してもらわないと何が何やら?・・である。


施設内もかなり広い。 

 

遠くに見える砲台につられてそちらの方へ。


 

実際に戦艦「陸奥」の4番主砲として搭載されていたという40cm砲


 

この迫力っ・・

「いやー、こんなんで撃ちあっちゃあ、いかんよなー・・


・・と、つくづく二人して、平和の有難さを痛感した次第・・。

 

 

三階建ての建物に相当するでかさ

今は何でも小型・軽量化の時代であるが、当時は大艦・巨砲時代で、各国がどんどん、そのでかさを競うような戦艦や主砲を造り続けていた。


戦艦「大和」は、その究極の最終形ともいうべき艦で、全長263m


その主砲は46cm砲で、当然、この陸奥の40cm砲よりでかいっ・・


なんと!砲台だけで2000トン()あり、船体が約5度傾いただけで主砲を撃つコトは出来なかったという・・。



結局、その力を発揮するコトなく、海の藻屑と消えた大和だったが、当時の最新の技術を詰め込んだ大和は、まさしく、日本の”命運”を賭けた艦だった。


それが、後の『宇宙戦艦ヤマト』という作品に、”最後の希望”を託された艦・・というモチーフとして使われたコトは、想像に難くない・・。



戦争はよくないけど、人はロマンを求めるもの・・。


 

 

砲弾や・・

 

 

12.7cm高角砲

 

 

魚雷発射管も、人間との対比でこのでかさ・・

この92式4連装魚雷発射管も昭和20年建造のT型駆逐艦「梨」に搭載されていたという本物。

しかし、「梨」って・・。



救助艇も・・。

 

 

 

江田島クラブという見学者の控室になる建物は1階にレストランもあり、先輩から海軍カレーもごちそうになった。

感謝です。


「何が海軍なんだろう・・?


・・と言いながら先輩は食べていたが・・。


(まあ、たしかに・・

 

 

戦艦「大和」の模型。


 

お土産屋さんもある。

先輩は、キャップとバッジを購入していた。


気分はすっかり”海の男”である。


 

この海軍兵学校の訓練で、あの山の頂上まで行って帰って20分で皆、帰って来れるようになる・・との説明に唖然・・。


 

こちらは大講堂

手前に見える入口は、皇族など、高貴な人だけが出入り出来る、通称、”高貴門”だとか・・。

 

 

こちらは一般の入口、”平民門”・・。

 

 

しかし、この日は本当に天気がよかった

 

 

この大講堂の床に見える点々は、金属製のプレートがはめ込まれていて、その1つに1人が立って2000人が入る広さがあるという。

 

 

この赤レンガの建物が幹部候補生学校庁舎

旧海軍兵学校生徒館で、江田島といえば、これ・・という建物。

 

 

外観のみの見学だが、雰囲気はバッチリ

TVや映画の撮影のロケなどにも使われているそうだ。

 

 

ここで、かつて日露戦争で日本海海戦を戦った、ご存知、司馬遼太郎『坂の上の雲』の主人公・秋山真之ら、日本中のエリート、秀才たちが学んだそう。

案内の方の説明では、すべり止めに東大でも受けとけ・・てくらいの秀才ばかりだったそう。

 

 

 

 

こちらは外から撮った廊下。

 

 

教育参考館

館内は写真撮影は禁止で、帽子も脱ぐように言われる。

いろいろな戦没者の手紙や遺品など収められており、一部が展示されている。


かつて、国の為に戦った若者たちの遺書等は、本当に読んでいて目頭が熱くなる。


日本の”海軍魂”を注入される場所である。 

 

 

特殊潜航艇「海龍」

特攻武器で、終戦までに230隻が完成していたが、1度も使用はされていないという。

 

 

中が全部、見えるようになっているが、確かに乗員2名というのも納得である・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

敷地内には、最近では見かけなくなった、こんな懐かしいポストも。

 

 

最後はまた江田島クラブにて解散。

レストランやお土産屋さんがある1階の上は、海上自衛隊歴史ゾーン。

 

 

様々な模型などの展示が見られる。

 

 

 

 

非常に充実した内容で、予想以上に素晴らしかった。


何より、その空気感というか、現在も現役で海上自衛隊の教育機関として使われているせいか、本当に当時の空気がそのまま残っているかのような錯覚さえ覚える、”海の男”たちの”魂”や”息吹”を感じさせる場所であった。


個人的には、ある意味、厳島神社原爆ドームといった広島の世界遺産に勝るとも劣らない、オススメの場所であると思った。



 

 

 

 


チームの力

2017年10月30日 | 人生覚書き


一人の百歩より百人の一歩

                  永森重信(日本電産創業者)


「会社経営の要諦はどこにあるのかといえば、一人の社員の百歩に頼るのではなく、百人の社員に一歩ずつ歩んでもらうという地道な前進をいかに継続させていくかにあると思っています。

このポイントを読み誤っている経営者は少なくありません。

優秀な成績をあげる社員、ずば抜けた能力を持った社員を大事にするあまり、一人の百歩よりも百人の一歩のほうがはるかに会社を強くすることを忘れてしまっているのです。

だから会社はいつまでもその一人の社員に頼り、強くなることができないのです」


”わたし”そのままでゆだねる

2017年10月18日 | 人生覚書き

 

 弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、

 ひとへに親鸞一人がためなりけり。


 さればそれほどの業をもちける身にてありけるを、

 たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ


 善悪のふたつ、総じてもつて存知せざるなり。


 煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、

 よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、

 まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします


                   『歎異抄』

 

これは親鸞が生前語っていた言葉を唯円がしみじみと回想している場面で、この冒頭に「聖人のつねの仰せには、」・・とはじまる。

すべての人を救いたいという阿弥陀仏の想いは、この自分1人を救うためのものであった・・という独白である。


解説の方の説明によると、”宗教”とは、ひとつの「物語」であると・・。

この場合の「物語」とは、フィクションとかストーリーといったコトではなく、”意味の体系”といったイミ。

「物語」と単なる「情報」とでは、どう違うかというと、「物語」とは、出会ってしまうと、それ以前の自分に戻るコトができなくなってしまうものであると語っていたのが印象深かった。



広島カープ二連覇!V8!!

2017年09月18日 | 広島のオススメ!

おめでとー

37年ぶりの二連覇

今年こそ日本一


知行合一

2017年09月04日 | 人生覚書き

知識を蓄えて、

人を見下すようになるなら、

無知のままでいいから、

人を尊敬できる人間になりたい。

 

有名な人の知り合いだと、

虎の威を借りるようになるなら、

孤独なままでいいから、

等身大の自分で勝負できる人間になりたい。

 

知っていることは挑戦に値しないと、

バカにするようになるなら、

知らないことは多いまま、

行動を重んじる人間になりたい。


 

今やパソコンやスマホがあれば、自分で汗水流したり、一歩も外に出ずとも”検索”するだけで、様々な知識を得るコトが出来る時代・・。

だが、それは、本当に自分の骨身になる本物の”知識”となり得るだろうか・・?


「あ~、それ知ってる」

「あれでしょ・・?」


ーそう言って、その”浅い”表面的な知識だけで、そこから一歩も動かない、動こうとしない人が多くなっているのではないだろうか・・?

かつてそれは、ある程度経験を積んだ、そこそこ年を経た”大人”、あるいは老人の特権だったかもしれない。


しかし、情報が溢れかえってる現代、それはどんどん、若年化している傾向があるように思うのは、自分だけではないだろう・・。


「知識」は、単なる記憶されてるだけの情報にすぎない。

ーそれが善悪の判断基準によって取捨選択されると「見識」となる。

ーそこに行動がともなって、はじめて「胆識となる・・。


経験に勝る学びはない。

行動するしか、本物の”ハラ”に据えるコトの出来る知識にはならない。


「論語読みの論語知らず」になってはいないか・・?


人の為に生きる素晴らしさは誰もが知っていているが、それが本当に出来る人は、どれだけいるだろうか・・?


自戒も込めて、あらためて、行動できる人間になりたいものである・・。






 


 


 


敵は己の中にあり

2017年08月30日 | 人生覚書き

 

  あなたが出会う最悪の敵は

   いつもあなた自身であるだろう

              ニーチェ『ツラトウストラはかく語りき』


”教え”自体にも執着するな!

2017年08月15日 | 人生覚書き

 

 私の教えは川を渡るための

 筏のようなものである

 そして 向こう岸に渡ったら

 筏を捨てていけばよい

       『中阿含教』阿梨咤経

 

仏教では”執着”するコトを戒める。

お金やモノ、人間関係…。

あらゆるものに執着するコトこそが、人の煩悩である。


しかし、究極的は、その執着を戒める”教え”そのものにさえ、執着するな・・というトコロまで行きつく・・。


原理原則は絶対・普遍のものである。


ーしかし、そこに固執するコトで、独善に陥るコトは多い。


キリスト教やイスラム教など、唯一・絶対の神を信じる一神教は、自らの神を絶対視するあまり、他の信ずるものを軽んじ、あるいは一段低い、野蛮で低俗なもの・・とさげすむ排他性さえ、生み出す危険性をもはらんだ教義でもある。


原理原則は確かに重要である。


しかし、原理を超えるものは”愛”である。


・・そのコトを、我々は忘れてはならないだろう・・。