Peace Waveの平和な日々~行く雲、流れる水のように~

気が向いたら、ボチボチ更新しようかと・・。(笑)

月にまつわるミステリー

2014年08月12日 | 都市伝説・ミステリー

先日、8月10日はスーパームーンというコトで、いつもより大きな月が見られた。

11日の午前2時43分頃には、月と地球の距離は約35万7000キロと最も近く、3時9分頃に満月となり、スーパームーンよりも好条件が揃った、エクストラ・スーパームーンだったとか。

 

 

天文学界では”近地点の満月”(perigee full moon)という用語が使われる場合が多いそうだが、今年、2014年はスーパームーンが7月12日、8月10日、9月9日の3回も見れる当たり年だそう!

注目を集めた7月のスーパームーンは、通常の満月に比べ大きさが14%、明るさが30%増して見えたという。

 

実際に見た感想としては、そこまで大きくは感じなかったのであるが・・。

 

さて、月にはさまざまなミステリーがある。

1961年からはじまった、NASA(米航空宇宙局)による人類初の月への有人宇宙飛行計画であるアポロ計画

1972年までに、実に全6回の有人月面着陸に成功したが、当初、アポロ20号まで予定されていたにもかかわらず、17号で打ち切られている。

 

そもそも、本当に月に行ったのか?・・という話が、まことしやかに噂されている。

宇宙飛行士の月面歩行の映像など、影や動きに不自然がある・・とTV番組で検証されてたり、実際に’77年公開の映画、『カプリコン1』は、火星と月という違いこそあれ、宇宙飛行士の着陸シーンは、ねつ造された地上のスタジオでの映像である・・というストーリーである。

 

また、UFOはいうまでもなく、さまざまな人工的な構造物が月面写真に写りこんでいる・・とゆーもの。

アポロ計画での宇宙飛行士と管制センターとの漏洩交信記録から「道」「ドーム群」「構築物」「トンネル」「テラス」・・などが月面に存在しているコトが指摘されている。

 

 

有名なものには、1969年アポロ10号がとらえた「キャッスル」と呼ばれる構造物がある。

http://matome.naver.jp/odai/2138121491609824201

 

日本のJAXA(宇宙航空研究開発機構)が、月周回衛星かぐやから撮影した月面の写真を公開してるが、運河?か道と思しき幾条かの線が走っているのが見える。

 

―しかし、もっと鮮明なものがあってもいーものだが、実際、公開された月面の写真には、何らかの手を加えられてると思しきものも多いコトも、噂に拍車をかけているようである・・。

 

現在4作目が公開されてる『トランスフォーマー』シリーズの3作目、『ダークサイドムーン』(’11)では、月面にある謎の構造物(宇宙船)に、月に降り立った宇宙飛行士が極秘のミッションとして潜入する場面からストーリーがはじまり、実際に月に降り立った宇宙飛行士、バズ・オルドリンらも出演している。

実際、アポロ14号の宇宙飛行士、エドガー・ミッチェルは、2008年7月、「アメリカ政府は過去60年にわたって異星人の存在を隠蔽してきた」と爆弾発言しており、真偽はともかく、月面に降り立ったNASAの宇宙飛行士の発言であるコトが興味深い・・。

 

そうした構造物から、月には異星人のUFO基地がある・・とゆーワケである。

 

―それだけでも、とんでもない話だなー・・と思う人は多いだろうが、さらにスゴイ説がある・・。

 

月が、『スターウォーズ』(’77)に出てくるデス・スターのような、中が空洞の人工天体だとゆーもの

 

―まあ、フツーに、常識的な人間なら、にわかには信じがたい話であるが、それなりの根拠はある・・。

 

NASAの科学者ゴードン・マクドナルド博士は1962年に専門誌『宇宙航空学』に、月の運動の観測データを誤差も含めて厳密に整理すると、どうしても月の内部には中心核がないか、物質が均質でなく、どこかに空洞部分があるという計算になると、”月=空洞天体”説を発表。

ノーベル化学賞受賞者ハロルド・ユーリー博士は、月の平均密度が1立方cmあたり3.34gと、地球の5.5gに比べて異常に低いコトから、内部に空洞領域があるのではないかと指摘。

 

月は太陽系内の他の衛星に比べて、親惑星に対して異常に大きく、直径で地球の1/4以上もあるにもかかわらず、質量はわずか、地球の1/81(!)しかないのである。

 

MIT(マサチューセッツ工科大学)の地球物理学者ショーン・ソロモン博士も’66年~’68年のルナオービター探査機の実験で、月の重力場に関する知識が大幅に強化された結果、月が空洞であるという恐るべき可能性が出てきたと述べている。

 

実際、’69年に打ち上げられたアポロ12号が、月面での作業を終え、不要になった上昇段を投棄したトコロ、落下の衝撃で引き起こされた”月震”がいつまでも鎮まらず、月面に残された地震計が、実に55分間と、約1時間近い余震を記録し続けた

 

その翌年に打ち上げられ、そのものズバリ、『アポロ13』(’95)という映画にもなって、宇宙開発史上”最も成功した失敗”と言われたアポロ13号は帰途につく際、三段目のブースターを投下して意図的に人工月震を発生せしめたが、スケールで前回の30倍(!)も上回り、地震波が40kmの深度にまで達し、余震に至っては延々3時間20分(!)も続いたという。

 

―まるで中身のつまっていない、鐘のように・・。

 

さらに、月面の地震計からもたらされた月震のデータを分析したトコロ、月の外殻部は約20~30kmの深度までは、ほぼ均質な物質だが、そこから急に60kmぐらいまで、地震波のスピードが秒速100kmに加速される(!)コトがわかった。

この速度はチタン、ベリリウム、イットリウム、モリブデン、鉄・・など金属物質の混合体の通過速度に相当するという・・。

 

ちなみに月の外殻の厚さは平均約60kmと判明しているが、サイズが4倍の地球でも、外殻(地殻)の厚さはその半分(!)しかない・・。

 

また、その月震のデータ分析から、月内部の奥深くに2本の似たような巨大なベルト状の活動ゾーンが存在するコトが判明。

いずれも全長、少なくとも1000km!

深度も1000kmあり、『サイエンス・ニューズ』誌によると、このベルト状ゾーンは、地中深くに埋没された鉄のブロックのような物質で構成されていて、月の他の部分とは異なる弾性、伸縮性を示しているという・・。

 

NASAの月震学者、ゲーリー・レーサム博士も何の説明もできないとお手上げ状態であるが、月の内部が空洞の人工天体で、鉄のブロックゾーンは、内部補強材(?)・・とすれば、すべてうまく説明がつく・・。

地震計のデータ分析による地震波の伝導速度の違いは、天然の外殻と、その下層にある人工の構造物・・という月の2層構造性を如実に示している・・とゆーワケである。

 

事実、月面にある無数のクレーターは、なぜか、どんなに大きなものでも底が不自然に浅く、一様に月面のカーブに沿うように盛り上がっている・・。

 

これらの事実から、ソ連科学アカデミー会員ミハイル・ワーシンアレクサンドル・シチェルバーコフというベテラン天文学者が『スプートニク』という雑誌に「月は知性の創造物か?」と題する記事を寄稿、月は自然の天体ではなく、高度の科学技術をもった異星人が小惑星の内部をくり抜き、宇宙船に造り変えた”月=地球外起源の超巨大宇宙船”(!)・・という驚きの説を、すでに1970年当時に発表している。

 

そもそも、天然の衛星は空洞の物体ではありえない・・と、かのカール・セーガンも断言している。

 

これらは数々ある、月のミステリーのほんの一部である・・。

 http://act9.jp/fan/report/ai/ryuh/tsuki.htm

 

40年以上も前に、あれだけ熱心に人類を月に飛ばし、これだけの謎があるにもかかわらず、その謎の解明にはさしたる進展も見せせないまま、月のコトなんかなかったかのごとくに黙殺して、今度は火星に移住だなどと言われている・・。

 

はたして、技術も驚くほど進歩したこの40年間に、まったく何の調査も研究もなかったのだろうか・・?

 

あまりにも公開された情報が少なすぎると感じるのは、自分だけだろうか・・?

 

火星の空も青かったとか、様々な人工構造物らしきものがあるコトも既に報告されているが・・。

 

まだまだ宇宙には謎が多い・・。

 

 

 

 

 

 

 


吉兆?凶兆?月の輪

2014年02月13日 | 都市伝説・ミステリー

昨日、夜空を見上げたら、月に輪がかかっていた。

 

一応、写真に撮ってみたが・・

 

わかるだろーか・・?

 

360度、グルリと円を描いている。

 

 

「ハロ」という気象現象で、漢字では「暈」(かさ)と書く。

低気圧が接近して、天気が下り坂になる頃、空にヴェールのような薄い雲が広がり、その雲を通して、こうした現象が見えるようになるそうだ。

高層雲や、より上層にある巻層雲で、その高度は上部で5km以上あり、温度は0度以下になるという。

 

太陽でも月でも暈は見えるが、月の場合はほとんどが満月だそう。http://tigaku.com/kisyou/syasinkan/halo.html

うーん、たしかに昨日は満月だったか・・?

 

こちらの光の輪はよりわかりやすいが、一部。

 

それより、手前に光球(オーブ)が大量に写りこんでいるのが・・。

 

さて、何かの兆しなんでしょーか・・?

 

よいにこしたコトはないけど・・。


新世界秩序

2013年07月17日 | 都市伝説・ミステリー

見たコトはなくても、誰もが一度は耳にしたコトがあるであろう『機動戦士ガンダム』というアニメ作品の中で、「地球連邦」というワードが出てくる。

ガンダムは、(地球)連邦軍モビルスーツと呼ばれるロボット兵器・・とゆーワケだ。

 

人類が宇宙に居住可能なスペースコロニーを建造し、既に数世代を数える未来・・という設定のお話なのであるが、その時代には、既に「地球連邦政府」という名の”世界統一政府”が出来ているコトになっている。

人種や国境、宗教や文化の違いや確執を越え、世界が1つの行政府によって統治されている時代とは、何という夢に溢れた世界であろう・・と思いきや、その地球連邦の政治家たちは、自己の利益だけを求める、汚職にまみれた現代の政治家と何1つ変わっておらず、そんな自分勝手な奴らの言うコトが聞けるかー・・と反旗を翻し、独立を宣言して戦争をおっぱじめたのがジオン公国という、宇宙移民たちがつくった政府―とゆーのが、ごく大雑把にかいつまんだ『ガンダム』のストーリーである。

まあ、ガンダムの話ではないんですが・・。

 

近い未来に、宇宙に人類が移民出来るのか?・・云々はさておき、まずさしあたって、はたして、人類は人種や国境、宗教や文化の違いや確執を越え、”世界統一政府”をつくるコトが出来るのか否か?

 

EU(欧州連合)の例を見るまでもなく、世界はそーゆー方向に向かいつつある。

まず、経済的に、モノやお金の流れを自由にし、関税などをとっぱらい、市場を開放する。

そもそも、経済活動に国境はない。

より良いモノ、より安いモノ、より良い市場を求めて、人の動きも活発になる。 

 

そうなると、国境などというものは、ただ人の往来の自由を妨げるだけで、面倒なだけ。

国境も緩やかで曖昧なものになればなるほど、もう国家という枠組みさえも、非常に曖昧なものになっていく。

通貨も共通のもので統一すれば、なお便利である。

 

国内の農産業を守るとか、細かな議論はいろいろあるし、にわかに歓迎できる話ばかりでないコトも多くあろう。

通貨統一も、自国の歴史と伝統に誇りをもつ英国は反対、ユーロの採用は見合わせた。

 

―まあ、その良し悪しはともかく、そーゆー大きな流れはあるというコト。

 

しかし、ガンダムで描かれた地球連邦政府が、まさしく、旧世界の腐敗の象徴だったように、一部の権力者や超富裕層にのみ都合のいいかたちで世界が統一され、そうした政府が出来るとしたら、どうだろうか?

「新世界秩序」という美名の下に、そーゆー動きがあるとしたら・・?

 

英語で直訳すれば、「新世界秩序」=「New World Order」であるが、都市伝説好きなら、ピンと来るワードであろう。

「新世界秩序」で検索しても、いろいろ面白いものがヒットする・・。

 

かつて日本も「大東亜共栄圏」というスローガンの下、侵略戦争を正当化していた。

非戦を謳っていたアメリカも、「リメンバー・パールハーバー」のスローガンの下、戦争へと突入していった。

それから半世紀以上の時を経ても、「リメンバー・9・11」で、また戦争へと突入していったのは、周知の事実である・・。

 

戦争は誰もが望まないもののはず。

しかし、その戦争で大きく金儲けが出来るとしたら・・?

 

信じたくない話だが、たとえ、多くの罪のない人命を犠牲にしたとしても、戦争は”おいしいビジネス”だ・・と思える人たちも、少数だが、確かにいるようだ・・。

 

そうした、戦争に向かわせたい意図をもった人たちによって、”敵”は常に作られてきた。

ある時は全体主義国家。

ある時は共産主義勢力・・。

実際に戦争状態になくても、仮想”敵”によって、戦争の脅威を煽り、”抑止力”の名の下に、人類を何度も滅亡させられるほどの核兵器を、狂ったように造り続けた時代が、つい何年か前まであったのである・・。 

 

やがて、冷戦構造が崩壊し、共産主義勢力の脅威がなくなると、今度は、いつ、誰に襲いかかるかもしれない”テロ”という、まったく見えない”敵”・・。

9・11の同時多発テロは、それを目に見えるかたちで人々に知らしめる事件となった。

(カテゴリー/都市伝説・ミステリー:『「9・11」陰謀説』参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/dcee84e90eb3664810115c6ad990f19e

 

9・11直後の2001年10月、米国ではテロ対策の名目で愛国者法が成立、NSAなど国の情報機関が、通信会社から情報を入手する強い権限を与えられ、裁判所の命令さえあれば、一般市民の監視も認められるようになった。

しかし、2008年には、同じくブッシュ政権の下、裁判所の命令なしで、こうした権限を行使できる外国情報監視法(FISA)改正法案がなしくずし的に可決されている・・。

 

あの事件だけで、テロという目に見えない敵に対し、戦争に向かわせ、”自由の国”アメリカで、国民の情報さえ、国が自由に監視できる社会になってしまったワケである。

もし、これが自作自演だとしたら、恐ろしい話である・・。

 

「新世界秩序」

―はたして、その名の如く、希望に満ちたものになるのだろうか?

 

問題は、それを達成する方法と動機であろう。

 

本当に万民がしあわせになる、戦争と差別のない、平和な新世界秩序であるなら、大歓迎であるのだが・・。

 

 


聖杯伝説

2011年03月25日 | 都市伝説・ミステリー

映画「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」で、インディの父・ヘンリーが追い求めていたのが聖杯

この聖杯は、イエス最後の晩餐において、「これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。」(マタイ26:28)といって弟子たちに葡萄酒を飲ませた杯とも、磔刑の際にイエスの血を受けたものとも(あるいは同じ杯とも・・)いわれている聖遺物である。

イエスの脇腹を刺した盲目の百人隊長、ロンギヌスは、目にイエスの血を浴び、それ以来、目が見えるようになったといわれ、イエスの血を受けた聖遺物は、奇跡を起こす力を秘めている・・と信じられ、時の権力者たちが”ロンギヌスの槍”や聖杯などを探し求めてきた・・と言われている。

映画でも、ヒトラーナチスが聖杯を追い求めているのは、1作目「失われた聖櫃(アーク)と同様である。

 

一般に「聖杯伝説」といえば、中世ヨーロッパで聖杯を探し求める騎士の物語、あるいは聖杯をモチーフにした奇跡譚のコト。

1180年代フランスの詩人、クレティアン・ド・トロワによる『ペレスヴァル、あるいは聖杯の物語』が、その最初と言われ、聖杯を手にするのが円卓の騎士の1人、パーシヴァルで、これ以降、聖杯伝説は、それまであったアーサー王伝説の中に取り込まれていく・・。 

 

一方、1190年代に同じくフランスの詩人、ロベール・ド・ボロンは、『聖杯の由来の物語』で、アリマタヤのヨセフが聖杯とともにアヴァロン島に渡ったとしている。

この「アヴァロン」とはケルト語”リンゴ”をイミするそうだが、場所はどこにあるか不明で、ブリテン諸島のどこかにあると信じられている。

またアリマタヤのヨセフは、グラストンベリーに渡り、ブリテン最初の教会を建てたともいわれており、他にも様々な伝承がある・・。

 

1982年ヘンリー・リンカーンらにより、イギリスで発表された『レンヌ=ル=シャトーの謎』(原題:「Holly Bllod、Holly Grail」)というノン・フィクションでは、「聖杯」(=Saint Graal)がフランス語で、「王の血統」をイミする"sang réal”に由来するとし、「聖杯=イエス・キリストの血筋」であるとした。

実際、フランスのレンヌ=ル=シャトーにあるマグダラのマリア教会ソニエール神父は、1886年、老朽化した教会の修繕をしようとした時、崩れた柱の中から1枚の羊皮紙を発見し、それまでは食べるのも管区民の寄付によるほど困窮していたにもかかわらず、教会を建て直したり、高価な骨董品を収集したり・・と、それ以来、突然、懐が潤うようになったという。

教会の上層部にも語るコトなく、ついにその羊皮紙の秘密は明かされるコトはなかったが、聖杯の在り処を示すものだったとか、イエスとマグダラのマリアの関係を示すものだったなど、様々な噂が広がった・・。

 

ちなみに『レンヌ=ル=シャトーの謎』は、映画にもなったダン・ブラウンによる小説、『ダ・ヴィンチ・コード』に多くのインスピレーションを与えたとされ、(要するに盗作したと・・)訴訟沙汰になったりもした。

「聖杯」が「女性=胎」、すなわち、イエスの血統(マグダラのマリアとの子)・・とする解釈や、メロヴィング朝がイエスの血統に由来する・・など、ほとんどのアイデアが『レンヌ=ル=シャトーの謎』から借用されたものとされている。

 

まあ、聖杯が奇跡を起こすパワーを秘めた聖遺物だろうが、イエスの血統だろうが、既存の教会権力を脅かすものであるコトに変わりはない。

 

そうした秘密を握った者が教会を脅し、大金をせしめたりするコトも出来るかもしれない。

巨大な権力を握るコトも可能かもしれない・・。

 

昔からある伝説や、小説や映画などの様々な作品で扱われているコトからも分かるように、「聖杯伝説」は物語としても、非常に魅力あるテーマである。

 

しかし、そもそも、そんな聖杯なんてない・・というのが、依然、最も有力な説のようであるが・・。

 

ちなみに「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」のラストで、自分の好きなシーンがある。

地割れとともに岩棚に落ちた聖杯を拾おうとする息子を、ゆっくりとヘンリーがたしなめ、父の声に気を取り直したインディが両手を差し出し、助け出される・・という場面である。  

ヘンリーにとっては、自らの人生を賭けて追い求めてきた聖杯を、目前であきらめるコトになっても、我が子を思う親心がそれに勝る・・そして、それに応える息子・・という、泣かせる名シーンである。

 

「人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。」(マルコ8:36)

 

 

 

 


謎の電磁波施設HAARP

2011年03月14日 | 都市伝説・ミステリー

東日本を襲った大震災は、震度も上方修正され、M9.0(!)という、地球上で観測史上4番目に大きな地震という驚異的なものであったコトが発表された。

複雑な形で、連続的に3つの巨大地震が起り、断層が3度にわたり破壊された、ごくまれなケ-スであるという。

昨日の時点で、3日以内にM7以上の余震がある可能性も70%以上・・との発表もなされたばかりで、M5以上の余震は、既に180回以上観測されるという、凄まじい頻度で起こっており、まだまだ予断を許さない状況が続いている。

日本列島全体が、今回の地震の衝撃で2.4cmズレた(!)・・という話もあったが、いずれにせよ、過去に例がない、まさしく、戦後最大の未曾有の大災害に直面していると言っても過言ではない。

 

―ところで、もし、人為的にこうした大地震や津波が起こせるとしたら、皆さんはどう思うであろう・・?

もしも、地震や気象をも操る兵器が実在したら・・。

 

それこそ

「ほんまでっか?!

・・とゆー感じであるが、、自称”元傭兵”という怪しい経歴をもつ、怪しげなコメンテーター、テレンス・リーが、このネタをゴールデンタイムの全国ネットの番組である明石家さんま「ほんまでっか?!TV」で話していたので、聞いたコトのある人も多いと思う・・。

 

 

それがHAARP(ハープ)である!

米国防総省主導によるプロジェクトで、公式名を「High‐Frequency Active Auroral Research Program(=高周波活性オーロラ調査計画)」といい、その頭文字をとって「HAARP」と呼ばれている。

 

アメリカはアラスカ州の南東部、ガコーナにある巨大なアンテナ群を擁した施設で、1993年に公開された軍の公式文書によれば、基本的にはオーロラと電離層の研究のための、純粋に学術的なプロジェクトという。

写真で見るように、升目上に等間隔に並ぶ48本のアンテナは、すべて真上を向いて直立し、個々のアンテナには四方に向けて双端子が取り付けられている。

 

この双端子は、2.7~7ギガヘルツの低周波から、7~10ギガヘルツの高周波までカバー出来る構造をもち、専用の電波発信機を稼動するシステムになっているそう。

 アメリカ政府は、このHAARPに3000億ドル(!)もの巨費を投じており、その施設は旧ソ連をはじめ、カナダノルウェーフィンランドにも設置されており、日本の三沢基地にもある・・という話もあるらしい。

 

”純粋に学術的なプロジェクト”でありながら、ペンタゴン主導というのもあやしいが、このHAARPが、地震や気象をも操る電磁波兵器だ・・という都市伝説が、まことしやかに語られている・・。

 

―というのも、このHAARPから放射される電波は、超圧縮された電磁波ビーム(プラズマ)であり、その最大出力は1.5~1・7ギガワット

1ギガは10億なので、約15億ワット(!)という、恐るべき数値になるが、これは大規模発電所10基分がフル稼働した時の出力に相当するという!

 

この強力な電磁波を電離層に照射するコトで、その膨大なエネルギーは、そのまま地表に跳ね返り、ピンポイントで狙った場所に被害を与えるコトが出来る。

これを活断層に射ち込めば、巨大地震も起こせる・・というのだ。

 

本来、地球上ではM8.0以上の地震は起らないもの・・とされていたという。

それ以上の規模だと、その破壊力に地殻が耐えられないからだそうだが、実際にM9.0以上の地震が起っている。

23万人という犠牲者を出した2004年のスマトラ沖地震M9.1だったが、インド洋全域が未曾有の被害にあった中、インド洋のディエゴ・ガルシア島にある米軍の基地だけは、事前にこの地震と津波を察知しており、まったく無傷であったという・・。

 

もし、それが本当なら、とんでもないコトであるが、それを裏付ける根拠もある。

 

”純粋に学術的なプロジェクト”であるHAARPは、公式ウェブサイトも一般に公開しており、「On-Line Data」をクリックすると、HAARPチャートなるものが見れる。 

http://www.haarp.alaska.edu/

これは、アラスカ大学が、HAARP施設に設置した磁力計が記録した電磁波データを、グラフにして、リアルタイムで公開しているもの。

このチャートを見れば、いつ電磁波が放射され、その後、どう推移したかが分かるようになっている。

 

そして、強力な電波放射が観測されると、早ければ、その当日、おそくとも1週間以内に、実際に大きな地震や津波、ハリケーンなどの被害が起っているというのだ!!

 

ちなみに今回の大震災の前にも、チャートの大きな変動があり、近々、大きな地震があるのでは・・という指摘もあったようだ。

 

・・にわかには信じ難い話である。 

はたして、人が気象や天災を操るコトなど、可能なのだろうか・・? 

 

こうした話は、フランス革命世界大戦9.11テロなども陰謀によるもの・・という「陰謀史観」を展開する論者によって語られるコトが多い。

陰謀を企図した主体は、たいがいフリーメーソンとかイルミナティといった秘密結社、果ては地球外知的生命体・・といった類・・。

 

左翼なら「唯物史観」、右翼なら「皇国史観」・・と、歴史は、語る者の都合の良いように書き換えられてきた。

 

しかし、「唯物史観」も「皇国史観」も、史実に基づいている以上、それぞれに一理あるように、一笑に付して、聞き流すだけでは済まないような話も、「陰謀史観」の中にも、あるのかもしれない・・。

 

 

 

 

 

 

 

 


「祇園」=「シオン」?

2010年07月30日 | 都市伝説・ミステリー

「シオン」は、イスラエルエルサレム地方の地名で、ダビデ王の支配下に入った町として登場する歴史的な地名だが、「神殿の丘」の別名となり、後にエルサレム全体、さらにイスラエルの地全体を象徴する言葉ともなった。

ソロモン王により紀元前10世紀頃エルサレム神殿(第1神殿)が建てられた場所が「神殿の丘」で、バビロニアにより破壊された後、第2神殿が再建され、現在もその城壁の一部が”嘆きの壁”として残っている。

神との約束のイスラエルの地、パレスチナに自分たちの国を建てよう・・というユダヤ人の運動―シオニズムの語源となった地名でもある。

 

ちなみに「シオン」の綴りは「Zion」で、英語読みだと「ザイオン」―映画、「マトリックス」でコンピューターの支配から逃れた人間たちの住む街の名で、「機動戦士ガンダム」で、地球連邦に独立戦争を挑んだジオン公国も「Zion」である。

スペースノイド(宇宙移民)による国を建てようというジオニズム(Zionism)は、綴りもまったくシオニズムと同じで、そりゃまずかろう・・と、後に「Zion」から「Zeon」に変更されたという経緯もあるそう・・。

 

さて、エルサレムの別名でもあるこの「シオン」、原語のヘブライ語では「ツィオン」となり、日本に来て「ギオン」になったのではないか?・・という説があるのだ。

 

「あなたがたを苦しめた者の子らは、かがんで、あなたのもとに来、あなたをさげすんだ者は、ことごとくあなたの足もとに伏し、あなたの主の都、イスラエルの聖者のシオンととなえる。」(イザヤ書60:14)

「あなたの民はことごとく正しい者となって、とこしえに地を所有する。彼らはわたしの植えた若枝、わが手のわざ、わが栄光をあらわすものとなる。その最も小さい者は氏族となり、その最も弱い者は強い国となる。わたしは主である。その時がくるならば、すみやかにこの事をなす。」(イザヤ書60:21~22)

 

旧約聖書イザヤ書の1節である。

イザヤユダ王国後期の預言者で、国を失い、離散の憂き目にあったユダヤ民族にとって、「シオン」への帰還は神との約束であり、聖書に記された預言であり、二千年来の悲願であった。

 

イスラエルのエルサレムでは、様々な祭りが行われ、それらを総称して「シオン祭」と言っていたそうだが、はるかシルクロードを旅して、日本にたどり着いた”失われた十部族”の末裔が、かの地を偲んで、そこで行われていた祭りを行っていたとしても、不思議なコトではない。

「シオン祭」=「祇園祭」・・とゆーコトである。 

『祇園祭の大いなる秘密』の著者、久慈力はその共通点を指摘している。

 

祇園祭は、7月から1ヶ月という長い期間にわたって開催され、7月17日山鉾巡行で祭りのクライマックスを迎える。(カテゴリー/歴史・民俗:「祇園祭」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/6049ec424c880a47cec8d1a61e283310

 

 

「箱舟は七月十七日にアララテの山にとどまった。」(創世記8:4)

・・と聖書にあるように、この7月17日はノアの箱舟が洪水を逃れ、山の頂上に漂着した日で、イスラエルでは祝日としてその前後、計3週間という期間をかけて、毎年、新年祭が行われていたそうだが、その原点こそ「シオン祭」で、複数の祭りを祝い、国をあげて催されるイスラエルの壮大な宗教行事であった。

ちなみに山鉾はノアの箱舟?とも言われているとか・・。

箱舟が漂着したアララテ山は、現在のアルメニア近郊にあるタガーマ州ハラン(=タガーマハラ)にあり、高天原(タカマガハラ)に通じる。

高天原は、古事記の冒頭に「天地(あめつち)のはじめ」に神々の生まれ出る場所とされ、イザナギイザナミの国生みの二柱の神が、矛を下ろして島を作るくだりがあり、その場所が海の上の雲?の中に存在した・・とされていたと考えると、洪水で山頂に漂着した箱舟を彷彿させ、非常に興味深い。

 

―紀元前8世紀、イスラエルが滅亡した際、シオン祭は首都エルサレムの崩壊とともに消滅し、その後、過越しの祭収穫祭仮庵祭宮清めの祭・・など、旧約聖書に記されている各種の祭りにその名残りを残すのみとなったが、現在にまで伝わるイスラエルの新年祭と、祇園祭の暦との類似点の多さには驚かされる。http://ckphoto.exblog.jp/4191751/

 

まず、イスラエルでは、7月1日よりロシュ・ハシャナと呼ばれる新年礼拝があり、同じ日に祇園祭では吉符入りと呼ばれる祈願式からはじまる。

それからイスラエルでは、7月10日ヨム・キプールと呼ばれる贖罪日まで断食をしながら神の御前で悔い改めをする神聖な日となるが、祇園祭では同じ時期に清祓いと呼ばれる祈願式をもって、山鉾ごとのお祓いと清めが行われる。


また中旬の15日から7日間、イスラエルでは旧約聖書のネヘミア書に基いて、テントで寝泊りをし、エジプトでの奴隷生活からの脱出を祝う仮庵祭が催される。

同様に祇園祭では山鉾を造るが、この山鉾とその装飾方法がイスラエルの仮庵に酷似しているという。

仮庵祭の終盤では、会堂の祭壇に水を注ぐ清めの儀式と、律法の集会であるホザナ・ラバと呼ばれる祝福の儀式が行われ、神の救いに預かったことを祝して祈りつつ、草木を振りかざしながら、祭壇の周りを7回巡り歩き、神に感謝を捧げる。

7月17日より始まる神幸祭では、神輿が八坂神社から巡行して四条御旅所にて7日間留まり、御輿を神事用水で清める「御輿洗」と呼ばれる儀式が執り行われ、神主が祈りを捧げた後、祭壇に玉串を捧げ、周囲の人々がお神輿の周りを3回巡り歩き、山鉾に草木が添えられるという・・。


さらに牛頭天王蘇民将来の説話に基づく祇園信仰は、イスラエルの過越の祭とそっくりなのである。

 

シオン祭は、日本の地にたどり着いたユダヤ民族の末裔たちに継承され、土着化する過程において、様々なイスラエルの祭りの要素が吸収・集約されていきながら、今日の祇園祭になっていったのではないか?・・というのがその説だ。

 

なんで京都に・・?

・・と思ってしまうが、長い歴史を誇る古都・京都にはユダヤ人に由来するものと見られる痕跡が多く、枚挙に暇がない。

 

エルサレムはへブライ語では、「エル・シャローム」で、都をイミする「エル」と、平和をイミする「シャローム」が合わさって出来た言葉である。

すなわち、エルサレム=エル・シャローム=平和の都=「平安京」(!)となる。

平安京のあった京都の近くには琵琶湖があるが、エルサレムから少し北上するとキネレットという湖がある。

これは、ガリラヤ湖とも呼ばれる、イエス・キリストが福音を伝えた場所であるが、「キネレット」とは琵琶や竪琴をイミし、要するにキネレット湖=琵琶湖・・なのである。 

 

いやー・・キリがないのでこの辺で・・。

 

 

 

 

 

 


UFOについて

2010年07月09日 | 都市伝説・ミステリー

UFO・・といっても日清のインスタントやきそばではない。

「Unidentified Flying Object」―すなわち、「未確認飛行物体」の頭文字をとって、UFOと呼ばれる。

 

ゆえに厳密に言うと、鳥だろーが、飛行機だろーが、気球だろーが、風船だろーが、それと確認されるまで、未確認の飛行物体はすべてUFO・・とゆーコトになる。

先日も中国の空港でUFO騒ぎがあり、多くの便に影響が出て「自家用機」の可能性も指摘されているようだが、その正体が確認されるまでは、あくまでもUFOである。

 

一方で「フライング・ソーサー」―すなわち、「空飛ぶ円盤」=UFO・・とゆー認識もある。

(今は円盤だけでなく、様々なバリエーションがあるようであるが・・

この場合、いろんな説があるようだが、最もポピュラーなのは”宇宙人の乗り物”・・とゆーコトになろうか?

 

実は自分は2度ほどUFOを見たコトがある。

1度目は大学生の頃。

当時、自転車通学だった自分はチャリンコをこいで、沼のほとりの道を通学してる途中であった。

ふと空を見上げると、雲の中を、いわゆる葉巻型UFO・・てやつが、上空をグングン進んでるのが見えた。

葉巻型UFOはUFOの母艦などといわれるが、やはり、結構でかかった。

・・驚いたのもつかの間、そのUFOからモクモクと煙幕のように煙が出てきて、そのUFOを覆い隠し、周りの雲とまったく見分けがつかなくなってしまったのだ・・。

もちろん、誰も周りにはいない田舎道でのコト、見間違えかなあ?・・と思ったりもした。

 

2度目は仕事をはじめて3~4年くらいたった頃だったろうか?

友人何人かで夜の海岸に出ていた時に見かけた。

イカとゆーか、クラゲとゆーか、深海魚?のように向こうが透けて見える生物的なフォルムの透明なボディの中に、赤や黄色の光が点滅しながら光ってる謎の物体が、空中を漂うかのようにフワフワ海の上を飛んでいた。

 

 

ちょうど、ドゴラ↑みたいな感じ・・。

こんな長い触手はないが・・。

 

その時には、隣にいた先輩に「あれ、何すかね・・?」と聞き、その物体を認識した先輩が「わかんない・・何だろね・・?」と答えていたので、自分だけの見間違いではない・・。

 

どちらもまったくの別物である。

見かけた時も、場所も状況も全然違う。

信じるも何も、見たんだからしょーがない・・。

 

だからといって、すぐ短絡的に宇宙人だ・・などとかっ飛んだコトを言うつもりはないし、頑なにその存在を否定するつもりもない。

 

未知なるものに出会った時、自分の理解の範疇を越えるからと、その存在をアタマから否定してしまう・・とゆースタンスは科学的とは言いがたい。

何の根拠もない自説をもってきて大風呂敷を広げる・・とゆーのもサギ師と変わらない・・。

 

ただただ謙虚に、その事実を”事実”として受け止める姿勢にこそ、また新たな「知」の地平が切り開かれるのではないか・・?

―それが、こーした不可解なものや超常現象、あるいは超能力といったものに対する自分のスタンスである・・。

 

素粒子の世界など、知れば知るほど、その存在はオバケや幽霊と変わらないのだから・・。

 

UFOや宇宙人がいる、いないで議論するつもりはないけど、そんな話に花を咲かせるのも、夢があっていーんじゃないでしょーか、ね・・?

  

 

 


御頭祭=イサク献祭?

2010年04月21日 | 都市伝説・ミステリー

御頭祭(おんとうさい)とは、毎年4月15日に行われるお祭りのコトで、別名「酉の祭り」、「大御立座神事」(おおみたてまししんじ)、「大立増之御頭」といわれる諏訪大社の上社における最も重要な神事だという。

 

伊勢神宮御師の家に生まれた江戸中期の国学者にして紀行家、民俗学者の菅江真澄『信濃の旅 すわの海』の中で以下のように紹介している。

 

・・前宮という所に、十間間口の直会殿(なおらいでん)がある。そこにはなんと鹿の頭が七十五、真名板の上に並べられていた。

その中に、耳の裂けた鹿がある。この鹿は神様が矛で獲ったものだという。

上下(かみしも)にいずまいを正した男が二人、動物の肉を真名板にのせて持って登場する。その足どりやいでたちなど古いしきたりがあるのだろう。

弓、矢を持ち鎧を着、剣は根曲といってつかの下で曲がったものをさしている。・・(中略)・・やがて篠の束の縄をほどき、篠をばらばらにしてその上に敷き、花を供える。長殿はそのままじっとしている。そのとき長さは五尺余り、幅は5寸ほどで、先のとがった柱を押し立てる。これを御杖(おつえ)とも御贄柱(おにえばしら)ともいうが、どうであろうか。・・(中略)・・御神(おんこう)といって八歳ぐらいの子どもが、紅の着物を着て、この御柱にその手を添えさせられ、柱ごと人々が力を合わせて、かの竹の筵(むしろ)の上に押し上げて置いた。

長殿からは、四人目の下位の神官であろうか山吹色の袂(たもと)の神官が、木綿襷(ゆうだすき)をかけて待つ。そこへ上下を着た男が、藤刀というものを、小さな錦の袋から取り出し、抜き放って長殿に渡す。

長殿がこの刀を受け取り、山吹色の衣を着た神官に渡す。その藤刀を柱の上に置く。また、長い縄を渡す。・・(中略)・・例の神の子どもたちを、桑の木の皮をより合わせた縄でしばり上げる。その縄でしばるとき、人々はただ「まず。まず。」と声をかける。・・(中略)・・そして、長殿の前庭で、先の桑の木の皮でしばられていた子ども達が解き放され、祭りは終わった。(『菅江真澄の信濃の旅 信濃古典読み物叢書6』)http://www22.ocn.ne.jp/~kuroneko/onto-sai.htm

 

今では神饌として供えられる御頭は、3頭の雄鹿の頭部の剥製になっており、他に雉、魚の作り物と五穀、野菜類などが供物として飾られるというが、この神事、簡単にいうと、少年が御贄柱に縄で縛られ、神官が小刀で切りつけようとすると「まず。まず。(ちょっと待て)」と、それを止め、少年が解放される・・というストーリーになっている。

鹿は少年の代わりに生贄となり、その首が神殿に捧げられたというワケだ。

 

ユダヤ教ラビでもあり、”失われた十部族”についての著作も多いマービン・トケイヤーは、タナフ(ユダヤ教の聖典=旧約聖書)にある「イサク献祭」の伝承が諏訪大社の祭りになっていると指摘。

その記述はベレシートという創世記にあたる箇所にある。

 

神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクをつれてモリヤも地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」。(創世記22:2)

彼らが神の示された場所にきたとき、アブラハムはそこに祭壇を築き、たきぎを並べ、その子イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せた。そしてアブラハムが手を差し伸べ、刃物を執ってその子を殺そうとした時、主の使いが天から彼を呼んで言った、「アブラハムよ、アブラハムよ」。彼は答えた、「はい、ここにおります」。み使いが言った、「わらべに手をかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子さえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」。この時アブラハムが目をあげて見ると、うしろに、角をやぶに掛けている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行ってその雄羊を捕え、それをその子のかわりに燔祭としてささげた。(創世記22:9~13)

 

この御頭祭、”ミサグチの祭り”という別名があり、その起源は古く、縄文時代から3000年続くとも、もっと長い歴史があるとも言われているそうだ。

「ミサクチ」とはヘブライ語「ミ・イツハク」と読め、「イサクに由来する祭り」とゆーイミになるという。

(カテゴリー/都市伝説・ミステリー:「ミサグチとは・・?」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/48d9ea143a5cf63d463899128adf8fc8

 

日本では羊がいなかったため、シカが供物とされているが、神が矛で獲ったという耳の裂けたシカは、やぶに角をとられた雄羊をイメージしたものではないか?・・とも。

この「耳裂け鹿」諏訪大社七不思議の1つに数えられ、昔から生贄に捧げられるシカの中に、耳が裂けたシカが必ず1匹は混じっていたのだという。

 

そして、何より興味深いのは、アブラハムがイサク献祭をしたのがモリヤ山という山なのだが、諏訪大社の御神体である裏山の名は、守屋山なのである。

 

なにしろ、信仰の祖であるアブラハムが、ひとり子・イサクを捧げた地である。

そして、このイサクこそ、後に”勝利した”というイミの「イスラエル」という名を神から賜り、イスラエル民族の基となったヤコブの父親にあたる。 

当然、この”モリヤ”というのは、ユダヤ人なら誰しもピンと来る名前なのだ。

イスラエルの駐日大使が就任すると、必ずこの地を訪れるというのは、そうした理由からなのかもしれない。

 

実際、今から約2700年前に、アッシリア捕囚の民となって以来、歴史から忽然と消えてしまったイスラエルの”失われた十部族”を調査し、世界に離散しているユダヤ民族の末裔をイスラエルに帰還させるための特務機関、アミシャブもこの地を訪れている。

 

はるか昔、ユダヤ人が日本に渡来し、イサク献祭の伝承を祭りとして伝えたのが、諏訪大社であり、この御頭祭だったのではないか・・?

―そうした推察に至ったとしても、全く突拍子もないコトだとは言い切れない共通性を誰しも感じるであろう。

 

ちなみに諏訪大社の祭りを司る神長官は守矢氏といい、現在七十八代目であるという。

(カテゴリー/歴史・民俗:「御柱祭」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/2ff44e4baa1724ec0bdfecd52baaff04

だいたい4代で120年くらいはさかのぼる。

1代30年として単純計算すると、78代だと、78×30=2340で、約2300年くらい前になる。

 

2700年前、アッシリアからユーラシア大陸を横断し、海を渡って日本にたどり着いた時間・・と考えると、妙に符合するように思えるのだが・・。

 

 

 

 

 

 


ミサグチとは・・?

2010年04月19日 | 都市伝説・ミステリー

御柱祭が行われる長野県諏訪市は、イスラエルの駐日大使が就任すると、必ず真っ先に訪れる場所であるという。

諏訪湖周辺には精密機械の工場が多くあり、それらの会社がイスラエルのハイテク産業と深いつながりがあるのが理由の1つだが、それだけではない。

 

エリ・コーヘン元イスラエル駐日大使は在職中、何度か諏訪市を訪れているが、その目的の1つがこの御柱祭であったという。

御柱祭は、山から切り出したもみの木を曳いて行き、坂から落とした後、舟で先導しながら川を流し、神社まで運んで拝殿の四隅に立てる。

(カテゴリー/歴史・民俗:「御柱祭」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/2ff44e4baa1724ec0bdfecd52baaff04

 

現地でこの説明を聞いたコーヘンは、タナフメラヒームに同様の記述があるコトを指摘したという。

タナフとはユダヤ教の聖典で、我々に馴染みのある言葉でいうと「旧約聖書」のコトで、メラヒームは列王記にあたる。

以下がその箇所である。

 

・・ソロモンはヒラムに人をつかわして言った、「あなたの知られるとおり、父ダビデはその周囲にあった敵との戦いのゆえに、彼の神、主の名のために宮を建てることができず、主が彼らをその足の裏の下に置かれるのを待ちました。ところが今わが神、主はわたしに四方の太平を賜って、敵もなく、災いもなくなったので、主が父ダビデに『おまえに代って、おまえの位に、わたしがつかせるおまえの子、その人が我が名のために宮を建てるであろう』と言われたように、わが神、主の名のために宮を建てようと思います。それゆえ、あなたは命令を下して、レバノンの香柏をわたしのために切り出させてください。・・

・・「わたしはあなたが申しおくられたことを聞きました。香柏の材木と、いとすぎの材木については、すべてお望みのようにいたします。わたしのしもべどもにそれをレバノンから海に運びおろさせましょう。わたしはそれをいかだに組んで、海路、あなたの指示される場所まで送り、そこでそれをくずしましょう。(列王記上5:2~9)

 

ヒラムツロの王で、ソロモンの父王であるダビデを常に愛した・・と記されている。

レバノン杉というのは、古代には中近東に広く生息しており、ツタンカーメンの棺などにも使われたコトで知られている。

現在も多くの木工細工に使われているが、加工に適した材木ゆえ乱伐され、ソロモン王の時代にはレバノンの山地でしか取るコトが出来ず、標高1200mの山から切り出し、山を下ろしてツロの海岸から筏にしてイスラエルの港まで運んでいたという。

 

現在、エルサレムには第二神殿と呼ばれる神殿跡がある。

それは完全に石造りの建物跡であるが、今から3000年前に建てられたソロモンの第一神殿は木製であったと考えられているそうだ。

 

しかし、似たような記述が聖書にあるという理由だけで、それがユダヤ人に由来するものだとは言い切れない。

山から切り出した木を山から下ろし、海路を筏に組んで運ぶとゆーのは、当たり前といえば、あまりにも当たり前・・。

実際、御柱祭の起源については30あまりもの諸説があるという。

 

ちなみに、この柱がイミするものとして、古代イスラエル”アシラ”信仰に由来するのではないかとの指摘がある。

牧師の久保有政は著書、『日本の中のユダヤ文化』の中で、このアシラ信仰とはアッシリアから来た女神アシラを崇拝する異教で、この異教崇拝が北イスラエル滅亡の原因になったという。

そのアシラ信仰のシンボルが聖木であったという。

柱=アシラ・・とゆーコトである。

(カテゴリー/歴史・民俗:「相撲の由来」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/16a027504a4872994e211008eefc9c92

 

諏訪大社の神長官は、この御柱は”ミサグチ”の拠り代であるという。

 

「ミサグチ」=「ミサクチ」は、ヘブライ語「ミ・イツハク」と読むコトが出来、それは「イサクから」「イサクに由来する」というイミがあるのだそうだ。

 

そして、この諏訪大社には、そのものズバリ!ミサクチの祭り”と呼ばれる祭りがある。

 

「イサクに由来する祭り」・・とゆーイミになるこの祭り、御頭祭(おんとうさい)というのだが、つづきはまた・・。

(カテゴリー/都市伝説・ミステリー:「御頭祭=イサク献祭?」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/6eb52fc94272d990f0d0fc18db3130ee

 

 


光秀=天海?説

2010年03月23日 | 都市伝説・ミステリー

琵琶湖のほとりにある明智光秀の居城、坂本城から北西に4km行った所に比叡山がある。

その比叡山の飯室不動堂に、光秀が寄進したと言われる石灯籠がある。

 

その石灯籠には「奉寄進 願主 光秀」の文字とともに「慶長二十年 二月十七日」と書かれている。

慶長20(1615)年といえば、大阪夏の陣豊臣家が滅びた年。

光秀が死んだといわれる山崎の合戦から33年も後になる!

 

我々がよく知る教科書にも載ってる光秀の肖像画は、光秀の息子が建てた本徳寺という大阪府岸和田市にあるお寺に所蔵されている。

 

その肖像画の上には「般舟三昧放下去」とあるが、「般舟三昧経」(はんじゅざんまいきょう)に基づく修行方法を常行三昧、または仏立三昧といい、心を一つの事に集中し、正しい智恵を得るための修行のコト。

「般舟」はサンスクリット語の音写で、訳すと「仏立」となる。

「仏立」の言葉のごとく、仏様が目の前に現れるという修行で、「放下」(ほうげ)とは、投げ捨てる、放り出す、捨て切るのイミ。

すなわち、「般舟三昧、放下し去る・・」とは仏門に入り、すべての執着を捨て、僧侶となって去っていった・・というコトなのだという。

 

前回、光秀が家康の家臣だったのではないかと言われるほど、徳川家とのつながりが深いとゆーのを見た。(カテゴリー/歴史・民俗:「明智光秀の謎」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/84e9f19b8c5c7b55555f6b0388cd034b

実は、光秀は天海僧正ではないか?・・との説がある!

 

南光坊天海は徳川幕府のブレーンとして家康秀忠家光と徳川家3代将軍に仕え、家光の名付け親でもあった。

家光の「光」と2代将軍・秀忠の「秀」で「光秀」となる。

 

108歳まで生きたとされるが、その前半生は不明で、突如、歴史の表舞台に現れ、徳川家の側近として朝廷との交渉や宗教政策に深く関わった。 

都市計画にも関わり、陰陽道風水に基づく江戸鎮護を構想、霊的な結界で江戸を守るため、鬼門である北東の方角に、家康を神格化した東照大権現を祀る日光東照宮を建てたのも天海である。

約260年もの間続いた徳川幕府の礎を築いた、いわば、”スピリチュアル・アドバイザー”とでも言うべき存在なのである。

 

その日光東照宮の陽明門にある鼓楼鐘楼には桔梗紋の彫り細工が多くあるが、桔梗紋は明智家の家紋である。

 

また陽明門には、随身像という桔梗紋の袴をつけた像まであるのだ!

さらに天海が日光全体が見渡せる最も見晴らしのいい場所に明智平と名付け、その理由を聞かれた時に、「明智の名前を残すのさ・・」と答えたというエピソードもあるという。

 

日光東照宮には、他にも「かごめかごめ」の歌や、徳川埋蔵金に関する話もあるが、それはまたの機会に・・。

 

天海は死後、朝廷より慈眼大師の号を追贈され、日光の輪王寺にある天海の墓は慈眼堂という。

 

ちなみに「慈眼寺」の名をもつ寺は全国に多数あるが、京都の慈眼寺には漆黒の光秀像があるという。

 

また家康が天正20(1592)年に再建した秩父神社は、日光東照宮の雛形になったとも言われているそうだが、徳川家の葵の御紋がある社殿の下に、桔梗紋のついた着物を着た像があり、これは光秀ではないか?・・とゆー説も・・。

 

春日局が初対面のはずの天海に「お久しゅうございます」と挨拶したというエピソードもあり、光秀の家老の娘で、光秀とは主従関係にあり、顔見知りであったゆえにそうした挨拶になったのでは?・・と言われているそうだ。

なかなか興味深い説である。

 

天海の没年は諸説あるが、最大で135歳!

天海と光秀が同一人物だと享年は116歳(!)になり、当時の寿命を考えると少々無理があるのではないか?・・とも思うが、他にも2代で天海を演じたなどの説もある。

少なくとも、光秀が山崎の合戦で死んだとされる通説は、あらためて検証されるべきかもしれない・・。

 

もちろん、後世の編纂物によるものであるが、光秀の辞世の句とされるものに、こんな歌がある。

 

「心しらぬ人は何とも言はばいへ 身をも惜まじ 名をも惜まじ」

 

うーん・・どっかで聞いた気がするね・・。 

 

信じるか信じないかは、あなた次第です・・。